先日お話を伺った旧知の黒川清さんが面白いことを言っておられ思わず噴き出してしまった。

以前から日本の政治家は“leader”ではなくて“reader”だ。と。


なぜなら役人の書いたものをそのまま読んでいるからである。日本人に「R」と「L」の発音が区別しにくいのはわかるがここまで違わなくってもいいだろうと。


なかなか洞察が鋭いし辛らつだ。

日本の強さと弱さは何か?


技術は素晴らしい、しかし、「構想力」と「発信力」さらには「世界への行動力」が欠如してしまっている。みごとに抜け落ちてしまっている。


これは企業なり国家の経営力の問題である、と。


後者の「国家の経営力の問題」は、上述の“leader”ではなくて“reader”である政治家の限界の問題に象徴されている。何も考えていないのではないか?馬鹿丸出しではないか?たしかに官僚が丹念に書いた隙のない原稿を読むことは、相手に言質をとられない無難なやり方であろうが、もっとも重要なメッセージがこれでは国民に伝えわらない。そして最も重要なリスクを内包している。それは、国民に尊敬されなくなる最も恐ろしいリスクである。


前者の「企業の経営力の問題」は、日本企業の特性に現れている。例えば、世界では現在毎日100万台の携帯電話が売れていることは周知の事実であるが、はたして日本のシェアはどうか?驚くなかれ、寂しいくらいマイナーである。ノキアは世界の携帯シェアが38%もある。続く14%がMotorola、12%が韓国のSamsung、そして、ようやく9%がソニー(SONY-Erickson)である。残念ながら、日本の携帯電話は10数社を合わせても世界の5%程度のシェアなのである。しかし、一方で、確かに世界の誰もが認めることではあるが、部品では日本製の性能は良い。世界中の携帯電話の部品の65%程度がmade in Japanである。これ自体は世界に誇りうることである。


それなのにもかかわらず、それを有効に使って新基軸を生み出す「構想力」が貧弱である。部品を構成させデザインし世界に冠たる携帯メーカがなぜ育たないのか?

なぜ日本にはルイ。ヴイトンが生まれないのか?なぜ、日本にはi-podが誕生しなかったのか?


いまや深刻なのは、オーバースペックナ品質間管理に担保された行き過ぎた高機能製品はいいものの、日本には、グローバルにデザインし、世界に発信してスタンダードを築いてゆく気力とパワーがどうも脆弱である。


かような文脈で、日本の行く末を考えるに、はたして我々の国家経営者はグローバルデザイナーにはなれないのであろうか。日本企業は、万年下請け部品製造国家であるのであろうか。そして国家経営者としての政治家は、いつまで“reader”なのであろうか?


百歩譲って仮に“leader”ではなくて“reader”であっても、さらに心配なのは、単なるご愛嬌の誤読やら原稿を読み間違える次元のミスよりも、むしろ、世界の空気を読み誤まるような“mis-reader”を持つ日本が抱える深刻なリスクの方である。