辛うじて陸岸に泳ぎ着き、椰子林に駆け込む、敵機はなおも銃撃してくる。
珊瑚礁に座礁している大発動艇も盛んに銃爆撃している。直ちに本隊に連絡を取り、部隊主力のいるマルポポに集結する。部隊は朝から海岸線より1kmのジャングル地帯に退避分散する。敵機は朝から海岸に達着した舟艇に対し、終日攻撃、昼は敵機爆撃のため、舟艇の修理は不可能、夜間修理である。
9月12日岡部隊は、ルンガ飛行場総攻撃するも敵の猛攻に勝てず失敗に終わる。わが部隊は、駆逐艦、潜水艦による補給物資の揚陸作業、連日連夜の輸送も限度があり、次第に食料は乏しくなりつつあった。また、戦状も急迫しつつあった。
10月14日高速船団、笹子丸、崎戸丸、佐渡丸、九州丸、吾妻山丸、南海丸、の6隻は、わが駆逐艦に護衛されて無事、タサファロングに入泊、夜間の内に揚陸を終わる。15日午前9時頃までには、各舟の人員、重火器及び糧 秼、弾薬の8割は敵機の銃爆撃下にもかかわらず揚陸した。
敵機は、第1波、第2波と攻撃し、遂に輸送船は爆弾命中、炎上する。九州丸は、炎を吹きながら陸岸に突進、浜辺に座礁する。
揚陸地点も猛爆撃され、分散して集積した物資も炎焼す。負傷者続出、戦闘救護所開設、揚陸地点に対し、敵駆逐艦の艦砲射撃、空爆が毎日の如く攻撃され、物資の大半は焼失する。
第2師団の上陸とともに、10月22日再度の総攻撃し、飛行場の一角を占領するも後続部隊の遅れ、夜が明けるとともに後退する。
いよいよ食う物も少なくなり、マラリア、栄養失調となり飢餓の戦い始まる。11月になって駆逐艦によるドラム缶輸送が始まる。ドラム缶に150キロ、米、麦、又は糧株、薬品等詰める。浮力を付けるため半分にとどめる。詰め終わったドラム缶は、各個ロープで数珠つなぎにして駆逐艦の甲板に並べて置く、ガ島泊地に進入し、予定地点まで来たら一連のドラム缶を海中に投入、わが部隊合図のもとにロープ末端を解いて陸上へと引き上げる。このような輸送も2万有余の将兵には、行き届かなかった。
次第、次第に体力は弱り、マラリア、下痢、栄養失調の患者多くなる。11月下旬頃より医薬品も少なくなり、重病人には椰子水を注射、発熱患者にはミミズを煎じて飲ませ、下痢患者には椰子炭を服用させる。
重症患者の最後の言葉は、内地帰還したら先ず第一に豆腐にネギ入れた味噌汁が食べたいと言い残して、各分散している分隊壕を巡回治療、生きながら瞼にうじが湧く、傷にもウジが湧く、これを除ける気力さえない。
壕には戦友の屍、12月になるや薬品塩酸キニーネ1粒もなくなり、毎日10人から20人と死んで行く、塩分が不足で膝関節はガクンガクンする。戦友によって睾丸は大きく腫れ、血尿を排泄する者、夜海岸に至り、海水を汲んで塩を作る。敵機は夜間機上よりサーチライトを照らし爆撃する。
いよいよ食べる物も無くなり、椰子の芽、椰子カニ、草木、椰子水、椰子の中の白い肉、ネズミ等を食する。
昭和18年、1月になるや第38師団命令、発熱患者40度、下痢患者30回以上は患者と見なす。
第38師団命令により、わが部隊は1月31日、絵スペランスに集結せよ!
銃口をを自分の口に含んで最期を遂げるもの・・・
2月1日はわが部隊は午後7時、海岸に集結したが駆逐艦の入泊の予定時刻になっても海上より何の信号もない。
突然!!砲声が起こった。サボ島付近で海戦が始まったようだ。しばらくして沖合に駆逐艦らしい船影が見え、発光信号したところ、海上から応答があり、駆逐艦から大小発動艇発進され、これに乗艇、海軍より海戦中であるから急いでと声あるも・・・・・・・・
漸く駆逐艦に乗船、乗船終了、午後7時30分、2月1日ショートランド島午前10時頃入泊、10時30分頃ブーゲンビル島エレベンターに上陸する。
駆逐艦の中は下痢患者等による汚染は目に余るものであった。上陸とともに4m位の壕を掘り、これを下痢患者の便所とする。
この夜100名近きの戦友が飢餓の戦いに去ったのである。
戦争で戦死した者よりも飢餓と病で落命した者の方が多くて即ち、「餓島」と人々は称している。
ここに「ガタルカナルの英霊を讃える歌」(佐藤春男作)唱和し、心からご冥福を祈る。
我等が戦うふは
ソロモン海角の一孤島に非ず
すめらぎの道 ますら男の道あり
たとい時 利あらず 地の利もあらずとも
謀りを論(アゲズラ)はせず 言挙せず任のままに
我等は死を賭して戦ふ
我に十倍する敵を牽制して戦ふ
ただ黙々として戦ふ
敵は百門の砲火を集中して来たり
一兵を追ふに一機を以てす
醜虜衆を悼み物の多きに騎り
呪ふべし機械力を挙げて
わが鉄石の心を撃たんとす
敵機は密林の影に わが炊さんの煙を発見し
百門の砲はしずかなる煙を目指して集注し来たり
密林はためになびき倒れ
忽ち堆(ウズタカイ)き森は忽ち粉砕され四散す
ただ見る掘り返された赭土の原は
関として選る流血に飽き
戦友は忽ち生影を没し 骨片と肉塊とを留む
死は易く 生きは瘴癘の高熱と悪寒とに悩み
糧道絶へたれば飢餓を刻々の敵として
草根と姿醜き異虫とを食べども
意気は益々旺なり
ああ がたるかなる苦闘半歳
明け暮れを悪夢とは言はじ
奉公の一念はは冴えて命ひち燃ゆに燃え
灼熱の生は機械力と対峠しと
よく敵膽寒からしめ鬼神を泣かしむ
草根と異虫と亦限りあれば
戦友は刻々に病み倒れ 日々に数を減ず
纔に生を保って戦え
死を賭して戦ふ
ああ がたるかなる
進みて益なし守るに術なし 唯奪戦あるのみ
身は莞爾として鉄篼に枕し 異境密林の苔に横はれり
友よ任のままに転進して更に戦へ
我等密林の幽鬼は太平洋をこの一点にしづめ
啾々鬼哭は南海の潮騒をなして
ここを神風の先端地点とし
永々皇国を守り 燦として戦史の光芒たり
われの永久にこの部署去らじ
友よ安して転進し更に戦い更に撃て
須(モチ)ゐずわれを悲しみわれを歎くを