平戸の帰路、伊万里に立ち寄る。
伊万里に関心を持ったのはマイセンがきっかけ。
ドイツに8年間住んでいたころ、幸いにも東独のマイセンの窯元を訪問する機会があり、そこで、その美しい陶器のルーツが古伊万里にあることを知り、一度機会があったら訪問してみたいと思っていた。今回、平戸から長崎に帰るルートを眺めていてふと伊万里が意外に近いことに気がつき、帰路立ち寄ることになった。
窯元は伊万里市内にはなく、郊外の大川内山にある。ここは、”秘窯の里”として親しまれ、以前、中国景徳鎮の官窯の組織を模し、鍋島藩御用窯が置かれていたところである。驚いたことに、大川内山は周囲を高い山が囲んでおり、職人をここに隔離して製陶に従事させたのであろうか。同じ話をマイセンでも聴いたことがあったので符合する歴史があるのだと不思議に思った。
説明によると日本で最初に磁器を完成させた鍋島藩は、より高い品質と技法の維持に努め「藩窯」を組織し、1675年には有田から大川内山に藩窯を移して、その技法が他に漏れないようにしたらしい。この藩窯では大名や将軍家、朝廷に献上するための高品位な焼物を焼き続けたとのこと。鍋島とも呼ばれている。
実際に大川内山を訪問してその秘窯の里の静謐な空気に感動した。そこには秘窯のレンガ造りの煙突や窯元が今もなお伝統と歴史を守り続けていた。たまたま運良く、風鈴市を開催中で、記念に少し伊万里の風鈴も買った。
初めて登り窯も実際に見学させていただいた。
江戸時代の頃、有田周辺で焼かれ伊万里津から運ばれた焼物を伊万里といい、赤絵に金をほどこした物を古伊万里様式と呼ぶらしいが、 光沢の優れた白磁の肌に染付と赤・緑・黄の三色を基調として美しい上絵が描かれている色鍋島よりも、むしろ徒然人は、青磁原石を細かく砕いた釉薬をかけて焼き上げた鍋島青磁が好きである。おそらくマイセンは鍋島青磁に近い。自然の青翠色の光沢が神秘的な美しさをかもしだいている。
【伊万里関連サイト】
(大河内山専用HP)
http://www.imari-ookawachiyama.com/
(大河内山地図)
http://www.imari-ookawachiyama.com/access/index.html
古伊万里は、大昔、ここ伊万里の港から国内各地をはじめ遠くアジアを経てヨーロッパへ渡っていったようで、その後、伊万里の名が焼物の代名詞として使われ、この中でも絢爛豪華な金彩等をほどこした物は、ヨーロッパ王侯貴族が愛用されたらしい。徒然人が欧州に駐在していた時代にも、ヨーロッパの宮殿や美術館でよく古伊万里を見る機会があったが、 ヨーロッパ陶磁器の歴史に大きな影響を与えたようで、日本人として誇らしく思ったことを思い出す。







