久々の高校の同窓会。
実のところ前回の微妙な違和感は
ぶっちゃけ不快感。
やっぱ人とのつながりは大事かも
などと今更ながらの人生訓がちらつく今日この頃
直前に参加を決意。

なんかみんなすごく話しかけてくれるんだよね。
なんかうれしくなるよね。
なんか二次会にも行きたくなるよね。

あれ?ところで
オレってどういう人として
みんなに認識されてたんだ?

自意識過剰のクセに自分の立ち位置に
対する認識が足りないと
たびたび指摘されるし
その通りだとつくづく。

それでも意外な旧友に会えたことは
素直に嬉しい。

あぁ、ただレアキャラで受けたのかしらん。
いまさらながらツイッターを使いはじめたのです。
さいしょはカオスっぷりにこしが引けたのですが
ようやくなれてきました。
ツイッターにはインフルエンサーという
ゆう名人がちらほらいたりするのですが
界隈で知られているだけで
インフルエンサーのはっするじょうほうを
友人とはほとんどきょうゆうできないのでした。

だれそれのファンなんですぅ。
と言うのは仲よくなるキッカケによくつかうのですが
その「だれそれ」をだれも知らないってことが
ままあるわけで。

これも偏に私の生息する界隈が多分に歪な故でありまする。
痛みのない人生などあるわけもなく
痛みを経験したことのない人間はむしろ有害。

というわけで体罰肯定派なオレ。

「犬と一緒」などと恐ろしいことを言うヨメほどではないが
ムスメのアタマももちろんどつくのである。

先だってあまりの悪ふざけにはじめてビンタした。
「あ、ビンタ初めてだわ」という文字が
ギャン泣き15フレ前のムスメの姿に重なって見える。
これを幻覚というのだな。

かれこれ1週間たつがただならぬ罪悪感。

子を得てびっくしたのは叱って怒って怒鳴ってばかりなのに
子への愛が褪せないこと。
むしろ自分を嫌いになるわ。

でもねでもねブライトさんのいい気なセリフは
我がムスメには今回の件で通じないことになりました。
新潮45が休刊に追い込まれるまでのいざこざを横目で見ていた。
掲載記事に目を通していないので内容については発言できないのだけれど
ネットで噴出した擁護非難悲喜交々は世論は気分と思わせるに十分。

そんな中、ガチ保守で騒動の張本人とゲイの大学教授が出てる討論動画を見たのであった。
主張の中味はどうあれ自らの信念に基づき終始、落ち着いた姿勢を保とうとする張本人と
もう感情のみで不機嫌というか怒りを隠さず、ロジカルな対話不可能なゲイの大学教授の姿。

前提なしで視聴したらガチ保守の論説を無条件で受け入れちゃうぐらいの好印象。

見た目と態度で人生なんとかなると確信した次第。
そこまで好きなわけでもないのに
うまいラーメンが食べたいという思いが
常にココロの片隅を占拠してる。
辛抱たまらずかけこむのは大体ぎとぎと豚骨系。
結局、トンコツならなんでもいいのだわ。

ランチタイムも落ち着いた午後2時ちょっと前。
目論見通りカウンターの客もまばらな豚野郎。
いざ食さん。
ガラッガラなのにわざわざ隣に座する翁あり。

ちっ、なんでだよ。

翁は何ももたぬ右手を耳にあてると何やら会話をはじめるのである。

あっ、電波の人。

電波界の住人と会話しつつ、
「こんなこと言っておるが、尊君いかが思ふ?」
などと時折オレに同意賛同を求める。

耐性は割とある方で、平常に接する方ではあるけれど
さすがにラーメンの味はしないのであった。

修行が足りん。

「これってどうやって表現してんねん!?」
などと映像にしても造形にしても他人の作品見て思うことがある。

この本の著者の作品をイベントで見かけた時もそう思ったのであった。

何か素晴らしくお手軽極楽なテクニックがあるのではないかという期待と幻想が膨らむが
その制作プロセスをのぞいてみるとおおむね、ものすごい手間ヒマがかかっている。

必要なものはたゆまぬ精進。


ご多聞にもれず見た。
久しぶりの映画館で座席に座っただけで泣けてきた。
情報をまったく仕入れずに見た。
感情移入というより共感が勝ちすぎた。
厳しい現場でディレクターは一人きりで嗚咽するんです。
本当に。
中国人のいるところには必ずあるらしい金庸の武侠小説にハマった。
春先から読み始め、射雕三部作と最高傑作と名高いやつをついに読了。

ぐいぐいと引き込まれる展開がこれでもかと続くのだけど
半世紀前に書かれただけありツッコミどころも満載。

いきなり喧嘩が始まり遺恨が生まれるのってどうよ?
などということを語らいたくって欲求不満。

歳とると共感討論する仲間が減り、そして見つけ難く鬱。

それでも1万ページにわたる小説を読破したことを誰かに伝えたいが
それは共感ではなく自慢である。
40の子の記事を書いた時えもいわれぬ焦燥感に襲われていたが
いま、50の子を得てさらに焦る自分がおる。
さりとて打つべき具体的な手もなく、日常は同じ顔のまま過ぎてゆき
粛々と日々を送るのであった。
ウリモノになってるJKが出て
JKはウリモノではないと言われても。
と誰もが思うだろうにコノ企画が通ったのが謎。

たまには普通のことも書く。