現代人には「アジール( asyle )」が必要なのではないか。
「権力や世俗の介入を拒む不可侵の聖域」を「アジール( asyle )」と呼ぶ。ギリシア語συλονに由来するフランス語 asyle に由来する。
確かに徒然人が住んでいた鎌倉にも「大半の場所が統治権力の支配下となってもその支配を受けない場所」、「アジール( asyle )」があった。
1つの例は「駆け込み寺」で有名な東慶寺であろう。あの寺は好きでよく通った。小林秀雄や和辻哲郎、西田幾太郎の墓参にも通った。代々尼寺であり近世を通じて「縁切り寺」として知られていた。別の名を「駆け込み寺」と呼ぶ。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。それは一種の「アジール( asyle )」であったのだろう。
思うに、いまの世の中、特に日本には、このアジールが少なくなってしまっている気がする。だから、閉塞感があるし、現代人が心の底から安らがないのであろう。心が疲れ病める顔をした人々を通勤電車でもよく見かけるが、いまの東京にこそアジールがあったらさぞかし救われる人も多いだろう。
徒然人にとって「不可侵の聖域」という意味で一種の「アジール( asyle )」は、竹の寺で有名な報国寺の日曜座禅会であった。鎌倉の自宅から歩いてすぐのところにあった。10年間、そこの座禅会に毎週末通った。なぜかあの静寂の中で座すると心底浄化するのが実感できた。そして座禅後に寺の竹林を散策すると、木漏れ日が美しく、小鳥のさえずりが快かった。
またぶらっと座禅しにゆこうかな。