最近話題になっているお花見自粛問題。
被災地の方々への配慮から自粛する人々のやさしさ。
同時に、美しい桜をめで、お酒を酌み交わし、被災地の方々へ思いを馳せる自由だってある。
悼み方は人それぞれ。
私は最近の「頑張れ日本」に少し違和感を感じている。
「日本」となることで個人が見えなくなるような、規範となる行動に沿わない者を非難し、共にそうであることを強制されるような響きを感じるからだ。
お花見問題はその表れであるように思う。
この時期にお花見をするのは不謹慎であるかのような印象。
本当にそうだろうか…。
思いやる心は個人の内にあり、CMだって震災直後は「一人一人にできること」だったはず。
自分に何ができるだろうかと一人一人が真剣に考えたそのやさしさが、心の不自由さから不満となり、いつか手放されてしまうのではないかと心配する。
杞憂に終わればいいけれど…。