外部と隔絶された土地で固有の種が固有の進化を遂げている状態を「ガラパゴス症候群」と呼ぶそうだ。



特に日本の携帯電話が世界標準と乖離孤立してしまっている状態を形容する場合にも用られるが、実は、深刻なのは、日本が携帯電話だけではなく様々な分野でこの現象に陥っている懸念があるということである。

「ガラパゴス症候群」という言葉の深刻な点は、「外界から隔絶された環境の中でひたすら最適化を目指していく個体は究極の進化を遂げるものの、ひとたび見慣れぬ外来種が上陸すると、それとの競争に敗れ絶滅する可能性が大きい」ことにある。



現在大西洋を越えて欧州と米国でリンケージがされようとしている排出権市場においても、日本は完全に別世界で歩もうとしている。また、最近方向が固まりつつある世界の会計基準も、日本は逡巡していた時期があった。へたすると日本と欧州の標準間の拮抗の狭間で漂いつつ無作為に疎外されっるリスクだってあった。かような判断停止や狭い自説への固執に伴う置いてきぼりリスクの事例には枚挙にいとまがない。



むろん、鎖国という選択肢も理論的にはゼロではないかもそれないが、限りなくゼロに近いことは異論がなかろうし、また日本方式がすべて悪いわけではなきことも確かで、むしろ世界の大勢を占めているデファクトスタンダードが日本方式よりも劣後しているケースだってあるとは思うが、なれば、世界全体の厚生のためにも、なぜ日本は世界的レベルで自説を主張しなかったのかと聞きたくなる。



そして最後ギリギリになってもう後がない局面で極めて不合理で不利な着地をする。そして後で責任のなするつけあいやら愚痴が始まる。京都議定書締結批准後の日本国内でも対応もそうである。やはりそこにはガラパゴス症候群」の最も悪質な症例がかいまみれる。



今回の低次元な永田町の茶番もそうである。おそらく、日本独自のロジックとパッションでなんとなくこのまま総括もされることなくズルズルと新しい局面に舞台が移行してゆくのであろうが、これでは永遠に日本はガラパゴスである。福田さんの顔がイグアナに見えてくるのは徒然人の錯覚だろうか。