さっき夢を見た。
なにかどういうグループなのか分からないけれども、いつの間にかとあるグループの中に所属していて、自動車で旅をしている。
ある場所で降りて、そこからどこか、例えばドラマの聖地巡礼のような、観光スポットのようなものを目指して「この道でいいんすかねえ」などと語り合いながら歩を進めていく。
僕の横を歩いていた人は茶髪にパーマをかけていて、様子を見るとどうも僕とは面識がないようで、どうやら何かの観光ツアーで知らない人同士のグループになって、ほとんど全員お互い知らない人同士のようだ。
そのパーマ男か、別の人かは分からないが、ある話題が振られた。
あまりにも会話のネタがないからか、唐突感の否めない、色んな意味でつかみどころのない話題。それが、
「概念ってなんなんですかね」
というものだった。それに対して僕は、
「”抽象”と”具体”というものがあるじゃないですか。
例えばこの道端に落ちている石ころの、この黒いコブについて考えるとする。
そのコブの粒を細かく分解して成分を調べて。それを”具体”とするとします。
それからこの石と、同じ場所にあった別の石を調べて、その石とこの黒いコブのついた石の関係について調べて、その場所がどうしてそういう石を堆積させているのか考える。そしてその土地そのものについて広く考える。これを”抽象”とする。
”抽象”と”具体”というのは川を流れる水のようなもので、バケツで掴み取ろうが手で掴み取ろうが、掴み取ったら掴み取った分だけ切り取ることができる。
生きていく中でそうした行為を人間は繰り返す中で、その掴み取ったものに対して名前が必要ですよね?その名づけたものがいわゆる”概念”というものだと思うんですよね。
別に人間じゃなくても犬や猫のような動物でも同じことをしていると思うけれども、それに名前をつけて他者と共有することができないだけで、本質的には動物も概念を取り扱っているのだと思います。
例えばある野良猫がいて、夕方日暮れ近くになると近所の家のおばあさんが玄関にエサを与えにくるとします。
そして習慣的にその家の前に入り浸るようになる。
この猫にとっての”夕方になるとエサがもらえる”という学習をしている時点で、それ自体が人間が取り扱っている概念と同じ、というふうにも考えることができるんじゃないでしょうか」
というようなことを長々と、そして淡々と語っていた。
こういうのは話題を広げてお互いにキャッチボールになることを目指すべきなんだろうな。
話を盛り上げるためのネタなわけだから、話が盛り上がらないといけない。でもそういうことはお構いなしで、徹底的に持論を展開しまくった。こういうところがコミュ力なんだろうけど。なぜそんな夢を見たんだろうな。まさに概念を説明するために、歩きながら地面に落ちている石ころを拾う動作と、石の模様や質感まで、妙にリアルだった夢だった気がする。
補足すると、犬や猫の知性として概念を取り扱っているのか、という部分については議論があるとは思う。要は人間が言語で取り扱っている概念と、犬や猫の「習慣」とが、はたして同じと言って良いのか。ただそれ以外の部分についてはそれ以上考えようがないというか、それ以上突き詰めてもどうしようもない気はする。