先週末、大好きな祖父が亡くなりました。
97歳の大往生です。
苦しまず安らかに、眠るように逝きました。
12年前に祖母が他界。
人一倍活発でチャキチャキしてて、いつも祖父のお尻を叩いて動かしてた元気印の祖母。
おしどり夫婦で、口喧嘩しながらも仲良しで。
祖母は大好きな祖父の為に毎朝きちっとお化粧して髪を整え、おしゃれを欠かさない人でした。
本当に仲が良くて私の憧れの夫婦でした。
年を取ってもこんなふうに仲良く手を繋いでいられる夫婦になりたいなって。
パパにもよくその話しをしていました。
朗らかでおっとりしてて、笑顔を絶やさない優しい人柄だった祖父。
単身赴任で不在だった父の代わりに、祖父はいつも私の拠り所でした。
なんでも出来るスーパーマンでした。
いつも遊んでくれる親友でもありました。
親の隣ではなく、いつも祖父母と一緒に寝ていました。
思春期に母と喧嘩して家出した時には、祖父が何時間も歩き回って探しに来てくれて。
落ち込んでいる時には、ただ黙ってそばにいてくれて。
嬉しい時には一緒に一番喜んでくれて。
パパ(夫)と祖父が私の一番の理解者でした。
そんな2人を短期間に続けて亡くして、私は一体どんな悪い行いをしたのかと神様に問いました。
試練なんて表現でも生易しい。
この上ない苦痛を、よりにもよってこんなタイミングで与えられた事に何か意味はあるのでしょうか。
私の人生の柱である大きな存在2つ。
やっと少しだけ立ち上がれたこのタイミングで、それを許さないかのように上から叩きのめされた様で。
この苦痛から何を学べと言われているのか
今はまだ考える事すら出来ていません。
ある程度覚悟してたから何だと言うのか。
パパの時にも言われた。
病状から覚悟できてたよねって。
そして祖父の時には
年齢的にもう覚悟してたでしょって。
覚悟って何。
心の準備って何。
そんなものは存在しない。
とにかくツラく寂しく、悲しみはドス黒く。
苦しい日々は終わらない。
パパの事、少し前を向けたと思ってた最近。
でも、ただ蓋をして見ないようにしていただけで全然受け入れられてない事を祖父の死で思い知りました。
火葬場で、強烈なフラッシュバックに見舞われて。
パパの棺が炉に入れられたあの光景がコマ送りみたいに目の前で再生されて、過呼吸を起こしました。
控室で横になってる時に、姉や従姉妹が泣いてくれた。
「あんた泣きなさい」って。
「◯◯君が亡くなってからずっと泣かずに我慢してるから、こんなに苦しくなるまで溜め込んでる」って。
「しっかりなんてしなくていい。取り乱していい。思い切り泣いていいんだよ」って。
「ツラくないわけないんだよ、みんな分かってるよ。あんたが平気そうに振る舞うのを見てみんな心配しまくってるんだよ本当は」って。
従姉妹にガシッと抱きしめられて、涙が止まりませんでした。
しばらくは、またしんどいかな。
パパの時とはまた少し違うけれど、大きな原動力を失ったのは確かです。
おじいちゃんの遺影に、真っ直ぐ向き合えない自分がいます。
夜、眠って目覚めたら、もう10年くらい一気に経過して立ち直れてたらいいのにって思います。