一夜の大混乱のあと、またもや事情が変わりました。
教員のパートナーシップが戻ってきました。
でも、もうI先生ではありません。今度は、O先生です。(名字変わったんで)
そして、受け入れたはずの妹さんは、再び出ていきました。
教員のパートナーは、昨日と同じ人です。
僕の家は、地元では名の知れた代々続く名士の家である。
父親は事業をやっていて、母親は今僕が勤めている学校の教員だった。
僕は、彼らの一人息子である。そして、彼らはもうこの世にはいない。
僕は、天涯孤独の人生を気ままに送っている。
僕があの子に会ったのは、もうかなり前である。
僕が小学生で、あの子はまだ幼稚園ぐらいだった。
広島の大学病院で、幼いあの子を見かけた。
僕は、全身に衝撃を受けた。
あの子の周りには神々しいまでの光が満ち溢れ、周りを明るく照らしていた。
忙しい両親のもとで、病弱だった僕は、孤独な日々を送っていた。
しかし、あの子に会ってから僕の人生は光に包まれるようになった。
あの子のことが頭から離れなかった。
毎日、毎日、もう一度会えるようにと祈り続けた。
次に会えたのは僕が高校生のときだった。
あの子は小学生になっていた。
一目見てすぐにわかった。
僕は母親が教員だったため、よく母親の職場に出入りし、同僚の先生などにも可愛がってもらっていた。
あの子はまだ小学生だったけど、すでに、教員になるための訓練を受けていた。
僕もそうだったから、すぐにわかった。
僕はこの出会いを運命だと感じた。
それ以来、僕とあの子は、教員というパートナーシップでずっとつながれている。
僕はまだ17歳で、あの子は10歳だった。
そして、再び会えたのは、彼女が僕の勤めている学校に赴任してきたときだった。
僕は37歳で、あの子は30歳だった。
20年ぶりの再会だった。
あの子が赴任してきたとき、僕の勤めている学校は、荒廃の極みにあった。
抱えている性同一性障害の女性の対応も限界を迎え、それに追われたために肝心の学生への教育がおろそかになっていた。
僕とあの子は、その年、学生会という学生のリーダーを集めた会の顧問を二人でやることになった。
あの子は、以前いた土地で何かがあったらしく、万全の体調とは思えず、僕は僕で、これまでの教員人生に情熱を注ぎ込み過ぎ、燃え尽き症候群になっていた。
そのような、すべてが万全ではない状態で、僕らの戦いは幕を開けた。
荒廃した学校に集まってくる学生は、もちろん質が悪い。
学外の評判はかなり悪く、同市にある別の学校に学生をとられていた。
まずは、学生会を立て直し、学生のモチベーションをあげろと指令があった。
僕は学内で、唯一の若手の男性教員だったし、彼女も数少ない若い女性教員の一人だった。
女子大に勤める場合、女子学生の気を引く風貌を身につけていなければならない。
僕は、ブランドの服に身を包み、外車を乗り回していた。
彼女は何もしなくてもすでに美しかったので、学生の嫉妬の対象にならないように、質素な服を着てもらい、地味に振舞ってもらった。
そして、学生はいつも僕の部屋に出入りし、僕がいつも相手をし、彼女には、それを見守る役割をしてもらった。
僕らにはもう一つの使命があった。
性同一性障害の女性教員が顧問をしているサークルがあった。
このサークルも好き放題をやっていて手がつけられなかった。これを、また始末するようにといわれていた。
そうして、僕らは学生会とサークルとをなんとか調整していった。
このとき、僕らが所属していた学生部の部長が、彼女の所属していた科の教員だった。そして、彼女の所属していた科の科長が、文科省の密命を受けた教員であった。
もちろん性同一性障害の女性は、彼女の所属していた科の教員だった。
こんな風に、僕らは微妙に連携をとりながら、慎重に事を運んで行った。
そんな中で、昨日の女性教員は、僕の所属する科の同僚の教員で卒業生であった。
つまり、僕らのこのチームプレーに足を突っ込みたがった。
しかし、彼女はにわか仕込みの素人で、別の契約によって教員となった人物であったので、とても我々の仕事に関わることなどはできなかった。
仕方がないので、学生部長だった僕は、彼に適当に相手をしてやって黙らすように命じた。
とかく、彼女と性同一性障害の女性の間に割り込み、ちょっかいを出してきたので、うまくいくものもいかなくなったりしていた。
彼女は、いろんな所で相当な訓練を受けていた。
いつ、何時も、感情に動かされることなく、優先順位も間違うことなく、決して誰も傷つけることなく、上手に物事を運んでいった。
他の教員がひいひい言いながらやっている授業は、彼女にとっては気晴らしで、さらに、他の教員にとっては頭痛のタネである研究は、彼女にとってはただの趣味であった。
そして、どちらもかなり高いレベルを維持していた。
我々が性同一性障害の女性教員を預かっていたのは、彼女がここのレベルに達するのをただ待つためであった。
彼女の天職は、教員である。
しかし、学校に身を置くだけが、その仕事場ではない。
学校という閉鎖空間を飛び出て、さらに多くの人々を救うことを、我々は願っている。
また、彼女は決して一人で何かを行うことはない。
何事にも、常にパートナーが必要である。
そのパートナーシップを育み、不可能を可能にしてほしい。再び、奇跡を待っている。
今度、鈴鹿に連れてってね(^-^)/
ちなみに乗ってる車はアルファロメオ

「サーキットの娘」 PUFFY
教員のパートナーシップが戻ってきました。
でも、もうI先生ではありません。今度は、O先生です。(名字変わったんで)
そして、受け入れたはずの妹さんは、再び出ていきました。
教員のパートナーは、昨日と同じ人です。
僕の家は、地元では名の知れた代々続く名士の家である。
父親は事業をやっていて、母親は今僕が勤めている学校の教員だった。
僕は、彼らの一人息子である。そして、彼らはもうこの世にはいない。
僕は、天涯孤独の人生を気ままに送っている。
僕があの子に会ったのは、もうかなり前である。
僕が小学生で、あの子はまだ幼稚園ぐらいだった。
広島の大学病院で、幼いあの子を見かけた。
僕は、全身に衝撃を受けた。
あの子の周りには神々しいまでの光が満ち溢れ、周りを明るく照らしていた。
忙しい両親のもとで、病弱だった僕は、孤独な日々を送っていた。
しかし、あの子に会ってから僕の人生は光に包まれるようになった。
あの子のことが頭から離れなかった。
毎日、毎日、もう一度会えるようにと祈り続けた。
次に会えたのは僕が高校生のときだった。
あの子は小学生になっていた。
一目見てすぐにわかった。
僕は母親が教員だったため、よく母親の職場に出入りし、同僚の先生などにも可愛がってもらっていた。
あの子はまだ小学生だったけど、すでに、教員になるための訓練を受けていた。
僕もそうだったから、すぐにわかった。
僕はこの出会いを運命だと感じた。
それ以来、僕とあの子は、教員というパートナーシップでずっとつながれている。
僕はまだ17歳で、あの子は10歳だった。
そして、再び会えたのは、彼女が僕の勤めている学校に赴任してきたときだった。
僕は37歳で、あの子は30歳だった。
20年ぶりの再会だった。
あの子が赴任してきたとき、僕の勤めている学校は、荒廃の極みにあった。
抱えている性同一性障害の女性の対応も限界を迎え、それに追われたために肝心の学生への教育がおろそかになっていた。
僕とあの子は、その年、学生会という学生のリーダーを集めた会の顧問を二人でやることになった。
あの子は、以前いた土地で何かがあったらしく、万全の体調とは思えず、僕は僕で、これまでの教員人生に情熱を注ぎ込み過ぎ、燃え尽き症候群になっていた。
そのような、すべてが万全ではない状態で、僕らの戦いは幕を開けた。
荒廃した学校に集まってくる学生は、もちろん質が悪い。
学外の評判はかなり悪く、同市にある別の学校に学生をとられていた。
まずは、学生会を立て直し、学生のモチベーションをあげろと指令があった。
僕は学内で、唯一の若手の男性教員だったし、彼女も数少ない若い女性教員の一人だった。
女子大に勤める場合、女子学生の気を引く風貌を身につけていなければならない。
僕は、ブランドの服に身を包み、外車を乗り回していた。
彼女は何もしなくてもすでに美しかったので、学生の嫉妬の対象にならないように、質素な服を着てもらい、地味に振舞ってもらった。
そして、学生はいつも僕の部屋に出入りし、僕がいつも相手をし、彼女には、それを見守る役割をしてもらった。
僕らにはもう一つの使命があった。
性同一性障害の女性教員が顧問をしているサークルがあった。
このサークルも好き放題をやっていて手がつけられなかった。これを、また始末するようにといわれていた。
そうして、僕らは学生会とサークルとをなんとか調整していった。
このとき、僕らが所属していた学生部の部長が、彼女の所属していた科の教員だった。そして、彼女の所属していた科の科長が、文科省の密命を受けた教員であった。
もちろん性同一性障害の女性は、彼女の所属していた科の教員だった。
こんな風に、僕らは微妙に連携をとりながら、慎重に事を運んで行った。
そんな中で、昨日の女性教員は、僕の所属する科の同僚の教員で卒業生であった。
つまり、僕らのこのチームプレーに足を突っ込みたがった。
しかし、彼女はにわか仕込みの素人で、別の契約によって教員となった人物であったので、とても我々の仕事に関わることなどはできなかった。
仕方がないので、学生部長だった僕は、彼に適当に相手をしてやって黙らすように命じた。
とかく、彼女と性同一性障害の女性の間に割り込み、ちょっかいを出してきたので、うまくいくものもいかなくなったりしていた。
彼女は、いろんな所で相当な訓練を受けていた。
いつ、何時も、感情に動かされることなく、優先順位も間違うことなく、決して誰も傷つけることなく、上手に物事を運んでいった。
他の教員がひいひい言いながらやっている授業は、彼女にとっては気晴らしで、さらに、他の教員にとっては頭痛のタネである研究は、彼女にとってはただの趣味であった。
そして、どちらもかなり高いレベルを維持していた。
我々が性同一性障害の女性教員を預かっていたのは、彼女がここのレベルに達するのをただ待つためであった。
彼女の天職は、教員である。
しかし、学校に身を置くだけが、その仕事場ではない。
学校という閉鎖空間を飛び出て、さらに多くの人々を救うことを、我々は願っている。
また、彼女は決して一人で何かを行うことはない。
何事にも、常にパートナーが必要である。
そのパートナーシップを育み、不可能を可能にしてほしい。再び、奇跡を待っている。
今度、鈴鹿に連れてってね(^-^)/
ちなみに乗ってる車はアルファロメオ


「サーキットの娘」 PUFFY