この夏は収穫の多い夏だった。その1つに生涯初めてのラオス訪問があった。

世田谷徒然日記


ラオスのガスも水道も電気も道路すらも通じていない陸の孤島のカム族の村を訪問して、その静かな穏やかな空気に触れ、寝食をともにし、子供たちのあどけない笑顔に触れて、日本が高度成長の過程で、過去に置き忘れてきてしまった大事なものが、あたかも「補集合」のごとく、しっかり健全な形で残っていることに衝撃を受け、あらためて、「真に豊かさとはなにか」について考えた。


世田谷徒然日記




日本が過去に置き忘れてきてしまった大事なものとは、「静けさ」「含羞」「優しさ」「笑顔」「思いやり」「人間の持つ美しさ」「ゆったり流れる時間」「緑の輝き」「人と自然への一体感」等々である。これが、ラオスで再発見した宝物である。


世田谷徒然日記


おおよそ東京での生活では、ともすると縁遠くなるものばかりである。


日ごろはその「大切な物の欠如」という深刻な事実にすら気づかずに、あわただしく日々を過ごしている我々も、遠く、南方の内陸国ラオスでしばらく生活してみて、はっと気づく。


世田谷徒然日記


これだけ豊かになったはずの日本だが、2週間ぶりにまた帰国して、東京の生活に戻り、せわしなく行き交う人々の表情を伺うと、霞が関や大手町あたりで下車するサラリーマン諸氏の横顔を観ても、あまり豊かな人生を楽しんでいるようにも思えないのはなぜなのだろうか。おそらく場合によっては、彼らの年収は、ラオスの一般の人々の年収の100倍以上かもしれないが。あまり財務的な豊かさは人生の豊かさを担保しているとは思えない。


ILO2003年の報告で、かつて「働き蜂」の国といわれた日本の労働時間も1980年には2121時間であったが2000年には年1826時間となり米国の1825時間とほぼ同じ水準になったが、それでもまだ欧州諸国ではノルウェーの1342時間、ドイツの1444時間など日本よりずっと短い国が多い。改善したとは言ってもまだ日本人はドイツ人よりも1ヵ月半も余分に働いているらしい。


かつて、神々がシーシュポスに与えた罰は、大きな岩を山頂まで押し上げることであった。岩は、山の反対側に転がり落ちていき、シーシュポスは再び山を下りて岩を押し上げる。これを永遠に続ける苦行である。


この岩を永遠に山の頂上まで持ち上げ続けるギリシャ神話の人物のように、我々人類はいつまで働き続け、疎外感を伴いながら、生きてゆくのだろうか。


いつか解放される日が到来するのだろうか。それとも、これは、シーシュポスと同様に、永遠に終わることのないnever ending storyなのだろうか。


紀元前2000年から18世紀の初めまで、地球の文明の中心地における人々の生活水準は、疫病や飢饉はあったものの、ほとんど変化を見なかったと言われている。理由は重要な技術改善や資本蓄積が行われなかったからだとされている。


16世紀に開始された資本蓄積はスペインが新世界から旧世界にもたらした金銀財宝の利潤によって始まった。その時から現在に至るまで「複利」による蓄積力は驚くべきだと、かの経済学者のケインズは指摘している。


その結果資本の増加は旧時代の100倍をはるかにこえる大きさとなった。


経済的な問題、すなわち生活物資のための闘争は常に緊急な問題であったが、これが解決すれば、はたして人類には余暇と豊富の時代が到来するであろうか。


ケインズが、いみじくも予言したように、この200年間、最も下劣と思われた「貨幣の所有欲」を最高の価値ある地位に押し上げてきた道徳原理をようやく我々は追放できるであろうか。



否、まだ100年は貪欲・高利貸・将来への蓄えはまだ必要だとケインズは警告する。


むしろ資本が人をさらに働かせ、人間疎外を加速させているように思えてならない。人類はいつどこから誤った道に入り込んでしまったのであろうか。


ケインズは、いみじくも、人口統制の力、戦争と内乱を回避しようとする我々の力、科学固有の問題と管理を科学者にまかせようちする我々の意思、貯蓄率の4つが将来の「貨幣の所有欲」追放に到達できる速度を決めると喝破している。


はたして、いずれは、「貨幣の所有欲」を追放できる日がやってくるのであろうか。


そして、日本が過去に置き忘れてきてしまった大事な「静けさ」「含羞」「優しさ」「笑顔」「思いやり」「人間の持つ美しさ」「ゆったり流れる時間」「緑の輝き」「人と自然への一体感」等々は、いつになったら、我々のもとにもどってくるのであろうか。