「耳の穴かっぽじってよく聞け!」なんて乱暴な言い方があります。実際に会話で言われた覚えはないけど、言われそうな雰囲気は感じたことがあります。昔から僕は人の話をちゃんと聞いてないのです。ゴメンなさい。

 

日常の他愛もない会話ならまだしも、大切な連絡や相談事のときはちゃんと人の話を聞かなければいけません。大事なことなのです。わかっています。それでも集中力が続かないのかアホなのか、話の途中で「あ、この人面白い顔してるな」とか「大声で唾をとばして汚いな」とか「そろそろコーヒーが飲みたいな」とか別のことを考えてしまう悪い癖があるのです。子供の頃からとはいえ、50を過ぎた今でも同じような傾向があります。意識していないと会話中に別のことを考えてしまうのです。ひょっとして耳の掃除を怠っているせいかしら?などと耳そうじをしてみますが当然何の変化もありません。ただ気持ち良いだけです。

 

幼い頃は耳かきが嫌いでした。自分でやるにしても竹製の耳かき棒をつっこむのが怖い。どこまで突っ込んでいいのかわからない。脳みそほじくってしまうのではないかという恐怖。怖がりなのでやりたくない、ということで放置するのですが、ある程度時間が経つと「お前耳の掃除せい」と母親のチェックが入ります。耳かきしてやるから来い…と言われますがそれも嫌なのです。母の耳かきはなんとも遠慮のない耳かきで、躊躇せずにゴリゴリと耳の奥に耳かきを突っ込んでくるのです。痛い怖いと訴えてもやめてくれません。怖くても自分で耳そうじをするようになりました。

 

一人暮らしをするようになってから色々試した結果、耳かき棒より綿棒のほうが優しくて取れ高も高いことに気がつきました。黒い綿棒だとさらに満足度UP。爽快感すら感じます。19歳で一つ悟りを開いたような気持ちでした。世界中に知らしめたい。みんな知らないでしょ。知ってるか。

 

外国には耳そうじの習慣が無い国もあるそうです。耳あかは自然に出ていくから放っておけばいい。無理につつくほうが傷になってかえって良くない、らしいですが本当かいな。

 

檀家さんで少し仲良くなったお爺さんがいました。60代の頃は普通に会話していたと思うのですが、80代に入ってから耳が遠くなってまともに会話出来なくなっていました。それでも会話にならなくても話しかけてくるので会話らしいことをしていましたが、一方通行なのでほぼ一人語り。それで気分良くしてるならいいかと相づちだけ打ってニコニコしていました。丁寧な方でした。

 

そのお爺さんが亡くなって、息子さんと話していて知った話。お爺さんは耳が遠いと言っていたけど実際には遠くなかったとのこと。病院で検査してもらったら耳あかが大量に詰まっていて、本人に確認してみたところ、生まれてから耳そうじをほとんどやった事が無かったそうです。病院で耳そうじをしてもらってさっぱり。家族とも普通に会話出来るようになってビックリしたとのことでした。やっぱりたまには耳そうじした方が良いんじゃないかなぁ。

 

お釈迦様は物忘れの酷い周利般特という弟子に、「塵を払え 垢を払え」とひたすら掃除をさせたといいます。ゴミや汚れを取り除くと同時に、心の中の迷いや煩悩=垢を取り除く修業。真面目な般特さんはこの教えを守り続け、後に悟りを開いて阿羅漢になりました。

 

私たちも普段から身の回りのことに少し気をかけて過ごすだけで心が清らかになっていくのかもしれません。耳そうじも丁寧にコツコツと続けていくことです。ひょっとしたら悟りを開いて心の声まで聞こえるようになるかもしれません。