この1年腰を据えて自分を見つめ
色んな問題に気付き問題点がわかり
概ね解決することができました。
まだ完全ではないけれど
心の整理をしようと思います。
哲学・心理学が好きです。
本が大嫌いな私にしては
哲学・心理学の本は
たくさん読んだと思います。
見た目は明るく活発で
人生を楽しんでいて
何でも楽しめて
悩みなんか無さそうと
言われるタイプです。
そう言う本質もあるし
振る舞っている部分もあります。
誰でも色んな顔をもっているもの
と思いますが。
自己肯定感は高い方です。
自分が大好きです。
ルーツを探っていくと
それがなぜかもわかってきました。
始まりは高校の時、
哲学の授業に妙に惹かれました。
理系だったので社会系は
一切とらなくても良かったが
倫理(哲学)を3年間取りました。
今思えば解決したい何かが
私の中にあるのを感じていたから
強く興味を持ったんだと思う。
高校2年の夏、
起立性調節障害になりました。
夏休みの部活(バーボール)中に
突然倒れました。
目まいと耳鳴りがひどく頭痛もあり
立っていられなくなりました。
起立性調節障害の原因は
ストレスだと言われたが
自分の生活は充実していて
満たされていて
なにも不自由がないと思って生きていて
何がストレスなのか
当時全く分からなかった。
漠然とした感覚として、
【自分が思っている普段の自分】
と
【本質の自分】
に開きがあることを
自覚し始めたきっかけの出来事
だったと今では思います。
どこかで
心のわだかまりも感じていたが
それが何か、どこから来るのか
全くわからなくて
ますます哲学者達の
自分探しの理論、
真実への追求に興味を持ちました。
その中で一番ひかれた言葉
私の座右の銘
ニーチェ【力への意志】
面白いと思った言葉
デカルト【我思うゆえに我あり】
主要な哲学者の本は一通り
読んだような気がしますが
殆ど忘れました。
どの教科よりも
丁寧に書き取り
何度も見返したノートも
ある人に貸して
返ってきませんでした。
貸した相手は覚えているけど
返却して欲しい気持ちも
なくなりました。
本当に必要な事は
私の中に残る
それで良いのかな
と思うようになったから。
色々解消された今だから思うのは
高校生活の些細な色んな場面で
自分の意見を引っ込め
『ああすれば良かった』
『こうしたいのに』
という想いを溜め続けていました。
私は一見ズケズケ物を言うタイプです。
声が明瞭で口調がハッキリしているから
そう見えるのかと思います。
でも、高校で入った部活は
本当は興味のないものでした。
塾が一緒だった友達と
部活見学をして誘われ
一度は断ったけど
「どうしても一緒に入って欲しい」
と懇願されて入りました。
本当はソフトボールか
ハンドボールをやりたかった。
身長が150センチあるかないかの私です。
圧倒的に不利なのは分かってました。
劣等感がとてもありました。
それでも役割を見つけようと
左利きを生かしたサーブや
小柄で小回りがきくかもしれないと
レシーブをたくさん練習しました。
いくら練習しても評価が得られず
ママさんバレーにも週2で通いました。
私は『自分が楽しいから』ではなく
周りに評価されたくて
部活を続けていました。
とても苦しかった。
でも必死だった。
生き生きとしていた中学と違って
どこか死んだような生活にも
感じていたのかもしれない。
夏休みに倒れ休んだものの
2学期が始まっても倒れる事しばしば。
朝も起きられなくなり
不登校になりました。
目は覚めるけど
立ち上がれない状態です。
朝起きて学校に行く
何年もやってきた当たり前の事が
できなくなりした。
たくさんの人に迷惑をかけている
罪悪感に苛まれました。
何度も死にたいと思いました。
私なんか死ねば良いのにと思いました。
でも行動に移すエネルギーが
ありませんでした。
前に進めない自分が悔しかったり
自分に絶望してたくさん泣きました。
無気力で脱け殻の状態が続きました。
いろんな事がどーでもよくなりました。
自転車で登校中にめまいが起きて
止まっている車に突っ込んだり
ボーッとして注意力がない状態で
交差点を止まらずに飛び出し
車にぶつかり救急車に乗ったり
しました。
命の危機があっても
全く何も感じませんでした。
『死んでもいいのに。』
事故の度に考えてました。
怪我の痛みは全く感じません。
生きてる実感がありませんでした。
それでも私の周りには
温かく支えてくれる人が沢山いました。
誰も私を責めませんでした。
正論を振りかざす人はいませんでした。
誰も私に踏み込んで来ませんでした。
話す事頑張る事何も強要しませんでした。
そっと傍にいてくれました。
『あなたのペースで好きにして良いよ』
『あなたの判断を信じているよ』
そんな雰囲気がありました。
何て声をかけてもらったかは
忘れてしまいました。
「来れる時はおいで。」
そんな感じだったかな?
唯一母だけは
「学校に行かなくてどうするの!」
尻を叩いてきました。
母からはたくさん逃げました。
向き合うことを避けました。
嘘もたくさんつきました。
『どうせ何を言っても分かってくれない』
最近まで母が嫌いでした。
・どうせ分かってくれない
・母が嫌い
その思考の癖や習慣は
自分の問題に気付き
向き合い解決した時に
理由を理解しました。
今の私の中には
その概念はありません。
母とは逆に
学校の人達は
私が何か行動を起こしても
何も変わらなかった。
私にとっては
それが良かった。
何かを行動して反応されたら
私の行動は常に評価される
と過敏になりプレッシャーになるから。
行動を変えにくくなる。
後退したらガッカリされる
と、感じて自分を責めてしまうから。
何をしても許容されている雰囲気。
安心感がありました。
好きな教科から
少しずつ登校しました。
私の場合は数学でした。
先生も好きでした。
結婚されていて片想いです。
恋愛すること自体が楽しいお年頃で
叶う叶わないは気にしてませんでした。
2年の担任でもありました。
近い存在なだけでハッピーでした。
数学は中学の時は好きでも嫌いでもなく
そこそこ勉強して点がとれた程度。
女性のオバチャン先生で
その人は嫌いでした。
高校は進学校でした。
中学の内申がやたら良くて
学力はギリギリで入った高校です。
受験1ヶ月前までは
偏差値が10ほど足りない状態でした。
『学区1番の進学校』に
行くことに私が拘っていました。
・一人でも多くの人に認めてもらいたい
・肩書きが欲しい
そんな想いが根底にあったんだろうと
今になって思います。
それも潜在意識の呪縛です。
塾では志望校変えることを
何度もすすめられました。
親は公立であればどこでも
というスタンスでした。
落ちこぼれになる可能性が高かったけど
何とか合格できた学校です。
そこで受けた数学の授業は
先生の説明がとてもとても楽しくて
ワクワクしました。
ゲーム感覚の楽しさがあり
私の中の数学魂が開花しました。
1年1学期の最初の中間テストで
学年最高の99点を取りました。
間違い(答えが2つあったのに
1つしか書かなかった)は
テストが終わった直後
部活のストレッチ中に気付きました。
全教科の答案を受けとるのは
何故か流れ作業で
ザワザワした状況でした。
担任は女性の数学の先生でしたが
何かの理由で代理で
私の好きな男性の数学の先生が
答案用紙の返却をしてくれました。
伏せて置いてある各教科の答案用紙を
出席番号順に並び自分で回収します。
数学だけはとにかく気になって
チラッと見ました。
減点は1点でした。
問題数からの配点、間違いの内容から
もっと引かれていると思っていたので
手加減した先生を感じました。
でも逆に
引かれたのが1点だけだった事が
さらに悔しかった。
「1点くらいいいじゃーん!」
思わずタメグチで
悔しがる私を見て
笑って「ダメダメ~。」
と言った先生は
「やられたな~」
という感じで
どこか嬉しそうでした。
全員が席につくと
わざわざ数学は最高得点を発表しました。
先生と私の二人だけが
誰の事かが分かるやり取りに
嬉しくてウキウキしました。
先生が私を気に入ってくれて
期待されていることも
感じていました。
ますます勉強が楽しくて
質問もたくさんしました。
先生が分からない質問を聞いてやろうと
大学受験問題集も解きました。
お互い香水を使っていましたが
放課後質問に行く約束をした後は
私も先生も香りが強くなっていて
同じ行動をしてることが
くすぐったい感じでした。
質問しに教科室に行って
向い合わせに座っていたのが
隣になって
だんだん近くなって
腕が触れた時
私の中で違和感がありました。
初恋ではないので
『恋愛と何か違う』
と一瞬感じたのです。
その時は自覚がなかったけど
恐らく、
『父との理想の関係』
を先生に求めていたのかも知れません。
最近知った理想の関係、
私が求めていた関係は
【認め合うこと】です。
私の意見に耳を傾けて
受け止めてくれる事です。
すぐカッとなって短気な父に怯えて
行動の1つ1つにビクビクしていた。
ある日の出来事により父から生まれた
『どうせ聞いてくれない』想いが
全ての人に対して感じる想いに
なりました。
子供の頃の些細な出来事から
私の中に根強く深く
浸透してしまった潜在意識でした。
そんなことは分からない当時
とにかく先生が大好きで
先生にもっと認めてもらいたくて
純粋に一生懸命でした。
だから
2年で担任にあたった時
すごく嬉しかった。
学年主任の先生でもあったので
そんな簡単なものではないと思いつつ
敢えて担任になるように
操作したんじゃないか
くらいに妄想してました。
気に入られていたら嬉しい
そんな気持ちがありました。
ところが近すぎたのは
私のプレッシャーにも
なったのだと思います。
数学だけではなく
他の教科でも成績をあげなきゃ
上位に入らなきゃ
そんな想いが出てきました。
無理をしていたと思います。
それも倒れた引き金に
なったのだろうと思います。
先生が大好きだったからこそ
不登校な私を見た先生に
ガッカリされるのは嫌で
期待を裏切るのも嫌で
裏切られたら…嫌われたら…
立ち直れないとも
最初は思っていました。
でも
めまいが長引くにつれて
中々回復できない状態になって
先生のことも含めて
あらゆる事が
どーでもよくなりました。
振り返れば
周りの目を気にして
頑張りすぎていた肩の力が抜け
心の緊張がほぐれたのかもしれません。
高3にあがりすごく自然体でいる
マイペースな人と
同じクラスになりました。
ゆったりな雰囲気は一目で分かり
憧れたのだと思う。
友達になりました。
真面目一直線優等生路線だった私が
友人と一緒に授業中漫画を読みました。
反抗や反発ではなく
やりたくないことはやらない
やりたいことはやる
ように変わりました。
でも、最低限のやるべき事は
把握していて
守るべきルールは守りました。
ただ、必要以上に
頑張ることはやめました。
部活も3年の1学期で終わりました。
私は徐々に自分を取り戻しました。
ある日
卒業写真を撮るから美容院に行きました。
カラーを間違えて
かなり金髪に近い色になりました。
廊下にあった鏡にふと自分が写り
日差しに当たって更に明るく見えた髪に
さすがにやり過ぎだと思った。
学校に適していないと感じた。
次の瞬間
大好きだった数学の先生とスレ違い
私の頭を見て悲しそうな顔をしました。
でも、私は傷付かなかった。
人の目を必要以上に気にする自分は
そこにはいなかった。
本当は色を直すつもりだったけど
そのままにした。
きっと
吹っ切れた自分の記念に
残そうと思ったのだと思う。
卒業写真も満々の笑みで金髪風です。
2年から3年の進級や卒業は
単位がギリギリの教科もありました。
補習を受けて単位をもらい
何とか卒業しました。
3年にあがって
私の中では受験は考えていなくても
数学だけは好きで楽しくて
勉強はしていた。
1,2年の貯金もあって
数学はとても得意だったので
大好きだった数学の先生に
大学進学を度々すすめられたが
役者の道を選び専門学校へ。
『もう自分の好きなことをする!!』
そんな欲求が高いと言う時点で
好きなことをしていない状態
があった事を証明してますよね(笑)
『ガッカリされたくない』
で頑張っちゃう性質の
根っこは解消されていないけど
一度リセットされた出来事でした。
『ガッカリされたくない』
は、その後も色んな場面で
選択や行動を惑わせ
私自身にストレスをかける
原因になります。
その根の部分は幼少期でした。
最近私が解消した
潜在意識の1つです。
専門学校、老舗劇団、プロダクション
お芝居の道へすすみました。
目立つことが好きだった面もあるが
たくさんの人の人生を歩み
多くの人の心の変化を
描写する仕事だったからだと思う。
自分をさらけ出して
表現することは
とても快感でした。
劇中の登場人物には
どんな出来事が起きて
どのように感じて
その人物の根にどんな概念があって
どのように行動するのか
分析するもとても楽しかった。
お芝居とは
人の心の変化を
体現していくものです。
心をさらけ出して
心を丸裸にすることは
全裸になる事よりも
覚悟と勇気がいる大変な作業だ
と仰る演出家さんも
いらっしゃいました。
哲学もお芝居も
人の心、自分の心を
知りたい、学びたい
からきていたのかも知れない。
色んな問題に気付き問題点がわかり
概ね解決することができました。
まだ完全ではないけれど
心の整理をしようと思います。
哲学・心理学が好きです。
本が大嫌いな私にしては
哲学・心理学の本は
たくさん読んだと思います。
見た目は明るく活発で
人生を楽しんでいて
何でも楽しめて
悩みなんか無さそうと
言われるタイプです。
そう言う本質もあるし
振る舞っている部分もあります。
誰でも色んな顔をもっているもの
と思いますが。
自己肯定感は高い方です。
自分が大好きです。
ルーツを探っていくと
それがなぜかもわかってきました。
始まりは高校の時、
哲学の授業に妙に惹かれました。
理系だったので社会系は
一切とらなくても良かったが
倫理(哲学)を3年間取りました。
今思えば解決したい何かが
私の中にあるのを感じていたから
強く興味を持ったんだと思う。
高校2年の夏、
起立性調節障害になりました。
夏休みの部活(バーボール)中に
突然倒れました。
目まいと耳鳴りがひどく頭痛もあり
立っていられなくなりました。
起立性調節障害の原因は
ストレスだと言われたが
自分の生活は充実していて
満たされていて
なにも不自由がないと思って生きていて
何がストレスなのか
当時全く分からなかった。
漠然とした感覚として、
【自分が思っている普段の自分】
と
【本質の自分】
に開きがあることを
自覚し始めたきっかけの出来事
だったと今では思います。
どこかで
心のわだかまりも感じていたが
それが何か、どこから来るのか
全くわからなくて
ますます哲学者達の
自分探しの理論、
真実への追求に興味を持ちました。
その中で一番ひかれた言葉
私の座右の銘
ニーチェ【力への意志】
面白いと思った言葉
デカルト【我思うゆえに我あり】
主要な哲学者の本は一通り
読んだような気がしますが
殆ど忘れました。
どの教科よりも
丁寧に書き取り
何度も見返したノートも
ある人に貸して
返ってきませんでした。
貸した相手は覚えているけど
返却して欲しい気持ちも
なくなりました。
本当に必要な事は
私の中に残る
それで良いのかな
と思うようになったから。
色々解消された今だから思うのは
高校生活の些細な色んな場面で
自分の意見を引っ込め
『ああすれば良かった』
『こうしたいのに』
という想いを溜め続けていました。
私は一見ズケズケ物を言うタイプです。
声が明瞭で口調がハッキリしているから
そう見えるのかと思います。
でも、高校で入った部活は
本当は興味のないものでした。
塾が一緒だった友達と
部活見学をして誘われ
一度は断ったけど
「どうしても一緒に入って欲しい」
と懇願されて入りました。
本当はソフトボールか
ハンドボールをやりたかった。
身長が150センチあるかないかの私です。
圧倒的に不利なのは分かってました。
劣等感がとてもありました。
それでも役割を見つけようと
左利きを生かしたサーブや
小柄で小回りがきくかもしれないと
レシーブをたくさん練習しました。
いくら練習しても評価が得られず
ママさんバレーにも週2で通いました。
私は『自分が楽しいから』ではなく
周りに評価されたくて
部活を続けていました。
とても苦しかった。
でも必死だった。
生き生きとしていた中学と違って
どこか死んだような生活にも
感じていたのかもしれない。
夏休みに倒れ休んだものの
2学期が始まっても倒れる事しばしば。
朝も起きられなくなり
不登校になりました。
目は覚めるけど
立ち上がれない状態です。
朝起きて学校に行く
何年もやってきた当たり前の事が
できなくなりした。
たくさんの人に迷惑をかけている
罪悪感に苛まれました。
何度も死にたいと思いました。
私なんか死ねば良いのにと思いました。
でも行動に移すエネルギーが
ありませんでした。
前に進めない自分が悔しかったり
自分に絶望してたくさん泣きました。
無気力で脱け殻の状態が続きました。
いろんな事がどーでもよくなりました。
自転車で登校中にめまいが起きて
止まっている車に突っ込んだり
ボーッとして注意力がない状態で
交差点を止まらずに飛び出し
車にぶつかり救急車に乗ったり
しました。
命の危機があっても
全く何も感じませんでした。
『死んでもいいのに。』
事故の度に考えてました。
怪我の痛みは全く感じません。
生きてる実感がありませんでした。
それでも私の周りには
温かく支えてくれる人が沢山いました。
誰も私を責めませんでした。
正論を振りかざす人はいませんでした。
誰も私に踏み込んで来ませんでした。
話す事頑張る事何も強要しませんでした。
そっと傍にいてくれました。
『あなたのペースで好きにして良いよ』
『あなたの判断を信じているよ』
そんな雰囲気がありました。
何て声をかけてもらったかは
忘れてしまいました。
「来れる時はおいで。」
そんな感じだったかな?
唯一母だけは
「学校に行かなくてどうするの!」
尻を叩いてきました。
母からはたくさん逃げました。
向き合うことを避けました。
嘘もたくさんつきました。
『どうせ何を言っても分かってくれない』
最近まで母が嫌いでした。
・どうせ分かってくれない
・母が嫌い
その思考の癖や習慣は
自分の問題に気付き
向き合い解決した時に
理由を理解しました。
今の私の中には
その概念はありません。
母とは逆に
学校の人達は
私が何か行動を起こしても
何も変わらなかった。
私にとっては
それが良かった。
何かを行動して反応されたら
私の行動は常に評価される
と過敏になりプレッシャーになるから。
行動を変えにくくなる。
後退したらガッカリされる
と、感じて自分を責めてしまうから。
何をしても許容されている雰囲気。
安心感がありました。
好きな教科から
少しずつ登校しました。
私の場合は数学でした。
先生も好きでした。
結婚されていて片想いです。
恋愛すること自体が楽しいお年頃で
叶う叶わないは気にしてませんでした。
2年の担任でもありました。
近い存在なだけでハッピーでした。
数学は中学の時は好きでも嫌いでもなく
そこそこ勉強して点がとれた程度。
女性のオバチャン先生で
その人は嫌いでした。
高校は進学校でした。
中学の内申がやたら良くて
学力はギリギリで入った高校です。
受験1ヶ月前までは
偏差値が10ほど足りない状態でした。
『学区1番の進学校』に
行くことに私が拘っていました。
・一人でも多くの人に認めてもらいたい
・肩書きが欲しい
そんな想いが根底にあったんだろうと
今になって思います。
それも潜在意識の呪縛です。
塾では志望校変えることを
何度もすすめられました。
親は公立であればどこでも
というスタンスでした。
落ちこぼれになる可能性が高かったけど
何とか合格できた学校です。
そこで受けた数学の授業は
先生の説明がとてもとても楽しくて
ワクワクしました。
ゲーム感覚の楽しさがあり
私の中の数学魂が開花しました。
1年1学期の最初の中間テストで
学年最高の99点を取りました。
間違い(答えが2つあったのに
1つしか書かなかった)は
テストが終わった直後
部活のストレッチ中に気付きました。
全教科の答案を受けとるのは
何故か流れ作業で
ザワザワした状況でした。
担任は女性の数学の先生でしたが
何かの理由で代理で
私の好きな男性の数学の先生が
答案用紙の返却をしてくれました。
伏せて置いてある各教科の答案用紙を
出席番号順に並び自分で回収します。
数学だけはとにかく気になって
チラッと見ました。
減点は1点でした。
問題数からの配点、間違いの内容から
もっと引かれていると思っていたので
手加減した先生を感じました。
でも逆に
引かれたのが1点だけだった事が
さらに悔しかった。
「1点くらいいいじゃーん!」
思わずタメグチで
悔しがる私を見て
笑って「ダメダメ~。」
と言った先生は
「やられたな~」
という感じで
どこか嬉しそうでした。
全員が席につくと
わざわざ数学は最高得点を発表しました。
先生と私の二人だけが
誰の事かが分かるやり取りに
嬉しくてウキウキしました。
先生が私を気に入ってくれて
期待されていることも
感じていました。
ますます勉強が楽しくて
質問もたくさんしました。
先生が分からない質問を聞いてやろうと
大学受験問題集も解きました。
お互い香水を使っていましたが
放課後質問に行く約束をした後は
私も先生も香りが強くなっていて
同じ行動をしてることが
くすぐったい感じでした。
質問しに教科室に行って
向い合わせに座っていたのが
隣になって
だんだん近くなって
腕が触れた時
私の中で違和感がありました。
初恋ではないので
『恋愛と何か違う』
と一瞬感じたのです。
その時は自覚がなかったけど
恐らく、
『父との理想の関係』
を先生に求めていたのかも知れません。
最近知った理想の関係、
私が求めていた関係は
【認め合うこと】です。
私の意見に耳を傾けて
受け止めてくれる事です。
すぐカッとなって短気な父に怯えて
行動の1つ1つにビクビクしていた。
ある日の出来事により父から生まれた
『どうせ聞いてくれない』想いが
全ての人に対して感じる想いに
なりました。
子供の頃の些細な出来事から
私の中に根強く深く
浸透してしまった潜在意識でした。
そんなことは分からない当時
とにかく先生が大好きで
先生にもっと認めてもらいたくて
純粋に一生懸命でした。
だから
2年で担任にあたった時
すごく嬉しかった。
学年主任の先生でもあったので
そんな簡単なものではないと思いつつ
敢えて担任になるように
操作したんじゃないか
くらいに妄想してました。
気に入られていたら嬉しい
そんな気持ちがありました。
ところが近すぎたのは
私のプレッシャーにも
なったのだと思います。
数学だけではなく
他の教科でも成績をあげなきゃ
上位に入らなきゃ
そんな想いが出てきました。
無理をしていたと思います。
それも倒れた引き金に
なったのだろうと思います。
先生が大好きだったからこそ
不登校な私を見た先生に
ガッカリされるのは嫌で
期待を裏切るのも嫌で
裏切られたら…嫌われたら…
立ち直れないとも
最初は思っていました。
でも
めまいが長引くにつれて
中々回復できない状態になって
先生のことも含めて
あらゆる事が
どーでもよくなりました。
振り返れば
周りの目を気にして
頑張りすぎていた肩の力が抜け
心の緊張がほぐれたのかもしれません。
高3にあがりすごく自然体でいる
マイペースな人と
同じクラスになりました。
ゆったりな雰囲気は一目で分かり
憧れたのだと思う。
友達になりました。
真面目一直線優等生路線だった私が
友人と一緒に授業中漫画を読みました。
反抗や反発ではなく
やりたくないことはやらない
やりたいことはやる
ように変わりました。
でも、最低限のやるべき事は
把握していて
守るべきルールは守りました。
ただ、必要以上に
頑張ることはやめました。
部活も3年の1学期で終わりました。
私は徐々に自分を取り戻しました。
ある日
卒業写真を撮るから美容院に行きました。
カラーを間違えて
かなり金髪に近い色になりました。
廊下にあった鏡にふと自分が写り
日差しに当たって更に明るく見えた髪に
さすがにやり過ぎだと思った。
学校に適していないと感じた。
次の瞬間
大好きだった数学の先生とスレ違い
私の頭を見て悲しそうな顔をしました。
でも、私は傷付かなかった。
人の目を必要以上に気にする自分は
そこにはいなかった。
本当は色を直すつもりだったけど
そのままにした。
きっと
吹っ切れた自分の記念に
残そうと思ったのだと思う。
卒業写真も満々の笑みで金髪風です。
2年から3年の進級や卒業は
単位がギリギリの教科もありました。
補習を受けて単位をもらい
何とか卒業しました。
3年にあがって
私の中では受験は考えていなくても
数学だけは好きで楽しくて
勉強はしていた。
1,2年の貯金もあって
数学はとても得意だったので
大好きだった数学の先生に
大学進学を度々すすめられたが
役者の道を選び専門学校へ。
『もう自分の好きなことをする!!』
そんな欲求が高いと言う時点で
好きなことをしていない状態
があった事を証明してますよね(笑)
『ガッカリされたくない』
で頑張っちゃう性質の
根っこは解消されていないけど
一度リセットされた出来事でした。
『ガッカリされたくない』
は、その後も色んな場面で
選択や行動を惑わせ
私自身にストレスをかける
原因になります。
その根の部分は幼少期でした。
最近私が解消した
潜在意識の1つです。
専門学校、老舗劇団、プロダクション
お芝居の道へすすみました。
目立つことが好きだった面もあるが
たくさんの人の人生を歩み
多くの人の心の変化を
描写する仕事だったからだと思う。
自分をさらけ出して
表現することは
とても快感でした。
劇中の登場人物には
どんな出来事が起きて
どのように感じて
その人物の根にどんな概念があって
どのように行動するのか
分析するもとても楽しかった。
お芝居とは
人の心の変化を
体現していくものです。
心をさらけ出して
心を丸裸にすることは
全裸になる事よりも
覚悟と勇気がいる大変な作業だ
と仰る演出家さんも
いらっしゃいました。
哲学もお芝居も
人の心、自分の心を
知りたい、学びたい
からきていたのかも知れない。