7月15日、雇用保険の受給延長手続きをしにお母さんと弟と3人でハローワークへ。

その後、お母さんの友達が働いているお店へ行ってランチ。

その後、ユニクロでおなかゆったりのワンピースとか買って実家へ。

少し休憩してからお母さんと歩いて近所のスーパーへ。

久しぶりにいっぱい歩いたし買い物もできて満足だった。

乳がんで先月容体が悪化してもう長くないだろうと言われていた九州の祖母も最近様子が落ち着いてきて来月の初めごろには休みをとってみんなで会いに行けるわと母から聞いてほっとしていたのに。

旦那に報告したら喜ぶだろうなとその光景を思い浮かべてほっこりしていたのに。

18時1分。

丁度お母さんとスーパーから帰ってる途中でした。

私たちよりも少し遅れて家に帰ってきたお父さん。

「何が18時1分や!!」とか叫んでる。何々?と思ったら…

「おかん、死んだ」

と。

その場にいたお母さんと弟と私は絶句して固まりました。

なんで?さっき容体よくなったって聞いたばっかりやのに。意味わからん。は?ってそればっかり。

急変。

急変とか言う言葉めっちゃ嫌い。

結局生きてるうちに会えなかった。ひ孫の顔を見せることも、自分の口から妊娠の報告もできなかった。

人の命ってなんてあっけないんだろう。

絶望する暇もなく、ここからはどたばたのはじまり。

お通夜が16日でお葬式が17日。

旦那は17日と18日が休みだったので、16日の深夜に車で出発して17日の11時から始まるお葬式に出て、19時に出るフェリーに乗って18日の朝に大阪に帰るというハードスケジュールを組みました。

旦那に連絡したらすぐに折り返し電話くれて次の日も早く帰れるように手配してもらった。

弟も呼び出してインターネットとにらめっこしながらはじめは飛行機がいいのか、夜行バスがいいのか泣く暇もなく検索、相談、連絡の嵐。

喪服も準備しなきゃ…

この日旦那が迎えに来て家に帰ったのが1時すぎ。

旦那に「だから前におばあちゃんの容体が悪化したって聞いた時無理やりにでも会いに行けばよかったんや!」と吐き捨てるように言われました。

1か月前、まだつわりがひどくて安定期にも入ってないのに九州までの長旅は危険だと周りからもおばぁちゃん本人からも止められて結局父と母だけおばぁちゃんに会いに行った。

おばぁちゃんは私の妊娠をとても喜んでくれて心配ばかりしてくれていたらしい。

亡くなる寸前まで、チカちゃんだけはお葬式に来なくていいとずっと言っていたそうです。

でもそんな約束守れるわけない。お医者さんからOKもらったし今回は絶対に行く。

旦那は前回の事で私を責めているんだろうか。

でも、おばぁちゃんの希望だし周りに賛成する人なんていなかったし私自身ももし赤ちゃんに何かあったら…と怖かった。

そんなことおばぁちゃんも望んでないはずだしそれで納得して出した結果だった。

それを蒸し返すように旦那に言われて何も言えなくなった。

無言で用意して無言で寝て…朝もあまり目を合わさずに出勤していきました。

帰ってくるまで私は用意と連絡とフェリーの予約に追われ、旦那は夕方ごろに帰ってきたけどまだ仕事が残っててPCたたいて忙しそう。

荷物積んで実家に行ってお金おろして田舎から帰ってきてくれた母方のばぁちゃんの手料理食べてほっとしたのは夜の7時。

その時には余裕も出てきて旦那も私も普通でした。

旦那は仮眠をとり、私は一睡もできず17日に日付が変わった瞬間弟2人+私+旦那の奇妙な4人組で九州に向け出発。

弟と旦那で運転変わりながら、助手席も変わりながら九州に上陸したのが朝の7時ごろ。

大きいサービスエリアで喪服に着替えて時間をつぶし11時に間に合うように会館へ向かう。

今までどたばたしすぎてて考える余裕なかったけど今私たちはお葬式に出るために車を走らせている。

去年まではおばぁちゃんに会うために走っていたこの道だけど今日からはもう生きてるおばぁちゃんに会えないんだな

そう思うとだんだんと実感してきた。

会場へ着いたら親戚のおじさんとか受付の人とか父母もわらわら出てきて歓迎された。

食事の用意がしてあるけど、その前におばあ様もお顔をご覧になってくださいと言われてなかなか足が前に進まなかった。

旦那に背中を押されてお線香をあげておばぁちゃんの顔を見る。

会うたびに小さくなっていってたおばちゃん。

幸せそうに眼を閉じてうっすらと頬が赤くお化粧されててほんまに眠ってるだけみたいだった。

でも、あまり長い時間見ることが出来なくてすぐにその場を立ち去ろうとしたら旦那に肩をつかまれた。

弟たちも食事会場に向かった後だったので「…何?もう顔見たよ」って言ったら

「赤ちゃんの事、見守っててもらおう」としばらく二人で並んでおばぁちゃんの前に立ってました。

堪えきれず涙があふれてきて「…うん」としか言えなかった私に旦那は頭ぽんぽんってしてくれた。

ここで泣くのはおかしいと思って気持ちを切り替え、精進料理を親戚みんなで頂いてお話をして写真撮影して鶴を折ったりおばぁちゃんへの最後の手紙を書いたりして過ごしました。

旦那は九州弁のおっちゃんに話しかけまくられてたけど方言がきつすぎて半分くらいわかってなくてずっと苦笑いしてた。

そして13時、お葬式が始まりお焼香やお経がすんで喪主であるお父さんの挨拶。

それを聞いてると今まで我慢してた涙がどんどんあふれてきて鼻水も出るしハンカチじゃ間に合わない状態に。

そんな状態のままおばぁちゃんに最後の挨拶。

棺桶をあけておばぁちゃんの周りを花で埋める。手元には手紙、おにぎり、鶴もいっぱいいっぱい。

これで最後…

私の中のおばぁちゃんは、物心ついたころから車いす。

おじいちゃんに介護してもらってて前の家の時、車いすのまま甘い卵焼き作ってくれてそれがとても美味しかった。

いつもニコニコしてて、お父さんや孫たちのこと心配してくれてて1年に1度しか会えなかったけど会った時はとても嬉しそうにしてくれてて。

おじいちゃんががんで亡くなってからは老人ホームに移動して。枕元にはいつもおじいちゃんの写真が飾ってあった。

たぬきみたいなぽんぽこりんのおなかしてるおじいちゃんはお酒の飲み過ぎで肝臓ガンになり、発覚してから2か月もたたずに逝ってしまった。

その時のお葬式も相当辛かった。

おばぁちゃんは亡くなる間際「もうお父さんのところへ行きたい」と言っていたそうで。。。

私としてはもうすこしだけ、おばぁちゃんを連れて行かないでほしかった。

おじいちゃんには花嫁姿見てもらうことできなかったけどおばぁちゃんには見てもらうことができた。

ひ孫もおなかの中に宿ったのに。顔見て、抱っこして、笑ってほしかったのに…

早すぎるよ。

でも、痛かったんだろうな。辛かったんだろうな。

乳房が腐ってくるような症状。切断手術をすれば助かっていたのにもう麻酔に耐えれる体力がなかったみたいでどうしようもなかったらしい。

おばぁちゃんと一緒に火葬場へ向かう。

もう1度ご焼香をして最後の最後の挨拶をする。

手を合わせながらお父さんが点火のスイッチを押す。

その瞬間

ゴォォォォッと扉の向こうで炎が燃え盛る音が聞こえる。

おばあちゃんが燃えている。

その音を聞いた瞬間膝から崩れ落ちそうになった。

もう、いない。

毎年夏、おばぁちゃんに会いに行ってたこの道は来年からはおばぁちゃんへと続く道じゃなくなる。

もうあの笑顔に会えない。おばぁちゃん…

空からおじいちゃんと二人でいつまでもいつまでも見守っていてください。

子供が生まれたら、またこの道を通って会いに行くね。

もうお葬式の時にいっぱい泣いたから、火葬場の時もフェリー乗り場に向かうときも吹っ切れたようにふるまってみんなに別れを告げた。

車に乗った瞬間疲れすぎて…即爆睡。

見晴らしの良いサービスエリアに着いた時も時間つぶしの為に寄った府内城でも、フェリーに乗った時も、疲れながらもお葬式の帰りだということは考えないようにテンションをあげて過ごしてた。

バイキングで食事をとり、お風呂も簡単に済ませて22時にはそれぞれ2段ベットに入り深い眠りについていた。

私は今日の事を思いだしてすべて終わってほっとしたことと改めておばあちゃんに会えなくなった事実を噛みしめて、自然に流れてくる涙をふく気力もなく眠りについていた。

朝6時40分、神戸港に到着。弟の運転でまずはもう1人の弟の家の近くまで送ってから通勤ラッシュの中実家へ着いたのが8時すぎ。

ばぁちゃんが用意してくれていたピザを食べて1日中休んでた。

考えてみたら車の中でも船の中でもずっと揺れてたなー

よく酔わなかった。赤ちゃんも頑張ったね。

…と思ったら

1日たった今日、なんか気分が悪いです。。。

昨日の夜は眠いのに眠れず、朝方寝たらさっきまで寝てて、空腹時気持ち悪いけど食べても気持ち悪くてなにこれ。

疲れが出たのかな…妊婦にしたら過酷なスケジュールだったしな。。。

明後日友達が来るから片付けようと思ってたけどできるかなぁ…

なんかもう、本当に非日常すぎる世界から帰ってきてぽっかりです。

疲れた…

長くなりましたが今の気持ちを長々と綴らせていただきました。