年初から基軸通貨のドルが落ちている。金価格が急騰している。ドルは3月の安値95.78を底に6月高108.58へともちなおしつつあるものの、200日線のような長いトレンドから見ればドル安つまりドルは売られ続けているのである。

これは何を意味しているのか。

37年前のニクソンショックでドルが金との兌換をやめて以降、通貨発行に歯止めがかからずに無節操に印刷され続けてきたいまや希薄化しつつあるドルが、ついに見限られているのである。そして、市場は一斉にドルに不信任を表明し、その具体的な意思表示として金を猛烈な勢いで買っているのである。市場は正直である。不安なものからいさぎよく逃げてゆく。



「金」という「錨(いかり)」にしっかりと固定されていた時代は、ついに1971年、時の米国大統領ニクソンの声明で、一夜にして終焉を迎えた。一方的でセルフィッシュで唐突なドルから「金」への絶縁宣言であった。そしてドルは自由を手にした。そしてドルは放任され世界を彷徨い始める。その後、インフレとバブルというやや不健康な媚薬の効力もあって、レバレッジという魔力もあって、世界の経済は拡大した。しかし、この媚薬と魔力には深刻な副作用もあった。1997年のアジア通貨危機、2007年のサブプライム危機、死屍累々、枚挙にいとまはない。その多くの犠牲者は貧しい人々である。その多くの犠牲の上に、空虚な繁栄が謳歌されてゆく。



歴史は繰り返すと言うが、避けられうる愚かな不幸は繰り返すべきではない。もしも人類に記憶と知恵があるのであれば。ここに来て人類はようやくこの愚行に気がつき始めてきた。そして、人類は自然の中のささやかな存在でしかないこともあわせて。



はたしてこの深刻な問題、どう処方するのか。その「解」はある。再び「錨(いかり)」を下ろすことである。37年前ニクソンが断ち切ったこの通貨と金を結び付けていた「紐(ひも)」を再び、何らかの「希少な財」に結びつけることである。



その「希少な財」は、何も再び「金」でなくたって好い。世界中の誰もが単純に分かって、大事だと認知できうるものが良い。そしてその価値は世界で共通に評価できるものが好い。せっかくなので、できたら地球に優しいものが好い。



それでは、有限で貴重で、世界中の誰もが大事だと認知できうるもので、世界で共通に評価できるもので、しかも地球に優しいものってナンだろう。


その「解」は、「地球環境」である。


ここでようやくいままで疎遠であった「国際金融」と「地球環境」が正面から向かい合うのである。両者とも、グローバルで国境を越えて往来してきたお互い似たもの同士である。もしも、「地球環境本位制」がなんとかできれば、安定的な経済発展や持続的な豊かさを担保できる仕組みが復権するだろう。



でも、「地球環境」って、実にあいまいで抽象的である。これって何をもって表すのだろうか。


世界中の誰もが認知しうる基準ってなんだろう。この「解」はある。それは「カーボン」である。いまや世界中の英知が結集して、6種類の温室効果ガスの二酸化炭素換算で「カーボン」という共通表記が認知されつつある。この「カーボン」を基軸に、新しい国際通貨体制を構築することは絵空事だろうか。


「そんなのできっこないよ」「いろいろ問題があって困難だ」と、多少でも国際金融に精通した人はしたり顔でそういうだろう。


しかし、待ってほしい。そして思い出して欲しい。ユーロが誕生する前にも多くの経済学者やエコノミストはこういったことを。「そんなのできっこないよ」「いろいろ問題があって困難だ」と。