不思議な事実に気がついた。
ユーラシア大陸のウエストエンドとイーストエンドのそれぞれ島がある。
ウエストエンドにある島が英国、イーストエンドの島が日本である。
この2つの島国には共通点がある。
それぞれ英国は自国をヨーロッパの1つと思っていない節があり、
日本は自国をアジアの1つと思っていない節がある。
より正確に言うと、地理学の常識的な「知識」としては、もちろん英国は自国がヨーロッパの1部であることも
日本は自国がアジアの1つであることも知っているが、本質的な部分で自国とは異質なものを感じ、それぞれの大陸に対して一定の距離を置いている事実である。この距離は互いを隔てているドーヴァーや対馬海峡の距離以上にそに
乖離は大きい。
そしていまや、英国がその特異性によって今日に至るまで、「ヨーロッパのゲートウエー」としての役割を果たしてきたのと同様に、我が国日本も、「アジアのゲートウエー」としての役割を演じようと、目下その脚本つくりに懸命になっている。はたして、我が国が英国のそれと同様に、ゲートウエーとして機能し、またアジアから世界からその貢献を期待されてゆくであろうか。
また、英国はEUという新しいパラダイムの中で「ヨーロッパ化」を進めているが、同様に、そのスピードも形も違うが、
日本もまた「アジア化」してゆくのだろうし、そうであらねばなるまい。
日本も、「アジアのゲートウエー」としての役割を演じ、「アジア化」してゆくのには、それには重要な要件がある。
1つは文化である。1つは自負である。1つは大局観である。
日本はその3つを持っている国だと思っている。だが、そのプレゼンテーションは苦手かもすれないし、自国の経済規模やその影響力の割りに、自国の存在感を過小評価しているきらいもある。不遜になることもないが、あまりの過小評価しすぎることも不要である。
日本の過去2000年の歴史の中で、アジアを初め諸外国の人々から強い関心をもたれ学ぼうとされるようになってきたのは、たかだかこの100年間である。西洋の知の体系にまったく遜色のないユニークな文化と思想が、そこにあり、植民地時代の終焉以降ベトナム戦争と経由して先のイラク紛争を見るまでもなく、欧米流の単線思考に限界が訪れ、これだけグローバルな混迷の時代に、今度は日本が何か新しいパラダイムを発信してくれるのではないかと世界は注目している。
地球環境と言う巨大で深遠なテーマに、産業革命を起こしたユーラシア大陸のウエストエンドの英国は目下、グローバルカーボンマーケットという装置を欧州大陸諸国と共同しながら懸命に取り組もうとしている。そして、一方、ユーラシア大陸のイーストエンドの我が国はいかなる「解」を世界に提示するのか。アジアにはインドと中国という巨大なカーボンポテンシャルの大国が控えている。そして日本は世界一の環境技術立国である。
もはや米国にもドイツにも英国にも学ぶものはない。その新しい「解」もう日本自身が自分で考え作ってゆくしかないのである。