3.11前後は仕事をしていなかったこともあり、twitterとUstとニコ動にかじりつきの
毎日を過ごしてました。日本のマスコミがなかなか報道しないような海外メディア
経由の被災地の写真等を見ているうちに多かれ少なかれ誰もが思う「何かできること
はないのか」ということを考え始めていました。
まずは募金と救援物資の提供。
コンビニで赤十字へ募金と被災地の市区町村HPをチェックし、直接その町へ
義援金が送れる準備があるものは、その口座に振込をしました。
また、ZOZOTOWNのチャリティTシャツ販売やFOREVER21の一日オンライン
売上募金プロジェクトを知り、商品購入という形で募金しました。
いいですよね、こういう商品購入で募金ができるのは。
わたしは札幌スープカレーが大好きですが、札幌のスープカレー店では
義援金スープカレー(@soupcurrykizuna)「絆」プロジェクトを
行っています。こちらは食べて売上の中から義援金が送れるプロジェクトです。
救援物資の提供はtwitterで中野裕之さん(@hiroyukinakano)経由で
塩釜出身の写真家平間至さんが塩釜へ直接運送するプロジェクトを知り
恵比寿まで物資をお届けしました。
http://pippocamera.com/main/?cat=18
平間さんの出発前日に持って行きましたが、仕分けされているところを
見るとものすごい量。すごいなtwitterの力…と思いながら帰りました。
ボランティアに行きたいけれど、はじめてで、周りに「一緒に行こう!」と
言ってくれる人がいなかったら、なかなかハードルが高いです。
しかも、当方、腐っても、女子…┐(´д`)┌
問題としては、
・移動の足
(主要駅まで行けても、その先はどうやって移動したらいいのか)
・泊るところ
(現地に泊まるところはあるのか、あっても予約で埋まっていないのか)
・ボランティア保険
(どうやって加入したらいいのか)
・ニーズはあるのか?足手まといにならないか?(初心者だけどやれるのか)
があげられます。
もし自分が男子だったら食料と着替と寝袋もってバイクで行きます!的な
強行軍も可能だったと思いますが、迷惑になってはいけないと
思えば思うほど「やりたくてもやり方がわからない」状態に陥りました。
そんな時、どなたかのtwitterのつぶやきで、今回参加させていただいた
めもり~旅行さん(@memorytravel)企画のボランティアツアーを知りました。
めもり~旅行さんのHPはこちら。http://memory-travel.com/
「これだ!」と思い、申込を決めます。4月中の日程が予約で埋まっていたため
GW明けはボランティアに参加する方が少なくなるということを聞いたこともあり
5/13~5/15の日程を申込しようと思い、電話予約しました。
予約の際に「長靴は持って行ったほうがいいですか」など服装について質問し
行程表など郵送するので確認してくださいと言われました。
5/13(金)、池袋に24:30集合だったため、仕事が終わった後、いったん川崎の
自宅に戻り準備。着替えをし池袋に向かいます。
集合場所の三菱東京UFJ銀行前に行くと、すでに7人ぐらい、それっぽい女子が
体育座りでバスを待ってました。見るからに「ひとりで来ました」的な人が
数人いて、少し安心。ああ、「おひとりさま」はわたしだけじゃないんだな、と。
その後も数人単独だったり、グループだったり(ほとんど女子)、列が増え
バスを待ちます。一度深夜バスで仙台に行ったことがありますが
ほぼ眠れなかった経験があるため、今日も眠れないだろうなぁと
予想していました。
ちなみに当方の持ち物はこんな感じです。
・軍手
・スニーカー
・パーカー
・ブルゾン
・ジーンズ
・肩掛けショルダーバッグ
・エコバッグ
・フェイスタオル
・お菓子
・飲み物
・絆創膏
・ウエットティッシュ
・パジャマ替りのワンピ
・携帯の充電器
・iPod
・携帯2台(iPhoneとauガラケー)
持っていけばよかったと思ったのは
・エプロン
・キャップ
・日焼け止め
・バスタオル(ホテルがバスタオル別料金だったため)
・レジャーシート
・もっといろいろな救援物資(援物資を集め提供していたため)
です。今後同ツアーに参加する女子は参考にしていただければ。
男子はがれき撤去や民家の掃除などあるため、必要な持ち物は増えます。
バスが集合場所に到着。窓に張り紙しててちょっとすごいΣ(゚д゚;)

座席指定ということ。バスに乗り込むと窓際にすでに女子1名。
眠そう。しかもかわいいぞ。(のちに保育士さんと判明)後ろには男性陣。
大きな荷物を抱っこして座ろうとしたら、「後ろに荷物おきなよ!
疲れるでしょ」と声を早速かけていただきました。当たり前のことかも
しれませんが、やさしい!
自分はわりとチキンで初対面の人に自分から話しかけられないところが
あるので「そんなんじゃだめだ!w」とこの時スイッチが入りました。
毎晩晩酌しないと眠れない体質(^▽^;)なので、やはりバスでは寝られず。
佐野SAで飲むヨーグルトをぐびり。うまし。

国見SAで歯磨きした後、朝食用弁当が配られました。ヘルシーで良かったです。
宮城に入り、仙台市内に入ると、窓の外に震災の爪痕が見られるようになりました。
田んぼだったと思われるところに流木。ひっくり返ったままの車。
大量のつぶれた車が折り重なった駐車場。積み重なったがれき。
窓に紙を張って中が見えないようにし、営業をしていない大型店舗。
斜めに傾いた電信柱。
周囲の人も窓の外の景色に目を奪われていました。
少し不安になります。これから行く、七ヶ浜は、もっとすごい状況のはず…。
塩釜の若芳荘さんで昼食用のおにぎりを受け取るため、約50分程停車。
少し周囲を歩いてみました。






撮った写真についてtwitterでつぶやくと友人が「気を付けて行ってきてね」と。
再びバスに乗り込み、七ヶ浜へ向かいます。
砂浜にうちあげられているコンテナ。
1階部分が無くなり。斜めに傾き地面に刺さっている家の2階部分。
基礎だけになった家。たくさんのがれき、流木、前が壊れた車。
家が残っている場所と家が流された場所が、まるで線を引いたようにくっきり
遠目からも分かれていることが判ります。バスからの景色を見ながらますます
不安が募りました。
被災した人と、目を見て、話せるのだろうか。
自分が気づかぬうちに、不注意な言葉や行動で、傷つけたり
悲しませたりしないだろうか。
ボランティアセンターで活動する組とお別れし、国際村へバスは向かいます。
国際村に向かう途中、がれきを積んだ集積所?のようなところが目に入ります。
言葉を失います。半端ない、その量。


「がれき」に見えるあの山には、きっと、3.11以前の毎日の全てが、つまっていたのだろう、と。
※肉眼で見た中でも被害が半端ない地域は写真を撮れませんでした。あまりに途方に暮れて。
国際村に着くと、バスから降り、被災された方が数名、さっそく挨拶しに
集まってきてくださいました。
ひとりのお父さんが「お!妹とおんなじ名前だ!あんたいくつ?」と
ネームプレートを見て声をかけてくれました。
「え、○歳です」…あたし、早速の歳ばれw
私たちが緊張している?のを察してか、声をこうしてかけてくださる
ところは頭が下がります。チキンな自分は置いておいて体育会系スイッチを入れます。
炊き出し班担当で、作るメニューは焼きそばとサラダと味噌田楽。
まずは機材のセッティング。次に野菜を切ります。大根を千切りに!と
言われるものの、大根部隊は「千切りって…細長いやつだよね?」
「よくサラダに入ってるやつだよね?」…料理スキルもばれる始末orz
家で使ったことのないスライサーをぎこちなく使い、大量の大根と
きゅうりがカットされます。レタスは手でちぎり、水菜もカット。
火力が多少弱いこともあり、焼きそば用の人参も千切りに。
キャベツと玉ねぎもカットし、もやしと麺を袋からだし、ひとまとめにします。
そして皆が苦戦したのはコンニャクのカット。
ここでコンニャクマスターが登場。美しいカット!
コンニャクマスターはなんと札幌から親子で参加してきたツワモノです。
下準備が終わり、こんにゃくをゆで、焼きそばを焼き始めます。
焼きそばを焼いてくださるのは、なんと乗ってきたバスの運転手さん。
タコ焼きを焼いて売っていたこともあるそうでさすがの手つき。
お弁当箱に焼きそばを盛る人、コンニャクをのせる人、味噌をかける人。
サラダを盛る人、紅ショウガをのせる人、青のりをかける人、
ふたをして、渡す人。
作業を分担し、初めてながらみなチームワークで動きます。

めもり~旅行さんいわく、若干この日は(受け取りに来る)人が
少ないとのこと。そう、この日は同じく国際村で炊き出しされていたのが
ホテルメトロポリタン仙台のシェフさん。ちょw向こうプロΣ(T□T)
ホテルのシェフさんが炊き出しにくるなんてすごいなぁと思いながら
料理人だからこそ少しでもおいしいものを食べてほしいという気持ちで
活動されているのだろうなぁと思い、また頭が下がります。
運転手さん(心の中で師匠と呼んでいたw)の手ほどきを受け、
2度ほど焼きそばを焼かせていただきました。一度に焼くのが15人前前後。
意外と体力を使います。おいしく焼けますようにと、心を込めて。
9時前後からスタートし、13時半ごろから後片付けと休憩。
おにぎりと余った焼きそばでお昼ご飯。
みんなバスでほとんど寝ていなかったのか少しだけ疲れが表情に
でていました。後片付けの時に思いましたが、みな、休まないというか
すごい譲り合うなと。ボランティアに自ら来ているから当たり前と
言えば当たり前なのですが、重いものがあっても、自分が!と持とうとする。
汚れ物があったら自分が!と洗おうとする。いいなぁ。こういう人たち。
と心の中でひそかに感激していました。

この高台?の木々の下は肉眼では津波で何もかもが流された様子がはっきりわかりました。
後片付けが終わった後、救援物資配布班の様子を見に行ってきました。
国際村のステージの上を借りて、大量の衣類が並べられていました。
皆の仕事っぷりのおかげで物資がきれいにたたまれています。
その後、炊き出し班は、被災者に「欲しいもの」「食べたいもの」を
聞きに行くチームとカラオケ班(めもり~旅行さん独自のボランティア!
カラオケバスを被災者に開放しています)との交代チームの二手に
分かれました。私はカラオケ班と交代のチーム。
カラオケバスに乗り込むと、子供達(小学生~中学生)と、朝いちばんに
挨拶をしてくれたお父さん達が歌っていました。
このカラオケバスで、一番忘れられない思い出が残りました。
おそらく避難所でも一番張り切っているムードメーカーっぽいお父さん。
すでに何曲も歌っています。
そのお父さんが「みんなしらねーと思う」といいながら選曲した曲があります。
さだまさしさんの、「防人の詩」。歌詞の一部を引用します。
防人の詩 /さだまさし


¥200
iTunes
※モバイル非対応
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか
山は死にますか
春は死にますか
秋は死にますか
愛は死にますか
心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか
今、世の中に復興を願う歌がたくさん流れています。
でも。お父さんの歌った、この歌が、被災者の現状なのではと思いました。
お父さんは歌った後にわたしたちに話してくれました。
カラオケなんか、っていう被災者も(なかには)いる。
そりゃ(人が死んで家が流されてそう思うのは)当然だと思う。
でも俺たちは、こうやって人が来てくれて、騒いだり泣いたり(もがいて)
いろんなやり方で、気持ちを整理して、受け入れて、超えていくしかない。
子供ら走って遊んでて元気そうに見えるだろ?
でもあいつらな。全部見ちまってるんだ。
流されていくところ、全部見ちまってんだ。
最近なんだ。あんな風に遊ぶようになったのは。
毎週来てくれるめもり~さんには感謝してる。
だからそんなことは無いと思うけれど、
千葉(めもり~旅行さんは千葉の会社です)が
こんな風にたいへんなことになったときは、おれは倍(お返しを)やって
やるって、思ってる。絶対そん時は倍やってやるって思ってんだ。
お父さんはきっと歌なんて歌う気分じゃないだろう。
一人になれるなら、一人で泣き叫びたいだろう。
でも子供たちがいるから、元気出して、人を集めて歌ってるんだろうな。
ちょっとでも日常を取り戻すために。
子供たちに外で遊ぶ元気を取り戻させるために。
この人は。この人たちは、めっちゃデカいものと、血を流しながら、戦ってる。
16時過ぎて一日の予定が終了し、バスに乗り込みます。
国際村からボランティアセンターに移動し、ボランティアセンター組がバスに
乗り込みます。男子はかなり力仕事だったもようでバスに乗り込むと爆睡( ̄Д ̄;;
わたしもかなり眠くなり、隣のかわいこ保育士さんの肩を時々拝借しながら
爆睡しました。宿は秋保温泉グランドホテル。
http://www.akiugrand.com/#
想像していたより立派なホテルで、「このツアー、会社的に大赤字では?」と
心配になりました。
部屋は5人部屋。夕食迄の間、大浴場で汗を流します。
夕食はバイキング。がっつりいただきました。
部屋のメンバーは、
小学生の英語家庭教師をされているHさん。
中国語の貿易事務をされているSさん。
健康器具会社の事務をされているヤングSさん。
中古自動車販売を自営でされているTさん。
皆一人で参加されているとのこと。
ボランティアプラットホームで知って参加されている人が
多いようでした。互いに今日した活動について話し、バイキングを2回転し
満腹になったところで部屋に戻ります。
部屋ではテレビがつかない騒動(解決しました)があり、その後
ドラマ「最後の晩餐」を皆で見ます。
…が、力尽き途中で寝てしまいました(´ρ`)
ラストまで見たのは貿易事務のSさんのみw
隣で寝たヤングSさんは寝返りの度胸元がはだけだいぶセクシーでしたw
5時に起床し、朝風呂の後ホテルの裏を散歩。なかなか景色が良いです。

朝食バイキングもがっつりいただき、バスに乗り込みます。
2日目の炊き出し準備。自宅から持ってきたお菓子と飲み物をカラオケ班に
渡します。よく「ボランティアに行くとき(子どもと話すとき)お菓子を
持っていくといい」と見たので持っていきましたが、実際には
炊き出しであわただしく、渡すタイミングなかったです。
焼きうどんを焼き始める前に被災者に「欲しいもの」「食べたいもの」を
聞きにいく時間を40分ほど作られたため、避難所の中に入りました。
段ボールで仕切りが作られています。おばあちゃんが多かったな。
話しかけるタイミングやきっかけが作れず、うろうろしてしまいました。
ようやく喫煙所で話を聞かせてくれるお父さんが見つかり、お話をききました。
その時に取ったメモ。

・物資の受け取りなど、人間性がでる
(早い者勝ちで先に何個もとられると、あとから来た人間には当たらない)
・食事は今は困っていないが、普通の田舎料理や食べなれた魚料理が贅沢をいえば食べたいなと思う。
・着替えが一つしかない。なかなかサイズが合うものが見つからない。
(このお父さんはLサイズ、靴は25.5~26とのこと)
・震災の日は仕事に行っていたので、津波を見ていない。戻ってきたら、何もかもが流されていた。
・何が起きたのかわからなくて、ようやく次の日に渡された支援物資がおにぎり一つとバナナ半分。それが一日分の食事だった。
・自分は(食べれなくても)いいが、子供たちに電気がつかない場所で一回の食事としてバナナ半分しかやれないときのみじめさは一生忘れられない。
・ボランティアに来てくれるのは本当にありがたいが、もしできれば同じ人に来てほしい。先週、今週、来週と状況が変わっていくのをわかって対応してもらうために。
・一人ひとり欲しいものや足りないものは全く違う。
・国際村のやり方(避難所の班ごとに班長を立てるシステムっぽい…?違っていたらすみません)はすごくいい。あれでよくなった。
・こうして(ボランティアと)話せるようになったのは2か月過ぎてからだ。最初の1か月は本当に沈んで、なんも言えなかった。
・怖いのは津波。地震だけならまだ家はもった。車で逃げてる場合じゃない。あっという間に車ものまれる。
11時から炊き出しするのでぜひよかったら来てくださいと伝え
避難所を後にしました。
この日のメニューはサラダと味噌田楽は一緒で、焼きそばでなく焼うどんに。
私はお湯を沸かし、運転手さん(師匠)のサポートをしながら、うどんを
湯がいて鉄板に乗せる係です。昨日より炊き出しを受け取りに来る人が
多い気がしました。うどん弁当は完売状態で焼きそばの残った麺を焼き、
お昼のおかずにしました。後片付けとゴミの処理。自分たちの荷物を積み込み
国際村を後にしました。

わたしたちには、遠くに行って疲れて帰ってきたら「あーつかれたー」なんて
いいながら、だらだらできる家がある。
汗をかいたら好きな時にシャワーを浴びれる。
おなかがすいたらコンビニにも行ける。
そんな当たり前を、大きな波に流されてしまった人たちがいるといると
いうことを会って本当に知ってしまったからには、見なかったことにして
なかったことには、できない。
それが今回のボランティアツアーに参加して感じたことです。
そう。起きてしまったんだ。なかったことにはできない。
一度や二度の募金やボランティア参加では
ぜったいに、ぜったいに終われない、圧倒的な、破壊。
また来よう。たいしたことできないけどまた来よう。
次来るまで、千切り上手くなろう。
そう思って七ヶ浜を後にしました。
帰りのバスの中では皆で報告を兼ねて話をしつつ
ノンストップトークで帰りましたw
今回のツアーで知り合った人はみんなやさしかった。
気持ちのいい人たちばかりだった。
みんな口々に言っていた。
次は同僚を連れてくる。奥さんを連れてくる。友達を連れてくる。
あれは一回や二回じゃ終わらない。
もっとみんな身近に気軽にこれて支援できたらいいね。
今度は違う支援もやってみたい。と。
めもり~旅行さんのこのツアーの良いところは
・現地までの移動手段が確保できる
・宿の確保ができ、しかも宮城にお金が落とせる
・金曜の夜出発なので働いている人も参加しやすい
・一人で参加している人が多いので単身でも心配があまりいらない
・何より安い
ことがあげられます。
今回参加したメンバーがされていた支援活動は
ボランティアセンター組は
・民家の荷物運び
・がれき撤去
・復興市(フリマ)の駐車場整備
・ホットタオルを避難所で配布
・写真の洗浄
・仮設住宅の表札づくり など。
国際村組は
・炊き出し
・救援物資の配布
・カラオケバスの運営 など。
北は札幌市、南は北九州市から参加されていました。
駄文ですみません。最後まで読んでくださってありがとうございました。
また、めもり~旅行の皆さん、このような機会を作ってくださってありがとうございました。
※さらに詳しい被災地の状況・ツアー内容はぜひめもり~旅行さんのHPをご覧ください。
※めもり~旅行さんではツアー参加者・救援物資を受け付けております!ご確認の上、ぜひご協力を!
http://memory-travel.com/
毎日を過ごしてました。日本のマスコミがなかなか報道しないような海外メディア
経由の被災地の写真等を見ているうちに多かれ少なかれ誰もが思う「何かできること
はないのか」ということを考え始めていました。
まずは募金と救援物資の提供。
コンビニで赤十字へ募金と被災地の市区町村HPをチェックし、直接その町へ
義援金が送れる準備があるものは、その口座に振込をしました。
また、ZOZOTOWNのチャリティTシャツ販売やFOREVER21の一日オンライン
売上募金プロジェクトを知り、商品購入という形で募金しました。
いいですよね、こういう商品購入で募金ができるのは。
わたしは札幌スープカレーが大好きですが、札幌のスープカレー店では
義援金スープカレー(@soupcurrykizuna)「絆」プロジェクトを
行っています。こちらは食べて売上の中から義援金が送れるプロジェクトです。
救援物資の提供はtwitterで中野裕之さん(@hiroyukinakano)経由で
塩釜出身の写真家平間至さんが塩釜へ直接運送するプロジェクトを知り
恵比寿まで物資をお届けしました。
http://pippocamera.com/main/?cat=18
平間さんの出発前日に持って行きましたが、仕分けされているところを
見るとものすごい量。すごいなtwitterの力…と思いながら帰りました。
ボランティアに行きたいけれど、はじめてで、周りに「一緒に行こう!」と
言ってくれる人がいなかったら、なかなかハードルが高いです。
しかも、当方、腐っても、女子…┐(´д`)┌
問題としては、
・移動の足
(主要駅まで行けても、その先はどうやって移動したらいいのか)
・泊るところ
(現地に泊まるところはあるのか、あっても予約で埋まっていないのか)
・ボランティア保険
(どうやって加入したらいいのか)
・ニーズはあるのか?足手まといにならないか?(初心者だけどやれるのか)
があげられます。
もし自分が男子だったら食料と着替と寝袋もってバイクで行きます!的な
強行軍も可能だったと思いますが、迷惑になってはいけないと
思えば思うほど「やりたくてもやり方がわからない」状態に陥りました。
そんな時、どなたかのtwitterのつぶやきで、今回参加させていただいた
めもり~旅行さん(@memorytravel)企画のボランティアツアーを知りました。
めもり~旅行さんのHPはこちら。http://memory-travel.com/
「これだ!」と思い、申込を決めます。4月中の日程が予約で埋まっていたため
GW明けはボランティアに参加する方が少なくなるということを聞いたこともあり
5/13~5/15の日程を申込しようと思い、電話予約しました。
予約の際に「長靴は持って行ったほうがいいですか」など服装について質問し
行程表など郵送するので確認してくださいと言われました。
5/13(金)、池袋に24:30集合だったため、仕事が終わった後、いったん川崎の
自宅に戻り準備。着替えをし池袋に向かいます。
集合場所の三菱東京UFJ銀行前に行くと、すでに7人ぐらい、それっぽい女子が
体育座りでバスを待ってました。見るからに「ひとりで来ました」的な人が
数人いて、少し安心。ああ、「おひとりさま」はわたしだけじゃないんだな、と。
その後も数人単独だったり、グループだったり(ほとんど女子)、列が増え
バスを待ちます。一度深夜バスで仙台に行ったことがありますが
ほぼ眠れなかった経験があるため、今日も眠れないだろうなぁと
予想していました。
ちなみに当方の持ち物はこんな感じです。
・軍手
・スニーカー
・パーカー
・ブルゾン
・ジーンズ
・肩掛けショルダーバッグ
・エコバッグ
・フェイスタオル
・お菓子
・飲み物
・絆創膏
・ウエットティッシュ
・パジャマ替りのワンピ
・携帯の充電器
・iPod
・携帯2台(iPhoneとauガラケー)
持っていけばよかったと思ったのは
・エプロン
・キャップ
・日焼け止め
・バスタオル(ホテルがバスタオル別料金だったため)
・レジャーシート
・もっといろいろな救援物資(援物資を集め提供していたため)
です。今後同ツアーに参加する女子は参考にしていただければ。
男子はがれき撤去や民家の掃除などあるため、必要な持ち物は増えます。
バスが集合場所に到着。窓に張り紙しててちょっとすごいΣ(゚д゚;)

座席指定ということ。バスに乗り込むと窓際にすでに女子1名。
眠そう。しかもかわいいぞ。(のちに保育士さんと判明)後ろには男性陣。
大きな荷物を抱っこして座ろうとしたら、「後ろに荷物おきなよ!
疲れるでしょ」と声を早速かけていただきました。当たり前のことかも
しれませんが、やさしい!
自分はわりとチキンで初対面の人に自分から話しかけられないところが
あるので「そんなんじゃだめだ!w」とこの時スイッチが入りました。
毎晩晩酌しないと眠れない体質(^▽^;)なので、やはりバスでは寝られず。
佐野SAで飲むヨーグルトをぐびり。うまし。

国見SAで歯磨きした後、朝食用弁当が配られました。ヘルシーで良かったです。
宮城に入り、仙台市内に入ると、窓の外に震災の爪痕が見られるようになりました。
田んぼだったと思われるところに流木。ひっくり返ったままの車。
大量のつぶれた車が折り重なった駐車場。積み重なったがれき。
窓に紙を張って中が見えないようにし、営業をしていない大型店舗。
斜めに傾いた電信柱。
周囲の人も窓の外の景色に目を奪われていました。
少し不安になります。これから行く、七ヶ浜は、もっとすごい状況のはず…。
塩釜の若芳荘さんで昼食用のおにぎりを受け取るため、約50分程停車。
少し周囲を歩いてみました。






撮った写真についてtwitterでつぶやくと友人が「気を付けて行ってきてね」と。
再びバスに乗り込み、七ヶ浜へ向かいます。
砂浜にうちあげられているコンテナ。
1階部分が無くなり。斜めに傾き地面に刺さっている家の2階部分。
基礎だけになった家。たくさんのがれき、流木、前が壊れた車。
家が残っている場所と家が流された場所が、まるで線を引いたようにくっきり
遠目からも分かれていることが判ります。バスからの景色を見ながらますます
不安が募りました。
被災した人と、目を見て、話せるのだろうか。
自分が気づかぬうちに、不注意な言葉や行動で、傷つけたり
悲しませたりしないだろうか。
ボランティアセンターで活動する組とお別れし、国際村へバスは向かいます。
国際村に向かう途中、がれきを積んだ集積所?のようなところが目に入ります。
言葉を失います。半端ない、その量。


「がれき」に見えるあの山には、きっと、3.11以前の毎日の全てが、つまっていたのだろう、と。
※肉眼で見た中でも被害が半端ない地域は写真を撮れませんでした。あまりに途方に暮れて。
国際村に着くと、バスから降り、被災された方が数名、さっそく挨拶しに
集まってきてくださいました。
ひとりのお父さんが「お!妹とおんなじ名前だ!あんたいくつ?」と
ネームプレートを見て声をかけてくれました。
「え、○歳です」…あたし、早速の歳ばれw
私たちが緊張している?のを察してか、声をこうしてかけてくださる
ところは頭が下がります。チキンな自分は置いておいて体育会系スイッチを入れます。
炊き出し班担当で、作るメニューは焼きそばとサラダと味噌田楽。
まずは機材のセッティング。次に野菜を切ります。大根を千切りに!と
言われるものの、大根部隊は「千切りって…細長いやつだよね?」
「よくサラダに入ってるやつだよね?」…料理スキルもばれる始末orz
家で使ったことのないスライサーをぎこちなく使い、大量の大根と
きゅうりがカットされます。レタスは手でちぎり、水菜もカット。
火力が多少弱いこともあり、焼きそば用の人参も千切りに。
キャベツと玉ねぎもカットし、もやしと麺を袋からだし、ひとまとめにします。
そして皆が苦戦したのはコンニャクのカット。
ここでコンニャクマスターが登場。美しいカット!
コンニャクマスターはなんと札幌から親子で参加してきたツワモノです。
下準備が終わり、こんにゃくをゆで、焼きそばを焼き始めます。
焼きそばを焼いてくださるのは、なんと乗ってきたバスの運転手さん。
タコ焼きを焼いて売っていたこともあるそうでさすがの手つき。
お弁当箱に焼きそばを盛る人、コンニャクをのせる人、味噌をかける人。
サラダを盛る人、紅ショウガをのせる人、青のりをかける人、
ふたをして、渡す人。
作業を分担し、初めてながらみなチームワークで動きます。

めもり~旅行さんいわく、若干この日は(受け取りに来る)人が
少ないとのこと。そう、この日は同じく国際村で炊き出しされていたのが
ホテルメトロポリタン仙台のシェフさん。ちょw向こうプロΣ(T□T)
ホテルのシェフさんが炊き出しにくるなんてすごいなぁと思いながら
料理人だからこそ少しでもおいしいものを食べてほしいという気持ちで
活動されているのだろうなぁと思い、また頭が下がります。
運転手さん(心の中で師匠と呼んでいたw)の手ほどきを受け、
2度ほど焼きそばを焼かせていただきました。一度に焼くのが15人前前後。
意外と体力を使います。おいしく焼けますようにと、心を込めて。
9時前後からスタートし、13時半ごろから後片付けと休憩。
おにぎりと余った焼きそばでお昼ご飯。
みんなバスでほとんど寝ていなかったのか少しだけ疲れが表情に
でていました。後片付けの時に思いましたが、みな、休まないというか
すごい譲り合うなと。ボランティアに自ら来ているから当たり前と
言えば当たり前なのですが、重いものがあっても、自分が!と持とうとする。
汚れ物があったら自分が!と洗おうとする。いいなぁ。こういう人たち。
と心の中でひそかに感激していました。

この高台?の木々の下は肉眼では津波で何もかもが流された様子がはっきりわかりました。
後片付けが終わった後、救援物資配布班の様子を見に行ってきました。
国際村のステージの上を借りて、大量の衣類が並べられていました。
皆の仕事っぷりのおかげで物資がきれいにたたまれています。
その後、炊き出し班は、被災者に「欲しいもの」「食べたいもの」を
聞きに行くチームとカラオケ班(めもり~旅行さん独自のボランティア!
カラオケバスを被災者に開放しています)との交代チームの二手に
分かれました。私はカラオケ班と交代のチーム。
カラオケバスに乗り込むと、子供達(小学生~中学生)と、朝いちばんに
挨拶をしてくれたお父さん達が歌っていました。
このカラオケバスで、一番忘れられない思い出が残りました。
おそらく避難所でも一番張り切っているムードメーカーっぽいお父さん。
すでに何曲も歌っています。
そのお父さんが「みんなしらねーと思う」といいながら選曲した曲があります。
さだまさしさんの、「防人の詩」。歌詞の一部を引用します。
防人の詩 /さだまさし

¥200
iTunes
※モバイル非対応
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか
山は死にますか
春は死にますか
秋は死にますか
愛は死にますか
心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか
今、世の中に復興を願う歌がたくさん流れています。
でも。お父さんの歌った、この歌が、被災者の現状なのではと思いました。
お父さんは歌った後にわたしたちに話してくれました。
カラオケなんか、っていう被災者も(なかには)いる。
そりゃ(人が死んで家が流されてそう思うのは)当然だと思う。
でも俺たちは、こうやって人が来てくれて、騒いだり泣いたり(もがいて)
いろんなやり方で、気持ちを整理して、受け入れて、超えていくしかない。
子供ら走って遊んでて元気そうに見えるだろ?
でもあいつらな。全部見ちまってるんだ。
流されていくところ、全部見ちまってんだ。
最近なんだ。あんな風に遊ぶようになったのは。
毎週来てくれるめもり~さんには感謝してる。
だからそんなことは無いと思うけれど、
千葉(めもり~旅行さんは千葉の会社です)が
こんな風にたいへんなことになったときは、おれは倍(お返しを)やって
やるって、思ってる。絶対そん時は倍やってやるって思ってんだ。
お父さんはきっと歌なんて歌う気分じゃないだろう。
一人になれるなら、一人で泣き叫びたいだろう。
でも子供たちがいるから、元気出して、人を集めて歌ってるんだろうな。
ちょっとでも日常を取り戻すために。
子供たちに外で遊ぶ元気を取り戻させるために。
この人は。この人たちは、めっちゃデカいものと、血を流しながら、戦ってる。
16時過ぎて一日の予定が終了し、バスに乗り込みます。
国際村からボランティアセンターに移動し、ボランティアセンター組がバスに
乗り込みます。男子はかなり力仕事だったもようでバスに乗り込むと爆睡( ̄Д ̄;;
わたしもかなり眠くなり、隣のかわいこ保育士さんの肩を時々拝借しながら
爆睡しました。宿は秋保温泉グランドホテル。
http://www.akiugrand.com/#
想像していたより立派なホテルで、「このツアー、会社的に大赤字では?」と
心配になりました。
部屋は5人部屋。夕食迄の間、大浴場で汗を流します。
夕食はバイキング。がっつりいただきました。
部屋のメンバーは、
小学生の英語家庭教師をされているHさん。
中国語の貿易事務をされているSさん。
健康器具会社の事務をされているヤングSさん。
中古自動車販売を自営でされているTさん。
皆一人で参加されているとのこと。
ボランティアプラットホームで知って参加されている人が
多いようでした。互いに今日した活動について話し、バイキングを2回転し
満腹になったところで部屋に戻ります。
部屋ではテレビがつかない騒動(解決しました)があり、その後
ドラマ「最後の晩餐」を皆で見ます。
…が、力尽き途中で寝てしまいました(´ρ`)
ラストまで見たのは貿易事務のSさんのみw
隣で寝たヤングSさんは寝返りの度胸元がはだけだいぶセクシーでしたw
5時に起床し、朝風呂の後ホテルの裏を散歩。なかなか景色が良いです。

朝食バイキングもがっつりいただき、バスに乗り込みます。
2日目の炊き出し準備。自宅から持ってきたお菓子と飲み物をカラオケ班に
渡します。よく「ボランティアに行くとき(子どもと話すとき)お菓子を
持っていくといい」と見たので持っていきましたが、実際には
炊き出しであわただしく、渡すタイミングなかったです。
焼きうどんを焼き始める前に被災者に「欲しいもの」「食べたいもの」を
聞きにいく時間を40分ほど作られたため、避難所の中に入りました。
段ボールで仕切りが作られています。おばあちゃんが多かったな。
話しかけるタイミングやきっかけが作れず、うろうろしてしまいました。
ようやく喫煙所で話を聞かせてくれるお父さんが見つかり、お話をききました。
その時に取ったメモ。

・物資の受け取りなど、人間性がでる
(早い者勝ちで先に何個もとられると、あとから来た人間には当たらない)
・食事は今は困っていないが、普通の田舎料理や食べなれた魚料理が贅沢をいえば食べたいなと思う。
・着替えが一つしかない。なかなかサイズが合うものが見つからない。
(このお父さんはLサイズ、靴は25.5~26とのこと)
・震災の日は仕事に行っていたので、津波を見ていない。戻ってきたら、何もかもが流されていた。
・何が起きたのかわからなくて、ようやく次の日に渡された支援物資がおにぎり一つとバナナ半分。それが一日分の食事だった。
・自分は(食べれなくても)いいが、子供たちに電気がつかない場所で一回の食事としてバナナ半分しかやれないときのみじめさは一生忘れられない。
・ボランティアに来てくれるのは本当にありがたいが、もしできれば同じ人に来てほしい。先週、今週、来週と状況が変わっていくのをわかって対応してもらうために。
・一人ひとり欲しいものや足りないものは全く違う。
・国際村のやり方(避難所の班ごとに班長を立てるシステムっぽい…?違っていたらすみません)はすごくいい。あれでよくなった。
・こうして(ボランティアと)話せるようになったのは2か月過ぎてからだ。最初の1か月は本当に沈んで、なんも言えなかった。
・怖いのは津波。地震だけならまだ家はもった。車で逃げてる場合じゃない。あっという間に車ものまれる。
11時から炊き出しするのでぜひよかったら来てくださいと伝え
避難所を後にしました。
この日のメニューはサラダと味噌田楽は一緒で、焼きそばでなく焼うどんに。
私はお湯を沸かし、運転手さん(師匠)のサポートをしながら、うどんを
湯がいて鉄板に乗せる係です。昨日より炊き出しを受け取りに来る人が
多い気がしました。うどん弁当は完売状態で焼きそばの残った麺を焼き、
お昼のおかずにしました。後片付けとゴミの処理。自分たちの荷物を積み込み
国際村を後にしました。

わたしたちには、遠くに行って疲れて帰ってきたら「あーつかれたー」なんて
いいながら、だらだらできる家がある。
汗をかいたら好きな時にシャワーを浴びれる。
おなかがすいたらコンビニにも行ける。
そんな当たり前を、大きな波に流されてしまった人たちがいるといると
いうことを会って本当に知ってしまったからには、見なかったことにして
なかったことには、できない。
それが今回のボランティアツアーに参加して感じたことです。
そう。起きてしまったんだ。なかったことにはできない。
一度や二度の募金やボランティア参加では
ぜったいに、ぜったいに終われない、圧倒的な、破壊。
また来よう。たいしたことできないけどまた来よう。
次来るまで、千切り上手くなろう。
そう思って七ヶ浜を後にしました。
帰りのバスの中では皆で報告を兼ねて話をしつつ
ノンストップトークで帰りましたw
今回のツアーで知り合った人はみんなやさしかった。
気持ちのいい人たちばかりだった。
みんな口々に言っていた。
次は同僚を連れてくる。奥さんを連れてくる。友達を連れてくる。
あれは一回や二回じゃ終わらない。
もっとみんな身近に気軽にこれて支援できたらいいね。
今度は違う支援もやってみたい。と。
めもり~旅行さんのこのツアーの良いところは
・現地までの移動手段が確保できる
・宿の確保ができ、しかも宮城にお金が落とせる
・金曜の夜出発なので働いている人も参加しやすい
・一人で参加している人が多いので単身でも心配があまりいらない
・何より安い
ことがあげられます。
今回参加したメンバーがされていた支援活動は
ボランティアセンター組は
・民家の荷物運び
・がれき撤去
・復興市(フリマ)の駐車場整備
・ホットタオルを避難所で配布
・写真の洗浄
・仮設住宅の表札づくり など。
国際村組は
・炊き出し
・救援物資の配布
・カラオケバスの運営 など。
北は札幌市、南は北九州市から参加されていました。
駄文ですみません。最後まで読んでくださってありがとうございました。
また、めもり~旅行の皆さん、このような機会を作ってくださってありがとうございました。
※さらに詳しい被災地の状況・ツアー内容はぜひめもり~旅行さんのHPをご覧ください。
※めもり~旅行さんではツアー参加者・救援物資を受け付けております!ご確認の上、ぜひご協力を!
http://memory-travel.com/