この3連休で、岩手県花巻市に旅してきました。
花巻は、これで5回目くらいかな??
またまた、たわいのない旅行記を書く前に。
そういえば私はなんで花巻が好きなんだっけ??
と、ちょっと振り返ってみたくなりました(^^)
それはやはり、宮沢賢治さんの存在が大きいです。
小さい頃、読書が好きだった私は、賢治さんの本も何冊か読んでいました。
でも、「ちょっと面白いな」くらいにしか思ってなくて、心の片隅にいる存在でした。
それが「特別」になったのは、高校の授業がキッカケ。
前にブログでも登場した元・国語のT先生の授業で
「一番好きな本を紹介する」という内容でした。
当時いろんな本が好きだったので、その中の「スペシャルな1冊」を
探すのに思いのほか苦労した思い出があります。
そんな時に、想い出したのが、
「銀河鉄道の夜」
幻想的でロマンチックで、大好きな作品でした。
高校生で、児童書・・ってどうなのかなぁ??とも思ったんだけど。
でもよくよく考えてみたら、
昭和初期という、まだまだテクノロジーも発達していない時代の中で
夜空に鉄道が走って行くというアイデア。
なおかつそれは友人の死を暗示し、死生観まで表現されている。
こんな素晴らしいイマジネーションがあるだろうか?!
と、そこで私は賢治さんのスゴさを認識するようになりました。
そして、大学生の頃。
家でゴロゴロしている時に、目にとまった新聞記事が。
「宮沢賢治 生誕50周年イベント、花巻で開催中」
そのとき、おそらく私の中であの授業のことが心によぎり、
賢治さんの故郷をどうしても見たくなりました。
「そこ」で、どのようにしてあのような傑作が生まれたのか。
「岩手に、行ってくる。」
気づいたら岩手にいく準備をしていたのでした。
人生初の、ひとり旅でした。
初めて花巻に旅したのは、まだ雪深い3月でした。
右も左も分からない土地を地図とガイドブックを片手に
雪に埋もれそうになりながらザクザクと歩き回りましたw
壮大だけど、優しい、体になじむような自然に心が湧き立ち、
適当なお店に入り、ひとり食事を楽しみ、
賢治さんにまつわる建造物の素晴らしさに目をみはり、
あらかじめ自分で決めたルートを回りきることだけで満足していたけれど。
花巻所縁の芸術家の作品を展示した「桜地人館」で
管理人のおじいさんが寒さに震える私をストーブにあててくださり、
あったかい、ほうじ茶を何回もいれてくれて。
宮沢賢治さんが好きだから来ました、というと
嬉しそうに色んな賢治さんの話を教えてくれました。
賢治さんが毎日30キロ歩き回って、イマジネーションが浮かんでは
そのことを手帳にメモしたり、スケッチしたりしていたんだよ、とか、
そのおじいさんもマネをして30キロとはいかないまでも5キロくらい
毎日散歩して手帳に思いついたこと、書いてるんだーと
手帳を見せてくれて、ニコニコ笑ってお話してくれました。
そして自分も賢治さんのように植物に詳しくなりたいから、、と
集めていた大切な植物の記事を、私に譲るよ、と郵送で送ってくださったり。
私がまだまだ未熟だったせいで、その時のありがたさをよく分かっていなくて。
その親切心を、なにかこそばゆく感じていたのでした。
今思うと本当にいい加減だった自分を後ろめたく思うのですが
年月が経つにつれて、おじいさんへの感謝の気持ちが増大している次第です。。
あの経験がなければ、今も私は花巻へ通い続けてなかったかもしれません。
旅していて思うのは、花巻の人は本当に心があったかい。
そして今も賢治さんのことを敬い、誇りに思っていること。
旅をするたびに、色んな出会いがあり、新鮮な驚きと感動があります。
今まで盛岡も、宮古も、小岩井農場も、平泉も旅して回りましたが、
花巻という場所が、やはり私には一番なじみます。
多分、「何もなさ」がいいんだと思います。
厳しくも優しい自然が語りかけ、暮らす人々もそれに応え、というコミュニケーションが
今もあの土地では脈々と受け継がれているように感じます。
今暮らす土地をそのまんま活かし、どのように創造的に暮らして行くか。
みんなが持っている、本来のスピリット。
賢治さんは、それを膨大な知識と繊細な表現力で、情熱をもって
作品へと昇華させていったのではないでしょうか。
シンプルな自然に、ピュアな人々。
その濃密なコミュニケーションに、
私も人間としての根本をなにか揺すぶられ、時に触れたくなり、
この土地に何回も来てしまうのだと思います。
花巻は、これで5回目くらいかな??
またまた、たわいのない旅行記を書く前に。
そういえば私はなんで花巻が好きなんだっけ??
と、ちょっと振り返ってみたくなりました(^^)
それはやはり、宮沢賢治さんの存在が大きいです。
小さい頃、読書が好きだった私は、賢治さんの本も何冊か読んでいました。
でも、「ちょっと面白いな」くらいにしか思ってなくて、心の片隅にいる存在でした。
それが「特別」になったのは、高校の授業がキッカケ。
前にブログでも登場した元・国語のT先生の授業で
「一番好きな本を紹介する」という内容でした。
当時いろんな本が好きだったので、その中の「スペシャルな1冊」を
探すのに思いのほか苦労した思い出があります。
そんな時に、想い出したのが、
「銀河鉄道の夜」
幻想的でロマンチックで、大好きな作品でした。
高校生で、児童書・・ってどうなのかなぁ??とも思ったんだけど。
でもよくよく考えてみたら、
昭和初期という、まだまだテクノロジーも発達していない時代の中で
夜空に鉄道が走って行くというアイデア。
なおかつそれは友人の死を暗示し、死生観まで表現されている。
こんな素晴らしいイマジネーションがあるだろうか?!
と、そこで私は賢治さんのスゴさを認識するようになりました。
そして、大学生の頃。
家でゴロゴロしている時に、目にとまった新聞記事が。
「宮沢賢治 生誕50周年イベント、花巻で開催中」
そのとき、おそらく私の中であの授業のことが心によぎり、
賢治さんの故郷をどうしても見たくなりました。
「そこ」で、どのようにしてあのような傑作が生まれたのか。
「岩手に、行ってくる。」
気づいたら岩手にいく準備をしていたのでした。
人生初の、ひとり旅でした。
初めて花巻に旅したのは、まだ雪深い3月でした。
右も左も分からない土地を地図とガイドブックを片手に
雪に埋もれそうになりながらザクザクと歩き回りましたw
壮大だけど、優しい、体になじむような自然に心が湧き立ち、
適当なお店に入り、ひとり食事を楽しみ、
賢治さんにまつわる建造物の素晴らしさに目をみはり、
あらかじめ自分で決めたルートを回りきることだけで満足していたけれど。
花巻所縁の芸術家の作品を展示した「桜地人館」で
管理人のおじいさんが寒さに震える私をストーブにあててくださり、
あったかい、ほうじ茶を何回もいれてくれて。
宮沢賢治さんが好きだから来ました、というと
嬉しそうに色んな賢治さんの話を教えてくれました。
賢治さんが毎日30キロ歩き回って、イマジネーションが浮かんでは
そのことを手帳にメモしたり、スケッチしたりしていたんだよ、とか、
そのおじいさんもマネをして30キロとはいかないまでも5キロくらい
毎日散歩して手帳に思いついたこと、書いてるんだーと
手帳を見せてくれて、ニコニコ笑ってお話してくれました。
そして自分も賢治さんのように植物に詳しくなりたいから、、と
集めていた大切な植物の記事を、私に譲るよ、と郵送で送ってくださったり。
私がまだまだ未熟だったせいで、その時のありがたさをよく分かっていなくて。
その親切心を、なにかこそばゆく感じていたのでした。
今思うと本当にいい加減だった自分を後ろめたく思うのですが
年月が経つにつれて、おじいさんへの感謝の気持ちが増大している次第です。。
あの経験がなければ、今も私は花巻へ通い続けてなかったかもしれません。
旅していて思うのは、花巻の人は本当に心があったかい。
そして今も賢治さんのことを敬い、誇りに思っていること。
旅をするたびに、色んな出会いがあり、新鮮な驚きと感動があります。
今まで盛岡も、宮古も、小岩井農場も、平泉も旅して回りましたが、
花巻という場所が、やはり私には一番なじみます。
多分、「何もなさ」がいいんだと思います。
厳しくも優しい自然が語りかけ、暮らす人々もそれに応え、というコミュニケーションが
今もあの土地では脈々と受け継がれているように感じます。
今暮らす土地をそのまんま活かし、どのように創造的に暮らして行くか。
みんなが持っている、本来のスピリット。
賢治さんは、それを膨大な知識と繊細な表現力で、情熱をもって
作品へと昇華させていったのではないでしょうか。
シンプルな自然に、ピュアな人々。
その濃密なコミュニケーションに、
私も人間としての根本をなにか揺すぶられ、時に触れたくなり、
この土地に何回も来てしまうのだと思います。