昨日は、久しぶりに実家に行って、ピアノなどを弾いてみたりしました。
母親が、もう誰も弾かないので、邪魔だと言っていたので、いずれもらうから、誰にもあげずに、捨てずに置いといて下さいと、予約だけしときました。
ピアノは、女の子の憧れですから。
Gさんが、私たちの学校に赴任してきたのは、今から14年ほど前です。
私たちの学校は、女子教育においてはかなり伝統と実績があり、全国から高い評価を受けていました。
私も、数十年前に卒業し、卒業と同時に恩師に声をかけていただき、勉強を積み、母校の教員になりました。
私は、自分の学校とこの教員という職に、とても誇りを持っていました。
そのすべてをめちゃくちゃにしたのが、Gさんでした。
Gさんは、当時、女子教育の中で、もっとも難しいとされていた、性同一性障害を抱えた女性というか男性というか、そういう人でした。
その人を、我が校で預かる事になったと言われました。
私は、Gさんより10歳くらい年上でしたが、同じ教員として同じ職場で働く同僚として、何かと世話を焼き始めました。
大変な爆弾を抱えさせられたと嘆く教員もいれば、これは我々に与えられた聖なる使命であると豪語する教員もいました。
私も少なからず自分の教育歴に自信を持っていたので、この人を救ってやろうと思っていました。
最初はとてもおとなしく、どんな人なのか、何を考えているのかまったくわかりませんでした。
ただ、私は、女子学生の不幸な生い立ちに耳を傾け、それを一緒に乗り越えていくことが得意でしたので、そんな風に、彼女の生い立ちなどをおいおいと聞き出していたりしたのでした。
Gさんの生い立ちは、想像通りかなり不幸なものでした。私は涙を流しながら、その話に耳を傾け、共に励まし合いました。
他の先生方も、それぞれがそれぞれのやり方で、Gさんに接し、少なからずその教員人生をGさんのために犠牲にしていました。
不幸な学生にありがちなように、教員の親切や指導に対し、感謝を表すどころか、何か裏があると思われ、恩を仇で返すような仕打ちをされ続けました。
それでも、私たちはあきらめることなく、必死でGさんを救い続けました。
しかし、彼女はどんどん本性を現していき、とんでもないことをしでかし続けました。
学園の内外において、かなりの問題を引き起こし、その揉み消しに多くの時間とエネルギーを取られました。彼女が健常な人間でないことをひたすら話し、時には非情な手段を持って、事態を揉み消しました。
私たちは、身も心もボロボロになっていました。
一番苦しいのは本人である。この原点に常に立ち返り、自らを奮い立たせました。
しかし、いつしか私の身は汚れきっていて、心も荒みきってしまっていました。
彼女は、性を売り買いする仕事を裏でしていて、わが校の学生を、とかくその道に引き入れようとしました。
私は、できるだけ自分が犠牲になりました。少しでも多くの学生を、Gさんの犠牲にさせまいと、頑張りました。
しかし、今に思えば、その私たちの偽善めいた行動こそが、さらに彼女を不幸に陥れていたもかもしれません。
もう、手の尽くしようがない、というところまで来た時、Gさんの母校から、一人の後輩が赴任してくることになりました。I先生です。
この先生は、もうずいぶん前から、Gさんとは因縁のある関係のようでした。
私たちは、I先生に最後の望みをかけました。これでだめならば、もう打つ手立てはない、ということでした。
とても優秀な方でした。女子学生は一目でI先生のことを大好きになり、先生の真似をし始めました。
話し方や身のこなし、食事の仕方、すべてがパーフェクトでした。
にわか仕込みの私とは、比べ物にならない育ちの良さを感じました。
まさに、わが校にふさわしい女性教員であると、大変評判になりました。
もちろん、研究室が近かった私にも、きさくに親切に対応されていました。
しかし、私は自分が卒業生であり、学生のお手本となって、先頭に立ち学生を導いてきたつもりでしたので、I先生にその座を取って奪われたような気がしてなりませんでした。
I先生は、赴任当初から、ご自分の使命をわかっておられたようで、取り巻く女子学生には目もくれず、Gさんの対応に執心されていました。
これまで、少なからず自分の教育実績のために動いている教員も多くいましたので、そのことを全く感じなかったI先生に、Gさんは距離を近づけていたようでした。
このことが、また、私の気に障りました。
これまで、一体どれだけ私が、そして、わが校がGさんのために多くの犠牲を払ってきたのか。
それを、出身校の後輩が来た途端、Gさんは変わっていったのです。
そんなことなら、自分たちの出身校に戻ってやってくれ。
そんな思いが、私たちの中で芽生え始めました。
それこそ、ぽっとやってきた30そこそこの若造に、出し抜かれて、自分の教員人生のプライドをずたずたにされた先生方もたくさんいました。
I先生とGさんは確実に距離を縮めていき、事態は良い方向に向かっていきました。
しかし、これまでの戦闘でぼろぼろになった教員たちと、すさんだ校風は取り残されていきました。
伝統あるお嬢さん学校といわれていたわが校が、Gさんが来たことによって、合コンやキャバクラ嬢の巣窟のように思われていき、評判はガタ落ちでした。
これを一体どうしてくれるんだ、といわんばかりに、今度は私たちは二人の仲を邪魔するようになりました。
GさんはI先生と接することによって、他人に対する感謝の気持ちや、申し訳ないと思う心のようなものを少しずつ取り戻していっていました。
そうなると、私たちはこれまでにつもりにつもったうっぷんを晴らすかのように、Gさんに辛く当たり始めたのです。
そこが、やはり、教員といえども、ただの下等な人間であることが判明したのでした。
私を含め教員の多くは、そうなりました。
ただ、数名の本当に優れた先生だけが、GさんとI先生を守っていました。
I先生には何の罪もありません。学生にも人気があったし、またそのことに対して嫉妬を覚えたりするような教員にも、でしゃばらず控えめに上手に対応していました。
しかし、Gさんがまともになっていけばなっていくほど、私たちの辛苦をなめた記憶がよみがえってきて、Gさんに対して、償いを求めるようになっていきました。
そのとばっちりを、GさんのそばにいたI先生は思いっきり受けていました。
Gさんはおそらく、このままI先生を自分のそばに置いておいてはいけないと思ったようで、I先生を退職させようとしました。
I先生を教職から退かせるためには、それはI先生の担当している学生を自分の犠牲にさせること。
このことは、まちがいなくI先生を退職に持っていける方法でした。
そして、Gさんはそれを実行しました。I先生のゼミ生に暴行を加えたのです。
I先生は、即刻辞職を決意したようです。
I先生が退職してから、わが校の教員のGさんに対する嫌がらせはさらにエスカレートしていきました。
辞めさせてなるものか、といわんばかりに、仕事を押し付け、嫌みを言い、嫌がらせを続けました。
Gさんは、それにひたすら耐えていました。
自分のやってきたことを、ただ、許してほしい。そう思っているようでした。
そして、数年経ち、ようやくみんなの気持ちも癒え、Gさんはめでたくわが校を去っていくことになりました。
しかし、私はたった一人、Gさんのことを許せずにいます。
I先生を守るためとはいえ、またわが校の学生を犠牲にしたのです。
それほど、仲が良いのであれば、事情を話合い、普通に退職していけばいいものを、なぜ、わざわざ学生を犠牲にさせる必要があったのか。
あんた、I先生のこと、まったくわかってねえな。
そんな渦中にある人間を放り出して、自分だけのうのうと暮らしていけるような、そんな人間ではありませんよ。I先生は。
学生を犠牲にさせたのは、あんただろーが。
そこを痛感するから、立ち直れねえんだろーが。
自分を犠牲にしたつもりで、世話してきたGさんに、最後にそんな仕打ちをされた。
それが、あんたがやってきたすべてのことの、正当な結果なんだよ。
I先生がGさんを救う過程で、ご自分を犠牲にされたことがあったでしょうか。
おそらく1ミリもなかったと思います。
自分を犠牲にする人は、間違いなく相手にも犠牲を払わせます。
あなたがご自分を犠牲にして守ってきた学生は、おそらくあなたのために多くの犠牲を払わされていたことでしょう。
いかがでしょうか。
あなたのこの自己愛的な苦しみをI先生はいまだに引き受けているため、別の人間を救う事ができないでいます。
あなたこそ、さっさと教職を退くべき人物だったのではないですか。
私は、自分を愛しているからこそ、このような醜い姿になっても、生きていけるのです。
救いようがねえな。
じゃあ、なんでI先生にしがみついてるんだよ。
私も、I先生のようになりたかった。
「よろしく哀愁」 ヒロミ・ゴー
母親が、もう誰も弾かないので、邪魔だと言っていたので、いずれもらうから、誰にもあげずに、捨てずに置いといて下さいと、予約だけしときました。
ピアノは、女の子の憧れですから。
Gさんが、私たちの学校に赴任してきたのは、今から14年ほど前です。
私たちの学校は、女子教育においてはかなり伝統と実績があり、全国から高い評価を受けていました。
私も、数十年前に卒業し、卒業と同時に恩師に声をかけていただき、勉強を積み、母校の教員になりました。
私は、自分の学校とこの教員という職に、とても誇りを持っていました。
そのすべてをめちゃくちゃにしたのが、Gさんでした。
Gさんは、当時、女子教育の中で、もっとも難しいとされていた、性同一性障害を抱えた女性というか男性というか、そういう人でした。
その人を、我が校で預かる事になったと言われました。
私は、Gさんより10歳くらい年上でしたが、同じ教員として同じ職場で働く同僚として、何かと世話を焼き始めました。
大変な爆弾を抱えさせられたと嘆く教員もいれば、これは我々に与えられた聖なる使命であると豪語する教員もいました。
私も少なからず自分の教育歴に自信を持っていたので、この人を救ってやろうと思っていました。
最初はとてもおとなしく、どんな人なのか、何を考えているのかまったくわかりませんでした。
ただ、私は、女子学生の不幸な生い立ちに耳を傾け、それを一緒に乗り越えていくことが得意でしたので、そんな風に、彼女の生い立ちなどをおいおいと聞き出していたりしたのでした。
Gさんの生い立ちは、想像通りかなり不幸なものでした。私は涙を流しながら、その話に耳を傾け、共に励まし合いました。
他の先生方も、それぞれがそれぞれのやり方で、Gさんに接し、少なからずその教員人生をGさんのために犠牲にしていました。
不幸な学生にありがちなように、教員の親切や指導に対し、感謝を表すどころか、何か裏があると思われ、恩を仇で返すような仕打ちをされ続けました。
それでも、私たちはあきらめることなく、必死でGさんを救い続けました。
しかし、彼女はどんどん本性を現していき、とんでもないことをしでかし続けました。
学園の内外において、かなりの問題を引き起こし、その揉み消しに多くの時間とエネルギーを取られました。彼女が健常な人間でないことをひたすら話し、時には非情な手段を持って、事態を揉み消しました。
私たちは、身も心もボロボロになっていました。
一番苦しいのは本人である。この原点に常に立ち返り、自らを奮い立たせました。
しかし、いつしか私の身は汚れきっていて、心も荒みきってしまっていました。
彼女は、性を売り買いする仕事を裏でしていて、わが校の学生を、とかくその道に引き入れようとしました。
私は、できるだけ自分が犠牲になりました。少しでも多くの学生を、Gさんの犠牲にさせまいと、頑張りました。
しかし、今に思えば、その私たちの偽善めいた行動こそが、さらに彼女を不幸に陥れていたもかもしれません。
もう、手の尽くしようがない、というところまで来た時、Gさんの母校から、一人の後輩が赴任してくることになりました。I先生です。
この先生は、もうずいぶん前から、Gさんとは因縁のある関係のようでした。
私たちは、I先生に最後の望みをかけました。これでだめならば、もう打つ手立てはない、ということでした。
とても優秀な方でした。女子学生は一目でI先生のことを大好きになり、先生の真似をし始めました。
話し方や身のこなし、食事の仕方、すべてがパーフェクトでした。
にわか仕込みの私とは、比べ物にならない育ちの良さを感じました。
まさに、わが校にふさわしい女性教員であると、大変評判になりました。
もちろん、研究室が近かった私にも、きさくに親切に対応されていました。
しかし、私は自分が卒業生であり、学生のお手本となって、先頭に立ち学生を導いてきたつもりでしたので、I先生にその座を取って奪われたような気がしてなりませんでした。
I先生は、赴任当初から、ご自分の使命をわかっておられたようで、取り巻く女子学生には目もくれず、Gさんの対応に執心されていました。
これまで、少なからず自分の教育実績のために動いている教員も多くいましたので、そのことを全く感じなかったI先生に、Gさんは距離を近づけていたようでした。
このことが、また、私の気に障りました。
これまで、一体どれだけ私が、そして、わが校がGさんのために多くの犠牲を払ってきたのか。
それを、出身校の後輩が来た途端、Gさんは変わっていったのです。
そんなことなら、自分たちの出身校に戻ってやってくれ。
そんな思いが、私たちの中で芽生え始めました。
それこそ、ぽっとやってきた30そこそこの若造に、出し抜かれて、自分の教員人生のプライドをずたずたにされた先生方もたくさんいました。
I先生とGさんは確実に距離を縮めていき、事態は良い方向に向かっていきました。
しかし、これまでの戦闘でぼろぼろになった教員たちと、すさんだ校風は取り残されていきました。
伝統あるお嬢さん学校といわれていたわが校が、Gさんが来たことによって、合コンやキャバクラ嬢の巣窟のように思われていき、評判はガタ落ちでした。
これを一体どうしてくれるんだ、といわんばかりに、今度は私たちは二人の仲を邪魔するようになりました。
GさんはI先生と接することによって、他人に対する感謝の気持ちや、申し訳ないと思う心のようなものを少しずつ取り戻していっていました。
そうなると、私たちはこれまでにつもりにつもったうっぷんを晴らすかのように、Gさんに辛く当たり始めたのです。
そこが、やはり、教員といえども、ただの下等な人間であることが判明したのでした。
私を含め教員の多くは、そうなりました。
ただ、数名の本当に優れた先生だけが、GさんとI先生を守っていました。
I先生には何の罪もありません。学生にも人気があったし、またそのことに対して嫉妬を覚えたりするような教員にも、でしゃばらず控えめに上手に対応していました。
しかし、Gさんがまともになっていけばなっていくほど、私たちの辛苦をなめた記憶がよみがえってきて、Gさんに対して、償いを求めるようになっていきました。
そのとばっちりを、GさんのそばにいたI先生は思いっきり受けていました。
Gさんはおそらく、このままI先生を自分のそばに置いておいてはいけないと思ったようで、I先生を退職させようとしました。
I先生を教職から退かせるためには、それはI先生の担当している学生を自分の犠牲にさせること。
このことは、まちがいなくI先生を退職に持っていける方法でした。
そして、Gさんはそれを実行しました。I先生のゼミ生に暴行を加えたのです。
I先生は、即刻辞職を決意したようです。
I先生が退職してから、わが校の教員のGさんに対する嫌がらせはさらにエスカレートしていきました。
辞めさせてなるものか、といわんばかりに、仕事を押し付け、嫌みを言い、嫌がらせを続けました。
Gさんは、それにひたすら耐えていました。
自分のやってきたことを、ただ、許してほしい。そう思っているようでした。
そして、数年経ち、ようやくみんなの気持ちも癒え、Gさんはめでたくわが校を去っていくことになりました。
しかし、私はたった一人、Gさんのことを許せずにいます。
I先生を守るためとはいえ、またわが校の学生を犠牲にしたのです。
それほど、仲が良いのであれば、事情を話合い、普通に退職していけばいいものを、なぜ、わざわざ学生を犠牲にさせる必要があったのか。
あんた、I先生のこと、まったくわかってねえな。
そんな渦中にある人間を放り出して、自分だけのうのうと暮らしていけるような、そんな人間ではありませんよ。I先生は。
学生を犠牲にさせたのは、あんただろーが。
そこを痛感するから、立ち直れねえんだろーが。
自分を犠牲にしたつもりで、世話してきたGさんに、最後にそんな仕打ちをされた。
それが、あんたがやってきたすべてのことの、正当な結果なんだよ。
I先生がGさんを救う過程で、ご自分を犠牲にされたことがあったでしょうか。
おそらく1ミリもなかったと思います。
自分を犠牲にする人は、間違いなく相手にも犠牲を払わせます。
あなたがご自分を犠牲にして守ってきた学生は、おそらくあなたのために多くの犠牲を払わされていたことでしょう。
いかがでしょうか。
あなたのこの自己愛的な苦しみをI先生はいまだに引き受けているため、別の人間を救う事ができないでいます。
あなたこそ、さっさと教職を退くべき人物だったのではないですか。
私は、自分を愛しているからこそ、このような醜い姿になっても、生きていけるのです。
救いようがねえな。
じゃあ、なんでI先生にしがみついてるんだよ。
私も、I先生のようになりたかった。
「よろしく哀愁」 ヒロミ・ゴー