坂本龍一氏から、シルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell(注1)の名前が出たのは、会場の方々には、やや唐突感もあって意外でもあったようでしたが、自分にとってはとても嬉しくもありました。


世田谷徒然日記
Silvio Gesellに触れた坂本龍一氏


なぜなら、「3.11」以前から、もう、はるか大昔、大学院時代に修士論文を書いていたころから長年心に描いていた自分の問題意識を、いみじくも坂本龍一が共有していたことを知ったからです。


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311日の1446分、日比谷公園で、坂本龍一、加藤登紀子、辻信一、飯田哲也等々日ごろ敬愛してやまない諸氏とともに黙とうを捧げました。


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(黙とうを呼び掛けるC.W.ニコル氏)



その後、坂本龍一氏は、後藤正文氏や飯田哲也氏、辻氏とのダイアローグをしました。その席上で、坂本龍一氏の口から出たのが、シルビオ・ゲゼルの言葉でした。



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(飯田氏と坂本龍一氏の対談)



この日は、奇しくも敬愛してやまない宮崎駿監督が1984年にアニメ映画『風の谷のナウシカ』を公開した日あると同時に、いまから80年以上も前の1930年に稀代の経済学者シルビオ・ゲゼル(生年 1862年)が亡くなった命日でもありました。



「なぜ、国民の健康や安寧の危険を犠牲にしてまで、原発はあれほど増設されたのか?」


「なぜ、人々は、あれだけの事故が起きたにも関わらず、いまだに、根本的なパラダイムシフトができないでいるのか?」


「人の命や健康や家族の絆がもっともかけがえのなく、尊いものであることは、誰しも異存ないはずなのに、なぜ、経済成長が人々の幸福よりも優先されるのか?」。


「どんなに政権が交代しても一考に人々の真の幸福が担保されていないのは、なぜなのだろうか?」


こうした誰しもが抱く素朴な疑問への回答は、現政権等為政者や官僚の責任なのだというだけでは説明つきそうもないことは、みんさんが、薄々感じていることです。


その根本問題はどこにあるのでしょうか?


それは、「通貨の本質」にあると考えます。


つまり、人間が創りだした「通貨」と言う魔力が、換言するならば、どんどん肥大化し、増殖してゆく「貨幣経済」の仕組みそのものの本質に、人間と地球環境に優しくない根本要因があるのではないかと。東電等の企業活動も、政府の行動も、結局、こういった「貨幣経済」の不幸な従属変数にすぎないのではないかと?この根本問題の解決なくして、人類の穏やかな安寧は到来しないのではないかと。


その解を、真正面から解き起こそうとした人物がいました。それが、シルビオ・ゲゼルです。かつて、メイナード・ケインズはその主著『雇用・利子および貨幣の一般理論(The General Theory of Employment,Interest and Monay)』の第6編「一般理論の示唆する若干の覚書」のなかでシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell)について触れ、「将来の人々はマルクスの精神よりもゲゼルの精神から多くを学ぶであろうと私は信ずる」と述べ高く評価しています。


シルビオ・ゲゼルは彼の論文「自然的経済秩序(Die Natürliche Wirtschaftsordnung, Rudolf Zitzmann Verlag; Lauf bei Nürnberg; 9. Auflage August 1949;)」の第3部「お金の実態(Das Geld, wie es ist)」の「序論」にてこう述べています。


100世代を通じて何十億人もの人間の手から手へと渡っていった、4000年もの歴史を持つ貨幣について、学問の方法が確立しつつある時代にわれわれが確固たる概念規定や理論を持たず、また世界どこでも貨幣の公式な取り扱いが学問的裏付けのないまま従来通り行われているという事実は驚くに値しない。」(注2



また、さらに、同書の第4部「自由貨幣:お金のあるべき、そして可能な姿(Freigeld Das Geld, wie es sein soll)」の「序論」の中でこう述べています。


「山を前にした牛のように、人間の精神は抽象的なものの前で困惑してしまう。そして今まで、お金は完全な抽象物だった。お金にたとえられる物は何もなかった。金貨や紙幣など、異なった種類のお金はあったが、お金の本質である流通の制御能力との関係ではこれらの変種は完全に同じもので、このため貨幣学者はお金の本質に対してお手上げとならざるを得なかった。完全に同じだと比べようがなく、理解の糸口も見い出せない。通貨理論は常に乗り越えられない山に直面していた。世界のどの国にも、法的に認知され、お金を管理運営するための通貨理論なかつたし、今もない。どこでもお金の管理は経験則を基にして「だらだらと進められ」るが、お金の力は無制限に野放しのままにされている。ここでは金融や経済の基盤、すなはち、何千年もの間人間の手を次から次へ渡り歩き、その実際的な働きによって想像力が刺激される対象が問題になっているが、その対象をわれわれは3000年前から人工的に作り出していたのだ。これはどういうことなのか、考え直してみよう。政府部門でも民間部門でも最も大切とされることが、3000年前から意識もされず、盲目的に理解もされずに見過ごされてきたのだ。このいわゆる抽象的思考への絶望の証拠がまだ必要なら、それはここにある。」(注3



シルビオ・ゲゼルが逝去してからすでに80年物年月が経過しておりますが、はたして、我々は、ゲゼルの問題提起から何を学んだのでしょうか?世界中の為政者、経済学者や官僚達の、その間の無作為の罪を感じざるを得ません。


我々は、先の「3.11」の原発震災を契機に、単に脱原発やエネルギーシフトの議論だけに終始するのではなく、そのもっと奥深くに通底してきた人類社会経済システムの根本問題である貨幣に本質に切り込まざるを得ない時期に来ているのだと思います。



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(加藤登紀子さんからアメージンググレースも)

(注1)Silvio Gesell 1862-1930 ドイツのバイエルンの大蔵大臣も経験したアルゼンチンで成功したドイツ商人。

(注2J. Maynard Keynes ”The General Theory of Employment,Interest and Monay”(1971) ケインズはゲゼルが利子率と資本の限界効率を明確に区別し実物資本の成長率に限界を画するのは利子率であると喝破している点を高く評価すると同時に彼の「スタンプ付貨幣」を「健全なものである」と評価している。一方、彼が流動性選好の考え方を見落としてる点を彼の理論の限界であると批判している。(邦訳本「一般理論」356p参照)

(注3Silvio Gesell Die Natürliche Wirtschaftsordnung”(Rudolf Zitzmann Verlag; Lauf bei Nürnberg; 9. Auflage August1949