ピパニアドットコム | つぶやきMAX

つぶやきMAX

   
雑食系チャミペンのぼやき

東方神起、6年間の活動 – それは一編の残酷劇だった



[2009年 8月 5日に作成した文章です。いくつかの理由で公開を延ばしていましたが、1年が経ちました。東方神起の3人が提議したのは「システムの問題」だと思います。「システムの問題」は、実は彼らだけでなく、彼らを見守ってきた数多くの人たちが感じてきたものでもあります。それが「どんな問題」だったのか、話を補おうと思います。文章は長いですが、余裕を持って読んで下さい。]


(09年)7月 31日、東方神起のメンバー3人が専属契約の効力停止仮処分の申請を出した時、とても驚いたが、また同時に「遂に来たか」と感じたのも事実だ。何故なら、このグループの活動は決してこのまま続いてはいけない、著しい強行軍と無理な措置の連続だったからだ。初めは「若いミュージシャンだから覚悟がすごいな」と思って過ごしたが、徐々に何か違うんじゃないか、と感じ始めた。そして、それは不幸にもとても長い間続いていたのだ。始まりは2005年にさかのぼる。

私たちは2005年から東方神起の音楽に注目し、それ以降彼らの活動を関心深く見守ってきた。今は彼らの優れた実力と独特な音楽的カラーは多くの人々に認められているが、2005年の当時にも彼らの才能はありありと見ることができた。

ジュンスの声は厚い密度を誇っていたし、ジェジュンはロックボーカリストもこなせる驚くほどの力を持っていた。ユチョンは感性が引き立っていたし、ユンホは声のベースが良かったし、チャンミンは人並み外れた音域を持っていた。何よりも驚いたのはアンサンブルだった。華やかで動的だった。時に過剰になったり足りない点がなくはなかったが、日に日に上達していく速度が目を引いた上、感情の表現も特異だった。その上、5人のメンバーがステージで見せるエネルギーや姿勢もまた、一流のライブミュージシャンの前哨を感じさせるのに充分だった。

「大魚が現れた」という喜びに、私たちはかなり多くのステージを現場で直接見守った。2006年2月、彼らの初のコンサートが4日間行われたが、それはそれこそ驚きの経験だった。「期待した通りの優れたライブミュージシャンたちだ」という実感で限りなく楽しかった。今年(09年)、日本の音楽界を揺さぶり、4回目の日本ツアーを東京ドームの2日間の公演で終えた彼らの驚くべき力は、既に初公演から表出されていたのだった。その喜びにあふれた、胸いっぱいの感想はすでに長文の観覧記として残したことがある。

報道によると、公演後の打ち上げでメンバー達は喜びにあふれて、「また公演したいです。またやらせてください」と幼い子供のように経営陣に話したとある。私たちもまた、彼らの次のステージを限りなく期待するようになった。

しかしそれは、私たちが彼らのステージを見ながら感じた「完全な楽しさ」の最後だった。



2006年の後半期、残酷劇が始まった

2006年の初めから彼らは日本での活動にまい進した。日本でアルバムを出し、シングルも発表した。各種のプロモーションと放送の出演が果てしなく続いた。韓国での活動もまた並行した。2月には韓国で単独コンサートを行った。韓国でワールドカップの応援シングル「東方の闘魂」を発売し、ドイツまで行ってワールドカップの応援放送に出演した。一言で言って休む間もないスケジュールだった。

夏になっても、彼らは依然として忙しかった。日本の所属社であるエイベックスの夏の合同ツアーであるA-nationにも参加し、韓国所属社であるSMが企画した映画『バケーション(Vacation)』の撮影をし、OSTも録音する。アジアツアーも進行された。そして9月。彼らは韓国での活動に復帰する。

当時不思議だったのは、確かにアルバムを準備する時間はなかったはずなのに、アルバムが出るということだった。あれだけ休む間もなく活動したのだから、短くても2ヶ月くらいは休んでから韓国での活動をするだろうと予想していたのに。彼らはすぐにアルバムを発表して韓国のステージに立った。A-nationのツアーが終わった日が8月26日。東方神起が新しいアルバムを発表してカムバックした日は9月29日だった。それどころか、ジュンスはSMの新人、チャン・リインとプロジェクト・シングルを発表し番組に出演するが、それが9月9日だ。

2005年から彼らを見守ってきた私たちは、非常に驚いた。彼らには休息期がないという事実に気づいたのだ。

アルバムやステージは、一種の結果物だ。この結果物を生み出すためには、長くは数ヶ月、短くて数日の練習を経なければならない。東方神起は誰もが知っている通り、ダンスと歌を同時にこなすチームだ。また5人がアンサンブルを合わせなければならないチームだ。だから公開されたスケジュールの他に、その練習時間を考えると、そこに付け加えられる待機時間や移動時間などまで考えると、休息期をとれない程度ではなかった。多分、生きていくのに必要な「絶対時間」がマイナスだったと思われる。

その結果はすぐに現れた。9月9日、ジュンスとチャン・リインの放送ステージを見た当時、私たちは言葉を失った。ジュンスの声の状態が最悪だったのだ。普通の人たちにはそれほど目立って感じられなかったはずだ。しかし、2006年初めの東方神起の4日連続コンサートを見守った私たちには衝撃だった。彼の声はコンサートの4日目でもさらに強くなり、とても安定感にあふれる、スタミナの良い声だったからだ。それなのに、この時は「スタミナの良い声を、それこそ最後まで押し通して、遂には気力がつきてしまった」連続コンサート40日目くらいの声だった。若さと根性で耐えてはいたが、さらに無理をすると声に異常が生じるのではないかと思うくらい、あやうく感じられた。

あまりに驚いた私たちは、SMに取材ルートで問い合わせた。「何も異常はないので心配いらない」との答えが返ってきた。


足を痛め、声がかれても、ボンドを飲んでも - スケジュールを固守

東方神起のスケジュールは、何も変わることなく、そのまま進められた。その年、3枚目のアルバムを発表した東方神起は、ほとんどのステージをリップシンク(口パク)で行う。何度かライブで歌いもしたが、ほとんどのステージと年末の授賞式は全てリップシンクだった。ファンは残念に思い、一般大衆からはひんしゅくを受けた。

普通、リップシンクが批難される理由は一つだ。歌手の歌唱力のなさをカバーするために使われるためだ。しかし、この時期の彼らのリップシンクは、「コンディションの悪化でもスケジュールを強行するためのリップシンク」だったのではなかろうか。既にその年、東方神起は日本でオールライブでツアーを果たし、優れたライブアーティストであることを証明したからだ。

2006年10月14日、ユンホは番組の録画中、ボンド飲料水事件の犠牲者となり、病院に運ばれ胃洗浄をする。いわゆる「アンチ」だというある女性の悪意的な犯行の結果で、ボンドが入った飲料水を飲んだのだ。ともすれば生命まで失いかねない大きな事件だったが、幸いにも彼はすぐに回復した。しかし、精神的に非常に衝撃を受けたはずだ。誰が考えても、こうした事故に遭った時には、休息をとり精神的な安静をとるのが当然だ。

しかし、やはり東方神起のスケジュールは何も変わることなく進められた。彼が入院した時には残りのメンバーが番組に出演し、彼が退院するとすぐにチームに復帰する。更には、その事件が起こった番組さえも再撮影した。その頃、彼らの姿には疲れが見え始めた。若いミュージシャンの姿を見る最大の楽しみは、その健康さと覇気ではないか。企画社の無神経な措置は、とても理解できなかった。

負傷しても闘魂で立つ姿は、感動を与えはする。しかし、それは1回で終わるのが正常なのだ。そのような事が繰り返されると、それはシステムに異常があるのだ。システムの異常を個人に転嫁させる不当な慣行である。

彼らの負傷と事故は、この時が初めてではない。2005年にジェジュンが足を痛めた。活動は続けられた。2006年の日本でのツアーが終わった直後、ユンホはアジアツアーを準備している最中に足首を痛めた。その状態で A-nation の公演のために、マネージャーに背負われて出国する様子が報道されもした。こうした慣行は現在までも続いている。

2009年。19回に渡る日本でのツアーが始まる直前、ジュンスはリハーサル中に足を痛める。エイベックスは「コンサートの取り消しまで考えたが、本人の意思でコンサートを行う」と発表し、ジュンスはツアーの初期には車椅子に座って歌を歌った。こうした状況が報道されると、人々はコンサートを行わない時間には、彼らが休息をとったはずだと考える。しかし、やはり休息はなかった。ジュンスが足を痛めたその期間にも、メンバー達は韓国と日本でのスケジュールを全てこなした。つまり、メンバー達が負傷しても、韓日両国の所属社は何も迷うことなく、スケジュールを消化させる慣行が完全に定着したのである。

このように、無理なスケジュールの中でも、このように疲れた状態でも、このように負傷と事故に遭った中でも、彼らは全てのステージを無事にこなし、大きな成果をなした。いつもそうだった。東方神起のメンバーの事情や健康状態のために何かか取り消されたり、延期になることはほとんどなかった。

この程度であれば、所属社はよく頑張ったと感謝し、休息を贈るべきだった。いくら鋼鉄も噛み砕くほどの若さだとはいえ、韓国、日本、アジア各国を駆け回り、2ヶ国語で会話し歌い、数多くのアルバムを発表し、ステージに立ち、ファンミィーティングとサイン会、握手会など体でこなす数多くのプロモーションをこなした彼らには – 他の全ての歌手がとる休息期と充電期を与えなければならなかった。いくら韓国の芸能業界が肥えていないといっても、普通はこうした活動をこなした歌手に、ある程度の休息期を与えるのが普通だ。

では、彼らに与えられた休暇は?

2006年には5日だった。2007年には1週間。そして2008年と2009年には特別に10日だった。


東方神起の休暇に隠された秘密 – 一年中で休める日は休暇だけ?

東方神起の休暇が1週間だと言っても、人々はそれほどショックを受けない。私たちも最初はそうだったから。

なぜなら、歌手という職業は「遊んで稼ぐ」部分が多い自由職業だと、漠然と考えるためだ。活動が終わると、みんな休む。ツアーが終わっても休む。スランプに陥って休むこともある。遠く海外に旅行したりもする。自分がやりたい事をしながら「再充電期」という名目で、自由な時間を過ごす。感性で仕事する職業だから。実際、こうした時間は必需的だ。

韓国の若い歌手たちが、とんでもない強行軍をしているのは事実だ。それでも、ある程度のレベルになると、また活動期間が終わると、どんな方法であれ活動を休む期間が与えられた。少なくても数ヶ月の「スケジュールのない」期間がある。

だから、私たちは韓国最高の人気グループであり、アジア最高の人気グループでもある東方神起は、当然「会社から与えられる正式な休暇」以外にも、休息期または充電期があるのだろうと思っていた。

ところが、スケジュールを詳しく見ると、そんな余裕は見えない。東方神起はデビュー以来、今まで「休息期」または「充電期」をとったことは一度もなかった。毎年、年にただ1度の一週間程度の休暇が、彼らの6年間の休息の全部のように見えた。

こうした強行軍が続きながら、彼らは絶え間なく病気になった。記事や放送を通して、扁桃腺や喘息、アレルギーなどの病名が彼らの名前と共に報道された。しかし、負傷しても強行されるスケジュールが、たかが(?)病気でキャンセルされるはずはない。彼らはよく病気になった。合宿生活のせいでメンバーの一人がかかると、みんなが一斉にかかるという風邪は日常のようなものだった。ある年の休暇の際に、メンバー全員が体調を崩して寝込み、お互いに連絡がとれなかったと彼らが番組で語ったことがあった。こうした事実は、あまりにも繰り返し起きるため、大ファンでなくても、2~3年間彼らを見守れば誰もが知ることができるほどだ。

ファンたちは毎回、彼らがステージに立つ度に、負傷と病気の条件の下で歌って踊る彼らを心配した。そうして一般の人々にひんしゅくをかいもした。どうして東方神起のステージ映像のレスは、「コンディション不調で普段よりも落ちる」という内容ばかりなのかと。ファンたちは悔しくても何も言えなかっただろう。それは事実だったから。

負傷と病気だからといって、彼らに特別な「回復期」さえも与えられたことはない。これを私が覚えているのは、2006年の秋頃から「彼らの100% 充電した状態のステージが見たい」と待ち続けてきたためだ。しかし、そのような機会は来なかった。具合が悪ければ悪いまま、負傷すれば負傷したまま、その状態のままで彼らは仕事を続けた。そうして時間の力を借りて負傷から回復し、コンディションの不調を克服した。そのように過ごして6年目だ。

こうした事実が水面上に現れなかった、もう一つの理由 - それは彼らが韓国での活動と日本での活動を共に行っていたからだった。韓国での活動と日本での活動を交代して行っていたため、両国の音楽ファンたちは、このチームは活動期と非活動期があるものだと思い込んでいた。

両国での活動を並行している事実を知っている人でさえも、このように考えていた。韓国での活動と日本での活動の間に中間期間があるはずだと。ところが、そうではなかった。

彼らは、今日韓国での活動が終わると、明日の飛行機に乗った。日本で活動中でもスケジュールが空くと、韓国でのスケジュールが決まった。一旦韓国に来ると、「せっかく来たついでに」何日か休んでいくのではなく、また次の日の飛行機で日本に行って、番組に出演することは稀ではなかった。例えば、東方神起の日本でのスケジュールが木曜日と土曜日にあるとしても、所属社では何の迷いもなく金曜日に韓国でのスケジュールを決めたりした。時には日帰りでスケジュールをこなして出国したりもした。これは彼らにとって日常になった。これは秘密でもない。ファンでなくても、K-PopとJ-Pop共に関心のある人々にはよく知られていた事実だ。

こうした中でも、まるで妙技のようなスケジュールが生じたりもした。2006年、彼らは一週間のうちに韓国からタイ、タイからドイツ、ドイツから韓国、韓国から日本、日本からまたサイパンへと移動するスケジュールをこなした。たった一週間でだ。チャンミンは当時、とても体の具合が悪かったと、日本の番組で「楽しくなかった記憶」として回想したりもした。

2008年、韓日両国で大きな成果をあげた年末には、それこそ西に東に神出鬼没のスケジュールをこなす。韓日両国の年末放送では、徹夜番組と年明け番組まで、連続で出演したのだ。その出演スケジュール表を一度、ファンに確認してみてほしい。あきれることだろう。


改善することなく、更に残酷になるスケジュール - 2009年まで続く

このような「スケジュールを組んで無理やり押し込む」式の活動は2009年にも続く。その最も代表的な例が、2009年の日本東京ドームでの公演を前後に繰り広げられた、スケジュールの饗宴(?)だ。

東方神起は2008年に50万枚という - 最近の韓国市場ではとても達成不可能な – CDの売上を記録した。2009年は日本で大々的な人気を集めた。その結果、19回のアリーナツアーのチケットは売り切れとなり、入手困難となった。そして遂に、東京ドームでの2日間の公演という史上初の偉業を達成する。

このレベルのグループであれば、どの所属社でもある程度待遇するのではないか。もう無理なスケジュールは徐々に減っていくだろうと思ったし、彼らにも1~2ヶ月の休息期が与えられるのではないかと思った。

ところが、とんでもない。そんなことは起きもしなかった。それどころか、更に恐ろしいことが起こる。

東方神起の日本ツアーが終わりにさしかかった6月、彼らは大阪での公演を4回連続で行い、次の週に名古屋で3回公演する。公演自体の強度もかなりきついものだった。公演時間は3時間を越え、メンバー達は一瞬も休むことなく、ライブで29曲を歌った。アジアで最も激しいと言われる振り付けと共にだ。毎回、公演の度にメンバーたちは脱力し、連続公演がある日には、2日目にはメンバー達の体力の低下が目に見えるほどだった。公演の強度が必要以上に激しくきびしいものだった。日本の所属社さえも韓国の様を学んでいるのではないかと思うほどだった。

とにかく、こうしてアリーナツアーを終えてから2週間後にドームでの公演が決まっていた。これは先に発表されたスケジュールだった。2週間なら、新しい内容を組むのも足りない時間で、メンバー達が休息をとり、またリハーサルするのにも足りない時間だ。だから、少し休んでいつも通りにするのだろうと考えていた。

ところがある日、突然SM側の公演企画社から唐突もなく東方神起のタイでのコンサートスケジュールを発表した。まさにその2週間の休息のど真ん中だった。アリーナツアーを終えたその週の週末2日間、タイで「韓国語の曲」で公演するMroticアジアツアーのスケジュールを決めたのだ。2ヶ月間、日本語の歌詞で歌い、日本語でコンサートを行っていた彼らが、また頭の中を入れ替えて韓国語で埋めなければならず、韓国の曲の振り付けを練習し、タイでコンサートをしなければならなかった。そしてまた、日本に帰って日本語で歌い、日本の曲の振り付けで、韓国ミュージシャン初の東京ドーム2日連続公演をしなければならなかったのだ。これはあまりにひどいスケジュールではないか。あまりにひどくて、既に私たちはこれに対する文章を書いたことがある。だが、それだけではなかった。

歴史的な東京ドームコンサートを終えた後には、よくやったと何週間の休暇が与えられるものだと思っていたが、すぐにその週末に「韓国語」で行う北京スタジアムコンサートがまた決まっていた。

このスケジュールを聞いてから、それこそSMのやり方に嫌気がさしてしまった。これはマネージメントではなかった。アーティストが3日活動して異常がなければ、感謝するのではなく5日連続で活動させ、5日活動してよろけると、「もう少しできるだろう」と言って10日働かせる、悪辣な搾取者のマインドだった。どうしてこんな関係が可能なのだろうか不思議だった。

しかし、私たちはSMを表立って批難しなかった。 SMだけのせいではないはずだと思った。この全てが、ある程度はメンバー達との合意によるものだと思ったし、何よりもこの全てのことに対して、充分な金銭的・職位的な補償がなされているはずだと信じてやまなかった。ファンたちも数年間の時間を経ながら、様々な件に対して多くの不満を持っていたが、SMを直接的に批難しなかった。だから、一般大衆にはこのような問題が話題となって表面化したことがなかった。なぜだろうか。私たちもファンたちも、こんなにきびしい強行軍のスケジュールを、メンバーたちの意思が反映された結果だと信じていた最大の理由は何だったのだろうか。


兄と呼ばれ、お父さんと呼ばれて感謝されていたSMの経営陣たちよ、恥ずかしくないのか

それは、メンバーたち自身が一度もステージや放送、公式的な場で所属社を恨んだり不満を言ったことがなかったからだ。それどころか、常に感謝し愛情を示し、時にはファンの所属事務所に対する不満を静めさせたりしたためだ。

所属社の代表をお父さんと呼び愛情を示して、ファンから苦言を聞くスタッフたちをかばい、経営陣をお兄さんと呼んで、きちんと挨拶し大切にしていた。受賞すると、一番最初に経営陣とスタッフに感謝を表し、アルバムのサンクストゥーにはいつもそれらの名前を書いていた。

時には「バカみたいに」、「生まじめに」見えるほどに彼らは所属社とスタッフに対する愛情を表現した。きっと、韓国の歌手のうちで彼らのように所属社に対する無限な信頼と愛情を表現し、彼らほど忠誠を尽くして所属社の方針に従って活動した歌手を探すのは本当に難しいだろう。

時には確実に、見守っている私たちの目には彼らが消耗され酷使されていると感じられても、彼らの言葉からは何らの恨みも不満も感じられなかった。だから、私たちは「私たちが敏感すぎるのか」と思った。多くのファンが何年間もこれをもどかしく思ってきた。

ところが - 真実は、彼ら自身もつらかったのだ。それにもかかわらず、相当な期間、所属社の方針を信じて従い、死ぬほどに働いてきたのに、全然改善されない待遇と劇烈な疲労感から、3人のメンバーが結局行動を起こしたようだ。彼らが明かした内容も、大差はなかった。

彼らのこうした行動に対して、SMと経営陣たちは当惑している。しかし、当惑するわけなどないのではないか。東方神起のメンバーが「専属契約効力停止仮処分の申請」を出したというニュースを聞いて、私はむしろ「遂に来たか」と思った。当然の手順だと思った。

SMは今驚いているのかもしれないが、私は、そして数多くのファンたちは2006年から、またはそれ以前から何度も驚き、失望し、胸を痛め、おかしいと思い、苦い思いをしながら彼らを見守ってきた。それにもかかわらず、彼らは素晴らしいステージを見せてくれ、活力を失うまいと全力を尽くしてきたため、見守り続けてきたが、それは「完全な楽しみだけではない」ものだった。

だから、SMの経営陣は錯覚しないでほしい。今、SMが目の前にしているのは、東方神起の3人のメンバーとの法的な攻防に勝つのか負けるのか、といったレベルの対決ではない。今までSMという音楽会社の全職員が飢えることなく収益をあげてくれた、韓国と日本、アジアの消費者と顧客たちが、目を見開いて見守っている。その多くの顧客たちは今まで、「東方神起が信じ信頼する会社」だという理由だけで、SMの多くの失策とミス、拙速と事故を見過ごしてくれた人たちでもあるからだ。それは法廷でも決着がつかない対決だ。

背を向ける消費者は、SMに違約金を払う必要がない。それはひとえに経営陣が土下座し、心から謝罪し、根本的な改善を図り、今すぐに東方神起の専属契約を解除し、所属アーティストたちと互いに尊重する基盤の下で、パートナーシップを構築し、哲学的に新しい会社を再編成しない限り、解けない対決だ。

音楽会社とは、いくら賢明なマーケティングの法則を駆使しても、根本的には「大衆の心」で稼ぐ会社だ。過去6年間、東方神起は心から最善を尽くしてきた。私はその事実を証言できる。彼らは過去6年間、所属社に最善を尽くし、大衆に最善を尽くした。充分な準備なく進められる、地方のみすぼらしいステージに立った時でも、ダンスの角度ひとつ怠ることなく、ボーカル的な緊張感を少しも失うことなく公演してきた彼らの姿は、私の目と耳に誓って証言することができる。きっと数多くのファンは、より正確にその事実を証言するだろう。そして、誰が証言しようがしまいが、その現場は全て記録されている。

こうした人々と闘って勝ったとしても、負けたとしても – 果たしてSMに何が残るのだろうか。その答えをSMは知らないように見えるが、長い間音楽の歴史を数十年間見守ってきた音楽ファンである私たちは、その答えがはっきりと見えている。


[ピパニアドットコム piffania.com]


ピパニアドットコムは音楽や公演に関するレビュー専門サイトです。

  音楽界や公演に関する愛情と、専門的な視覚からの定評のあるレビューで有名なサイトです。




出処


私達ずいぶん強くなったよね

いまは、5人に少し休んでもらい
今後を考えてほしい
5人が望む未来を
歩んでほしい

最近、少しそう思うんだ