新しい命が誕生する、ということは、世の中でもっとも喜ばしいことであろうと思う。


産まれてきたその子に、たくさんの幸せが満ち溢れるようにとただただ願い、無事に産まれてくることを祈る。



まだ20代の始めの頃、人間は産まれてきたときは、善であるかそれとも悪であるか、ということを誰かと語ったりしたことがある。


つまり人間、産まれたときは善であるという性善説か、産まれたときは悪であるという性悪説か、どちらだと思うかという話である。



性善説では、産まれたときは誰しも善であるが、生きていくうちに悪にまみれていってしまうという。

性悪説では、産まれたときは誰しも悪を背負ってきているが、生きていくうちにそれを乗り越え、善となるという。



私は、性善説であってほしいと、その頃は思っていました。

産まれたときは誰しも善である。そして、悪と戦いつつ、善を貫いていく。

そうであってほしいという、願望があった。



が、最近、人間は少なからず何らかの悪を背負って生まれてくる性悪説が現実ではないかと思い始めました。


生まれながらに背負っている悪を乗り越えていく。これが、人生というものではないか。




そんな風に思うようになりました。



もちろん悪だけ背負って産まれてくるはずもないでしょう。


たくさんの幸せの中に、わずかに悪が混じって産まれてくるのか、可哀想なくらい不幸と悪にまみれて産まれてくるのか、それはその子の運命でありましょう。





先に生まれた大人は、新しく産まれてきた子どもが、わずかな悪を乗り越えるための手助けをしてやりたいと思い、また、不幸と悪にまみれて産まれた子どもにも、ささやかな幸せが通りすぎるように、何かを与えてやりたいと思うものであろう。




こんな風にして、人類の歴史は、ずっと続いてきているし、これからもまた、続いていくんだろうと思う。




もっと歳をとって大人になったら、また人間についていろいろと考えることが変わっていくんだろう。





歳をとるということは、すばらしいことである。



そして、一日一日を、大切に過ごしていきたいと、心から思う。