7/2(日)公演曲目の作曲家やそれに関わるお話を少しずつ載せていきます。
取り扱うのは以下の3名
アナトーリー・リャードフ
セルゲイ・ラフマニノフ
ニコライ・リムスキー=コルサコフ
アナトーリー・コンスタンティノヴィチ・リャードフ(Анатолий Константинович Лядов)
1855. 5.12, サンクトペテルブルク 生
1914. 8.28, ノブゴロド地方 ポリノフカ 没
(画像はWikipedia/Googleマップより)
【まずは小話から】
ロシア語の名前は名前・父称(その人の父親の名前)・苗字の3つを持ち、そして、名前も性数(男性/女性)により語尾変化をおこす。
従って男性の場合:
アナトーリー・コンスタンティノヴィチ・リャードフ
Анатолий Константинович Лядов
女性の場合:
アナトーリヤ・コンスタンティノヴィチャ・リャードヴァ
Анатолия Константиновича Лядова
父親の名前をミドルネームにする文化は、主にスラブ系で見られる。
相手の名前を呼ぶ際、父称を一緒につけることにより、「君」といったフランクな名前の呼び方ではなく「あなた」といった敬語のような役割を果たす。
フランクな呼び方:アナトーリー
丁寧な呼び方(アナトーリーさん):アナトーリー・コンスタンティノヴィチ
日本語でいうところの〇〇先生、〇〇さんはロシア語ではこのように表現される。
コンスタンティンの息子、アナトーリーの生まれたリャードフ家は、父方が代々音楽に携わっていた。
父親は作曲家でもあり、当時のロシアでは著名であった指揮者、コンスタンティン・ニコラエヴィチ・リャードフ
そして祖父、ニコライ・グリゴリエヴィチ・リャードフもサンクトペテルブルク交響楽団で楽長を務めた。
アナトーリーの主な作曲ジャンルは交響曲、ピアノ曲、声楽曲、そして、中でも重要な彼の関心は民族音楽に向けられている。
5歳の頃より父から音楽教育を受けたアナトーリーであったが、あまり積極的な作曲家ではなく、その生涯で残した作品数は決して多くない。
それでも、ピアノとヴァイオリンをペテルブルク音楽院で学んだのち、その才能をモデスト・ムソルグスキーに評価されている。また、リムスキー・コルサコフには作曲理論を習った。
彼の作品のうち最も有名なものは3つの交響詩「バーバ・ヤーガ」、「魔法の湖」、「キキモラ」であろうか。
「詩」とはいっても、言葉や歌詞がある訳ではなく、管弦楽(オーケストラ)によって演奏される標題音楽※のうちの一部を指す。
標題音楽とは、名前の通り「標題(本・絵画などの題名)」を持つ音楽のことで、音楽の為の音楽ではなく、テーマやストーリーを有している。そして標題音楽と交響詩の違いは、あくまでも作曲家自身がどちらを名付けるかで決まる。
このスタイルは19世紀・ロマン派の時代に花開き、ピアニスト兼作曲家であるフランツ・リスト(1811-1886)により定着した。
さて、この最も有名な3つの標題音楽は、子供に親しみのあるロシア民話からストーリーをベースにしており、また、音楽には民族音楽を用いている。
交響詩「バーバ・ヤーガ」 作品56 1904年作曲
バーバ・ヤーガはロシア民話を始めとするスラブ系の民話に登場する魔女の名前。いくつもの民話に登場する。
アナトーリーの交響詩「バーバ・ヤーガ」は彼にとってはじめての管弦楽曲である。
ペテルブルク音楽院に在学中であった1881年の夏休み、彼は田舎へと赴き過ごし、夏中民話と民謡を収集を熱心に行っていた。そしてロシア民話を読み返す中で、魔女バーバ・ヤーガに強い印象を抱き、それから学業の合間に作曲のための材料を集めた。初演は、聴衆の心に深く感銘を与える大成功となった。
そうしてアナトーリーは次の曲にとりかかる。民話よりもいっそうファンタジー的描写の多い、「魔法の湖」である。
交響詩「魔法の湖」作品62 1908年作曲
前出の「バーバ・ヤーガ」同様に、作品の構想は80年代に始まっていた。しかしこの「魔法の湖」には元となる具体的な民話はない。
「夏のロシアの森にある湖は、とても静かで美しく、湖そのものがロシア民話のように思える。」「音楽に動きはなく、全てが止まったかのようである。しかし突然に風が吹き抜けていく。」この曲の持つ姿について、アナトーリーはこのように語った。
われわれによく知られているだけではなく、この「魔法の湖」は作曲家自身が心から愛した作品でもあった。
交響詩「キキモラ」作品63 1909年作曲(キキモラのイラスト)
民俗学者であるイヴァン・ペトローヴィチ・サーハロフの本「ロシア民話集(1841)」を元にしている。
キキモラはスラブ神話の登場人物のひとり。サーハロフの民話によると、岩山で生まれ育ち、その体は黒くて細い。人々の悪夢の魂を擬人化したものである。