数日前に不注意で左手首(親指の延長線上)を包丁で切り、病院へ。
「傷が深いので縫いますね」と言うと、医師は横にいた研修医らしき人に指示をだし始めた。
「えっ、この研修医さんが縫うのかな・・・」との予感は的中し、つかの間不安を覚えたものの、「もう切れちゃったんだから仕方ない。なるようになるかな」との気持ちで臨んだ。
先輩医師から「うん、そこだね」「いや、もっとこの辺」「あまり引っ張りすぎないで」などの指導を受けながら、ひたすら寡黙に縫い続ける研修医さん。
私はさすがに縫っているところを直視する気にならず、横になっていたので天井を見ながらお二人のやり取りを聞いていた。
「なるべく痕が残らないようにしますからね」との先輩医師のやさしい言葉に、「有り難うございます。<でも先生、縫っているのは先生ではなく研修医さんなわけで・・・>」と心の中で軽く突っ込む余裕も。
思っていた以上に時間がかかり、先輩医師の「大丈夫ですよ。もうすぐ終わりますからね」の私への声かけが、同時に研修医さんをも励ましているようで微笑ましく、私はカウンセラーになりたての頃を振り返る。
初めて患者さんから「死にたい。・・・どの方法が楽でしょうか?」と言われた時のこと。
怖くて言葉が出なくて、けれどその不安を感じさせてはいけない気がして、何より絶対にカウンセラーとして逃げてはいけないと思ったこと。
あの時の心臓の鼓動をはっきりと覚えている。
見立ても介入もなく、ただひたすらに聴くことに精一杯だった頃を久しぶりに思い出し、未熟な私をいちカウンセラーとして信頼し、自身の苦しい思いを話して下さった人々がいたからこそ、今の私があるのだと改めて思う。
今日の研修医さんが数年後には先輩医師になって新たな研修医を指導し、怪我をした沢山の人を救っていくのだと思うと感慨深い。