かつて、ガンジーは「地球は、人間の必要は満たせるが、欲望を満たすことはできない」と実に含蓄のある言葉を述べているが、はたして、我々の穏やかで幸福な持続可能な生き方のヒントは、実は、この言葉にあるのではないかと、現下の原発震災の惨状を観ながらふと思った。
はたして、真の幸福とはなんだろうか。古くて新しい、永遠の課題である。
思うに、「幸福度」は、程度問題だと思う。ほどほどが好い。
過ぎたるは及ばざるがごとしである。なにごとも経済的な富の追求が行きすぎるとかえって不幸になる物語は、古今東西、異句同音に語り継がれてきた真実である。
おそらく、仮に横軸が経済的な豊かさの度合い、縦軸が心に感じる幸福度であるとすると、幸福曲線は、右上がりでなく、一定の水準までは右上がりであるが、一定の水準以降は、むしろ右下がりになる曲線を描く気がする。
換言すれば、真の幸福の限界効用は一定水準まではプラスであるが、一定の点を超えるとむしろマイナスに転じ経済的豊かさの減少関数になるのかもしれない。
つまり、どの水準であるかは、別途議論を要するが、ある一定水準まで行きつけば、後は、さらなる経済的豊かさを追求することよりも、むしろ「身の程を知り」、ぼちぼちやっていった方が好いようである。
今回の原発事故は、2度とあってはならない、あまりに不条理で悲しいことではあるが、こうした壮絶な時局を、いままでの我々の生き方を改めるための、めったにないチャンスと思いたい。
この時期に、真剣に我々のway of lifeを見つめなおし、ライフスタイルを思い切って「再起動」しないと、もう2度と平穏は持続可能な日々は、我々に手元に戻ってこないかもしれない。そして、また、何度も同じ愚かな過ちを繰り返す気がしてならない。
既に有名な話ではあるが、実は、経済規模が日本の20分の1にすぎないブータン王国の国民の95パーセントが「自分は幸福」と感じているそうである。その幸福をささえているのは、お金でも健康でもなく、人間関係、隣人関係、家族関係の平和と交流だとの報告がある。
一方の、経済大国のわが国は、はたして、本当にブータンよりも幸福だろうか?
なぜ、自殺者が3万人もいるのだろうか?不幸だと思う人が多いからではないのか?希望がないと思う人が多いからではないのか?ブータン王国の国民の幸福を担保している人間関係、隣人関係、家族関係の平和と交流が、わが国では貧弱になってしまっているのではないのか?