娘よ | チャレンジの日々

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映画のストーリー

パキスタンとインド、中国との国境付近にそびえるカラコルム山脈の麓には多くの部族がおり、絶え間なく衝突と融和を繰り返していた。紛争を収めるため部族長ドーレットが相手方の老部族長トールに友好関係の回復を申し出たところ、トールはその条件として10歳になるドーレットの娘ゼナブを自分の嫁に出すよう要求する。ドーレットの年の離れた妻アッララキもまたかつて15歳で嫁がされており、恐れていた事態が現実となったことを知ったアッララキは、ゼナブを守るために部族からの脱出を図る。掟を破り相手の誇りを傷つけ、家族に不名誉をもたらした者には、死が待ち受けていた。トールとドーレットの部族連合による追っ手が繰り出され、アッララキとゼナブは途中出会ったトラック運転手のソハイルに助けられながら決死の逃避行を続けるが……。

以上、映画情報サイトより引用

パキスタンの、とある村。
部族同士の争いが絶えず、死者の出る日々。
これ以上血を流すことに耐えられないドーレットは、敵部族に和平交渉に行きます。

すると、敵部族の、老長老は、お前の娘との結婚で、和平に応じよう、と言う訳ですよ。

ここで、ん?

誰と誰が??

と、頭が混乱しましたよ。

確かに映画の冒頭、ドーレットの幼い娘が出てきましたけど、「あれ?もう1人上にお姉ちゃんがいるのかな」と。
そして、まさかこの老人(長老)が、今更結婚するはずはないから、この部族の誰かと、ドーレットの上のお姉ちゃんが政略結婚するのかな、と。

ところが、この長老グルの言葉通り、グルと10歳の少女との結婚の話だった訳で。

父親ドーレットは、「はい、はい」と応じるんですよね。
まあ、児童婚が風習・慣習として残っている地域なので、男としては、何ら疑問を感じないんです。

でも、母親アッララキは、10歳の娘を、長老の慰み者になんて出来ない。
母は、娘を連れて逃げるのです。


捕まれば、殺されることは承知の上、逃げるのです。
男性にはわからないかもしれませんが、女性は、性の奉仕者になるくらいなら、殺された方がましだと普通に思いますからね。

逃走途中で出会ったトラック運転手ソハイルの助けを借りて、砂漠で避難生活をします。


しかし、村にいた時は、娘ザイナブも、母が通えなかった学校にも通っていたわけで、このまま何もない砂漠で暮らすのは、娘のためにならない、と母は思います。
だから、ここを出なくては、と。

でも私が思うに、ここで母アッララキは間違いを犯したのではないかと。

確かに、アッララキの母は街に住んでいるので、ザイナブの為には良い環境かもしれません。
しかし、自分の母親のところには、追手が来ていると考えるのが普通ではないでしょうか。

アッララキもまだ若く、彼女自身も15で児童婚をしてから、母には1度も会わせてもらっていない為、母恋し、の気持ちがあったのでしょうね。

危険を冒して、母に会いにいくのです。

そして、案の定追手に捕まる。。。。

アッララキは、ザイナブの為には、自分は一生母に会えないとしても、もっと他の地へ逃げるべきであったのではないかと。

アッララキは撃たれ、病院へ行く途中のシーンがラストです。
助かったのか、ダメだったのかは分かりません。

だけど、この映画は、児童婚を問題にしているので、そこら辺のところは、ボケていてもいいのでしょうね。
観た人の想像に任せる、という感じで。

児童婚の映画は、幾つかあります。
ざっと思い出せる限りで、「わたしはヌジューム、10歳で離婚した」とか、「ソニータ」、「トリシュナ」や「チャイルド・マリッジ」等々。。。。

この映画は、それらと比べて凄くソフトで、少女が暴行されるシーンなどもなく、見やすいと言えば見やすい作品です。

児童婚。。。。。それは、その地域の男性たちにとっては、長く続いてきた風習・習慣なので、本人たちが、物凄く女性に対して差別意識を持っているかと言えば、そうでもないんですよね。
代々続いてきた、「普通のこと」になってしまっているのです。

だから、それは、誰かが教えないといけないのです。
教育が全てだと思っています。
それ故、だんだん変わってきているのも実情です。
変わってきていると言っても、少しずつ、少しずつなんですけどね。

結婚は、拉致・誘拐してするものではないということ。
結婚は、女性をお金で買ってくるものではない、ということ。
結婚は、まだ幼い女の子には、身体的に無理があるということ。

女性は、自分の好きな時に性の奉仕をさせるだけの生き物ではなく、男性と同じように考え、笑い、泣き、共に生きる対等な人間であるということ。

こういった作品で、世界がそれに注目し、運動が始まり、児童婚などの悪しき風習がなくなっていくことが、監督の意図したことだと思っています。

私的評価星星