晴耕雨読というわけでもないが、雨が降る時には静かに読書が好い。
いま、ミヒャエル・エンデの「ものがたりの余白」を読んでいる。エンデとの最後の貴重な対談集である。結構、面白い。
ミヒャエル・エンデは、若かりし頃の徒然人に、現代人類社会に潜む深刻な人間疎外の本質を見事に諭してくれた、かけがえのない人物である。
思えば、ミヒャエル・エンデの作品との出会いは、過去、3回ある。
最初は、大学1年のころ、まだ18歳の若輩の時分、たしかドイツ語の授業で、子安教授が紹介してくださったので読んだ。これが最初かと思う。
2回目は、修士論文執筆のころ。そこであらためて読み込んだケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で評価されていたシルビオ・ゲゼルの減価する通貨、スタンプ付き貨幣等の自由貨幣論を調べているうちに、エンデの思想に辿りついた。その時に、利子が利子を生んでゆく人間経済社会の金融システムの本質を喝破した「モモ」を再度読み、様々な著作をじっくり読み直したことが懐かしい。
3回目は、ドイツに赴任中。子供たちが読んでいたミヒャエル・エンデの作品に再会、あらためて、読み直し、その人間社会に対する本質的でするどい洞察と豊かな精神世界の空間に、いたく感銘を受けた。
ミヒャエル・エンデの作品は、どれも魅力的で、中でも、「はてしない物語」は、後に、映画「ネバーエンディングストーリー」となったりして世界中の人々に感動を与えたが、徒然人は個人的には、特に、「モモ」が好きである。何度読んでも実に面白い。
この物語、表題通り、モモという少女が主人公。彼女は大きな街の古びた廃墟のような円形劇場に住み着いている不思議な少女である。
モモには人の話にじっと耳を傾けるだけで、人々に自信を取り戻させるような不思議な力がそなわっている。そこに「灰色の男」たちがあらわれる。「時間貯蓄銀行」からやってきた灰色の男たちは、人々から時間を奪っていくのが仕事。時間を節約して、時間貯蓄銀行にその時間をせっせと預ければ、利子が利子を生んで人生の何十倍もの時間をもつことができるというふれこみだ。まさに彼らは時間泥棒だ。
やがて、街の人々は時間泥棒たちの言葉巧みな説得に誘導されて、しだいに余裕のない生活に追い立てられていく。気がつくと時間とともに人生の意味も失っている。
モモは盗まれた時間を人々に取り戻すため、カメやカシオペイアとともに灰色の男たちとの戦いに挑んでいく。
ここでミヒャエル・エンデは、利子が利子を生んでゆく人間経済社会の金融システムに潜む深刻な危険、つまり、しだいに余裕のない生活に追い立てられていく現代人潜在する人間疎外の「不幸の本質」を見事に喝破している。
今夏、家内と欧州にセンチメンタルジャ―ニ―で旅をした際にも、第二の故郷であるフランクフルトの昔よく通った馴染みの書店で、ミヒャエル・エンデの「モモ」と「はてしない物語」の2冊を記念に購入した。
もう一度「モモ」を、じっくりと読みたくなった。
ミヒャエル・エンデとのはてしない物語はこれからも続く。
(フランクフルトの昔よく通った馴染みの書店で購入した「モモ」と「はてしない物語」)
【ミヒャエル・エンデ】・・・公開情報より抜粋
作家。1929年、ドイツ南部、ガルミッシュ生まれ。1995年66歳で逝去。エンデの父はシュールレアリスムの画家エトガー・エンデ。1950年から俳優として演劇活動をおこった。そのかたわら、戯曲、詩、小説を試作。1960年『ジム・ボタンの機関車大冒険』を発表。この作品で1961年にドイツ児童文学賞を受賞。その後、『モモ』、『はてしない物語』(ネバーエンディングストーリー)などを発表。現代社会を鋭く見つめて描かれた作品は、児童文学の枠を超え、世代や国境を越えて世界中に愛読されている。『モモ』の日本語版は150万部を突破し、ドイツ語版に次いで多く読まれている。

