銀座で待ち合わせの前に、グレン・グールド(Glenn Gould )のモノクロの記録映画を見た。27歳の時のグレン・グールドの「off record」と「on record」双方のリアルな横顔を見事に描写している貴重な映画である。


この映画は以前ドイツにいたころ欧州のどこかの街の映画館で見た記憶がある。あの時に受けた感動がまた今日も再現された。


今年は、ちょうどグレン・グールドの生誕75年で没後25年らしい。


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彼の魅力は、なんといても既存の慣習にとらわれない自由闊達さと、はにかみにも似たそれでいて頑固な性格であろう。


どうも用意周到な隙のない秀才よりも少し間の抜けたところのあるとんがった天才の方を徒然人は好む。出過ぎる杭は打たれないというが、器用な秀才が多い昨今、グレン・グールドの存在感は増すばかりである。グールドの演奏独特の躍動感、抒情性、挑発性は、問答無用と感動を与えれくれ、それに録音の背後に聞こえる鼻歌がまた実に好い。そして、今日の映画でも再認識したが、自由闊達で良質のユーモアが彼が弾くバッハ以上に彼の感性を多くを感じさせる。


バッハのイタリア協奏曲をニューヨークのCBSスタジオで収録しりシーンが実に面白い。言葉が多いだけでなく、辛辣だ。録音スタッフとのかけあいがまた面白い。


映画の中のシーンで、NYのシュタインウエイ社の地下のピアノ倉庫で演奏用のピアノを選ぶ際に、めずらしくモーツァルトを弾いたのが印象的であった。彼はとくにモーツァルト嫌いは有名だった。「モーツァルトの作品が嫌いだというのではない。もっと否定的だ。つまり許し難いのだ」「モーツァルトは早く死にすぎたというより、死ぬのが遅すぎた」とまで書いている。彼にとって大作曲家の権威なんぞはくそくらえなのだろう。言い過ぎかとも思うが、彼によれば、モーツァルトは長じるにつれ、気質のままに図に乗って二流の作曲家になってしまった。だから死ぬのが遅すぎたというのだ。


その分、バッハは彼の人生の一部になってしまってるようだ。イタリアもインベンションも、最初にヒットした1955年6月の『ゴルドベルク変奏曲』(ニューヨークのCBSスタジオで収録)と同様に好い。徒然人は彼のバッハが好きである。


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(いまこれを書きながら聞いている愛蔵のグールドのCD)


【グレン・グールド(Glenn Gould )】(公表データより抜粋)

1932年9月25日トロント生まれ。ピアニスト・思想家。幼少より楽才を示し、トロント音楽院(現ロイヤル音楽院)に学ぶ。作曲家を志すが、ピアニストとして十代よりカナダで認められる。1947年トロント交響楽団と初共演、1950年CBC(カナダ放送協会)で初のラジオ・リサイタル。1955年、22歳で米国デビュー。翌年発売した《ゴルトベルク変奏曲》のアルバムで従来のバッハ解釈を刷新し、話題を呼ぶ。57年にソ連や欧州への演奏旅行に成功。以後、独自の選曲と解釈で名声を高めていくが、64年のリサイタルを最後に舞台から退き、以後はレコードと放送番組のみで演奏活動。音楽論やメディア論をめぐる文筆も行ない、新しい音楽作品を意図した「対位法的ラジオ・ドキュメンタリー」の制作も手がける。終生トロントに暮らし、82年10月4日脳卒中にて急逝。死後も人気は根強く、録音・映像・著作の紹介や学術研究が続いている。