ゲーテ協会からのご招待で、ドイツ文化センター図書館で開催された勉強会「マルティン・ハイデガーの技術論を解明する」に出席してきた。


世田谷徒然日記


マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)を含め、哲学はまったくの門外漢なので、最初は若干の躊躇と途惑いもあったが、結構面白く、質問もさせていただいた。



20世紀の最も重要な哲学者の一人マルティン・ハイデガーは、どのような技術論を展開したのであろうか。興味津々で臨んだ。



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(轟孝夫氏と加藤氏の『ハイデガーの技術論』)

『ハイデガーの技術論』(2003年理想社)の共著者、轟孝夫准教授が明晰な解説をしてくださった。


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(会場は熱気にあふれていた)


ハイデガーの戦後の技術論展開を概観し、ハイデガーの「技術論」に対してくわえられる批判を検討しつつ、この技術論が現代に生きる我々にとって持つ意義を確認する作業を行った。


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勉強会で最も心に残った言葉は、Ge-StellとGelassenheitという2つの言葉である。ハイデガーの技術論の核心部分のキーワードである。



Ge-Stellは、いろいろな解説があるが、「集立」、「全仕組み」とか「総かりたて体制」「立て組み」さらには、「巨大な収奪機構」といった翻訳・説明まである。


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ハイデガーの講演録「Gelassenheit」




Gelassenheitは、「平穏さ」とか「落ち着き」「放下」という意味である。


ハイデガーは、自身の技術論で、こう説く。


そもそも、Ge-Stellは、もはや人類がどんなに、あがなおうとも抑止できないトータルシステムであって、それが自己増殖してゆく魔物である。


彼は、著書『技術論』の中で、原子力にもこう言及している。


「鉱物はウランに向けて、ウランは原子力に向けて、原子力は徴用可能な破壊行為に向けて。。次々とかりたてられてゆく。」


まさに先の「3.11」の原発事故は、人類のあがないきれない制御不能なGe-Stellの断末魔の帰結として、すでに、ハイデガーの予見の範疇にあったのである。ハイデガーは説く。人類の持つ技術の本質を見極めろと、そして総体としてのGe-Stellの本質を謙虚に理解しろと。


それでは、はたして、我々人類は、どうしたらいいのか。


そこで、ハイデガーは説く。平穏さ(Gelassenheit)が肝要だと。人類は、巨大な収奪装置のようなGe-Stellに呑み込まれるのではなく、平穏さ(Gelassenheit)一定の距離を置くべきだと。


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2022年までに既存原発の全廃を判断したドイツの英断と、方や事故当事者でありながら、責任回避と問題の先送りに終始し、既得権からの短視眼的な利害調整見終始して結局何も判断できていない日本のおそまつな状況の大きな違いを考えるに、実は、この対称的な両国の根本的な違いは、こういった「技術」に対する距離の置き方、さらには、Ge-Stellに対する警戒感の相違に起因しておるのではなかろうかと、ふと、思った。


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【補足説明】・・今日の講義ノートより抜粋

ハイデガーの主著『存在と時間』は、ドイツ駐在時代に、書店で原書を購入したが、多忙と難解を言い訳にいまだにしっかりと読んでいない。ハイデガーにとって「存在への問い」が、哲学の中枢問題であるとされているが、彼は、ヨーロッパがその全歴史を通じて忘却してきた「存在への問い」を新たに立てようとしていると説明されている。そして、今日の解説によると、「存在への問い」を考える上で、「技術」は、重要な意味をもつ。「技術の問題」を見てとることが、ハイデッガーの哲学の全体としての理解に不可欠の要件ともなってくるとのことである。ハイデガーは、その技術論を「立組Ge-Stell)」や「用象(Bestand)などの特異な用語を展開しつつもっぱら戦後に展開したと受け止められているが、実はその思索の展開の全過程で「技術の問題」と取り組んできたともいえるのである。今回の講演と解説では、この「技術への問い」をその生成から段階を追って外観し、またそれを通じて彼の技術論の内実を一層的確にとらえることを試みた。さらにこのハイデッガーの技術論への一般的な批判を踏まえつつ、この技術論が現代に生きる我々にとって持つ意義を確認した。ハイデガーはまた「技術の本質への問いは、芸術の本質への問いと同時に立てられなければならない」と考える。つまり、技術による存在者の開示は、芸術による存在者の開示と対比され、こうして「存在への問い」は、技術と芸術への同時的問いの内で展開されてくるのである。ハイデガーの技術論と芸術論は相互に呼応しつつ「存在」の所在を照らし出す。したがって、今回の轟孝夫氏による解説は、「存在への問い」の理解をさらに深めてくれた。芸術が生きて働いていたギリシアにおいては、技術と芸術は区別されずにテクネーτέχνηと呼ばれていた。芸術と技術の本質への問いはテクネーτέχνηへの問いとして展開される。

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