今日は、昨日のお天気とうって変わって、雨です。ざあざあ降りです。



自己破壊的人間は、自分を大切にできない。

自分を大切にできない人間が、他人を大切にできるはずもない。

では、そのような母親に育てられた子どもは、どんな風に育つのか。


まず、大切に育てられていない。愛情を注がれない。親の保護を受けられない。

つまり、自分が親から受けたのと同じように、子どもに適正な愛情と保護を与えることができずに育てていく。


つまり、周りは、この自己破壊的な母親に、もう一度、親の愛情と保護を与えていくと同時に、この母親の産んだ子どもに、親の愛情と保護を持って育てていかなければならなかった。


どちらが大切か、といえば、すでに自己破壊している母親よりも、新たに産まれた幼子のほうが大切である。それゆえに、この幼子を必死でまともに育てようとする。

すると、自己破壊している母親まで手が回らないし、この母親の存在が邪魔になる。

お兄さんのほうは、このような感じで、ある時期まで周りにまともに育てられたとする。が、妹の場合。特に同性であるということから、母親が他人に渡そうとせずに、抱え込んでいたとする。

ならば、この自己破壊的母親に妹が育てられていたとすると、この妹も自己破壊的な要素が少なからずあるであろう。そして、また、この妹も子どもを産んでしまった。

自己破壊の連鎖である。



前に知り合いの女性で、結婚したんだけど、自分は子どもの頃、親からひどい虐待を受けたので、子どもは作らない、という人がいたよ。

そういう自覚があれば、まだ本人も対処のしようがあるでしょうね。

自分からカウンセリングに通う、とか。


しかし、本人に全く自覚がない場合。

ぽこぽこ子どもを産んで、適当に育てる。



寝ている赤ちゃんを家に放置したまま、買い物に出かける。

冬の寒い中、薄い肌着一枚で、手足を拭きっ晒しにして、その辺に放置する。


そんなことが、平気でできてしまう。

し、母親はそれを見ても何とも思わない。



しかし、周りからしたら、まともに育っている息子が何よりも大事である。

この息子が、自己破壊的な母、妹に引きずられ、道を外さないことだけに気を遣う。

しかし、これを母と妹がまた必死で阻止しようとする。



しかも、お父さんも周りから期待されている優れた職人である。

家族の事情から解放され、すばらしい作品を生み出すことを、みんな待っている。

しかし、こちらも、母と妹が必死で邪魔しようとする。



まずは、母や妹に引きずられないように、息子が人間的に成長することが望まれる。





しかし、この母と妹は、父や息子から離れてしまったら、何をしでかすかわからない。

母と妹の合体。これは相乗効果で悪に走る。



残念ながら、全ての思考が、善と悪が逆になってしまっています。

善いと思われることが、その人にとっては悪いことで、明らかに悪いことが、その人にとっては善い事になっている。当たり前に。


その人のために、と思って、素晴らしいプレゼントをあげたとしても、ただのブタに真珠に終わり、こんなものと思ったゴミなんかをもらって喜ぶ。

なので、周りは自然とその人に、ゴミばかりを与え、だまして何かを奪ったりする。そして、本人にとっては、そういう人が良い人になっている。


なので、もちろん、本人も他人にゴミのようなものばかり与え、平気で何かを奪ったりする。別に悪いこととも思っていない。

なので、母親は、子どもにしょうもないものばかり与え、子どものものを平気で奪う。


ある時期までまともに育ったお兄さんは、ある時期から、自己破壊的な母親にこのように育てられた。


しかし、父親が、別に息子にだけ、特別なものを与えた。

例えば、食べるもの。着るもの。息子にだけ特別に美味しいものを食べさせ、息子にだけ良い服を与えた。母や妹に刺激を与えずにおれる程度に。


それが、お父さんの精一杯だった。


とても、母親の自己破壊を更生させる余裕なんかあるわけもない。



外の世界に対して、犯罪を起こさないように囲う。それが精一杯だったであろう。


自分を破壊していく人間が、他人を破壊していかないわけがない。


残念ながら、同情よりも、嫌悪が先に立つ。





「黄昏のビギン」 水原弘