ちかのいつでも波瀾万丈
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幼児虐待

私と母を見て虐待をするようになった父が私にした事をおぼえている範囲で書きます。



まず跡が残っているもので右手の甲に2つ、手首に一つの根性焼


左側のおでこには切り傷や歯型があります。


なにか気に入らない事があれば風呂場に行き、水を張った洗面器に顔を突っ込ませたり、叩いたり殴ったりされていました。


わたしは毎日生き地獄を味わっていました。

母には朝、昼、晩とセックスを強要し、拒むと仕事に行かないこともあったみたいです。


そんなある日、九州から祖母が私と母を捜しに岡山までやって来ました。


実父と母が離婚してしばらく母子でアパートに住んでいたそうなんですが、テレビの配線に来ていた二人目の父としりあってすぐアパートを引き払い祖母とは音信不通になっていたみたいでした。


なんの連絡もない母と私を心配して祖母は捜してくれたのでした。
その時母は妊娠。お腹のなかには父違いの妹がいました。

祖母が私を見て『ちか~おばぁちゃんよ!おいで』の言葉に私は悲鳴をあげて逃げ出した。


それをみた祖母は感で虐待されていると思い母に

祖母『ちかのこの足にある傷は何?』

母『風呂場であし滑らせてね~』

祖母『落ちたにしろ、こけたにしろ体中沢山傷があって全身真っ黒なのにそれだけじゃないでしょ!』


その晩話し合い妊娠中の母を連れて帰ることはできず、渋々祖母は帰りました。


嫉妬心が強くやることしか考えていない馬鹿な男は回数は減ったもののそれでも虐待はやめませんでした。

2人目の父

二人目の父の家で暮らす事になった私は当時まだ3歳か4歳でした。


なので記憶がありません。

ですが覚えていることはただただ辛かったような気がします。

まず、父の家のお風呂はゴエモン風呂といって鍋のような浴槽に丸いスノコような木の板を下に敷いて入らないといけないお風呂でした。

なんせ、直に入るとマキで温められた浴槽が熱くて入れないしバランス崩すと下の敷木が浮き上がってきます。

なのでお風呂は一番怖かった場所でした。


二人目の父は嫉妬心が強かったみたいで、隣の家に父の両親が住んでいました。


私から見ればおじいちゃんはとても優しく温厚な方でお寺の住職をしていました。
おばぁちゃんは気性が荒く母からみれば嫌な姑だったと思います。


父の事を『ひーちゃん』と読んでいたので仲はいいほうだと思っていましたが、違っていたそうで私と母が仲の良いことに羨ましく思い虐待をし始めました。


といっても母とわたしは親子だしその頃の私はまだ幼児。

思春期の娘ではないので仲が悪いはずはないですよね(笑)

両親の離婚

私が生まれ、退院後祖母は2ヶ月岡山にいると言っていた。


でも、1ヶ月しかいなかったという。。。

原因は父の二重人格の部分を知ってしまったから。

買い物に行く時一緒に商品選びすることも、しりあいに私たちを紹介することもなかった。

『女がいるのか?』母はそう思っていた。


しばらくすると金にケチだった父がいやで母はパートに出ることになったのでした。

とはいっても母にも欠点がありました。
それは余計な物まで買う癖(^-^;

その頃の私は身体が弱く、保育園に預けられている時よく熱を出していたと聞きました。

小児喘息ももっていました。


それでも母は仕事に真面目で新人教育係のような事もしていました。


ある日野球の試合に行くことにしていた父は忙しく残業していた母の店に私を連れていき『なんで帰って来ないんだ!仕事終わってるならさっさと帰ってこんか』と言い私を母のレジに置いて試合に行ってしまいました。



今までの限界が来てその時離婚を決めた母。


その後離婚を告げられた父は逃げ出し離婚届けを書くことを嫌がっていましたがとうとう書くことに………



わたしは幼いながらも誰かの車の中で真っ暗な中父のアパートの街灯を見つめ母が帰ってくるのを待っていた記憶があります。


その車の持ち主は義理父になる人………

母が離婚届けを書いてもらい車に帰ってきたあとからその男の家での生活が始まりました。