障がい者雇用で働き出して3年目になりました。

嫌なこととかもあったけどなんとか続いています。



仏壇の前でタバコを吸い、(もうやめて10年近かったのにまた吸いだしました真顔)

自分の思考をまとめるのが日課になってきました。



忌引からの仕事復帰。

そこからほぼほぼ毎日残業でした。



ここ2週間は毎日しんどかったネガティブ


父のこともあり、色んな手続きをし

それに加えて仕事も多忙。

投げたしたくなる毎日だったけど

ようやく落ち着いてきました。



でもまだ

ふと父のことを思いだして

泣きそうになったり。



上司とは全く関わりないけど

職場の周りの方たちの優しさとかサポートとかがすごくて。みんなに支えられてなんとか乗り越えられそう。



一部をのぞいていい人ばかりの職場。

多分すごく恵まれてる。

優しくされたから優しくしよう、

手伝って貰ったから困ってる時は私も手伝おう、

そう思えるようになった。

逆に全然そうじゃない人には、

最低限でしか優しくはしない。

誰にでもいい顔をするのはやめた。


前よりは少し生きやすくなった気がする。



新年度になって新しい人も入ってきた。

すごく真面目で多分すごくできる人。

だから逆にどう接していいかわからない笑



とりあえず無理はしない。

人と比べない。

できない自分を受け入れて

どんな時にミスするか、

どうすればミスをしないようになるかとか

そんな事を考えつつ

3年目は頑張ろうと思いますよだれ



まだまだやることはあるけど

覚えているうちに少しブログを書きにきました。

 

 

まず、

父の亡くなった後

10分〰️15分ぐらいは

病室内で家族だけにしてくれていました。

 

そこからは父を拭いたり浴衣に着せ替えたり

する人が来るというので

 

 

別室へ行き、

そこで葬儀屋に連絡をとってくださいと。

我が家では2つの葬儀屋さんに積み立てをしていたみたいで、以前までは3口現在は2口かけていた葬儀屋のほうに連絡。

すると、今葬儀場がどこも混んでいるから入られないとの事。真顔いままで何十年も積み立ててた意味よ。すべてが終わったら解約するぞと心に決めた。

 

 

仕方なくもうひとつの葬儀屋へ連絡。

大丈夫との連絡をいただきほっ。

 

住職にも連絡をして枕経?をお願いの連絡

昔すごく仲良くさせてもらってた方だったので

時間決まったら教えて、行くからとこっちはスムーズに決まりました。

 

 

そして病室へ戻るときれいになった父を見る暇もなく

部屋の片づけ。

そして病棟から誰にも会わないような通路から葬儀屋さんの🚙に乗り継ぎ、そこで私も一緒に乗り込みました。

 

 

車が揺れるたびに、父をのせた担架?もガンガンに揺れ気が気じゃない。

もっとしっかり動かないように固定するなりしてよと思いながら自宅をまわって葬儀場へ。

着くと

「どうしてここの葬儀場なのですか?あちらの葬儀場のほう近くないです?何か理由とかおありでしょうか」

と。

いやそっちの場所は電話の時に案内されてないし選択肢があるなんてこと今知りましたよ。

ということでいったん葬儀場におろされた父でしたが別の葬儀場へ移ることに。

ちなみに この運んでくれた人が最後までほぼ1人で葬儀をやってくれてました😇


 

初めて聞く葬儀場だったけど

すごくきれい。



1日目。

つけてもいないはずの空気清浄機から水が漏れていました。

 

2日目。


私が持ち込んだ遺影用の写真が引き伸ばされて完成されたものを持ってきてくれたんだけど、顔が全然違う、、、不安加工した人下手すぎやろというか出来上がってから私に確認とかないんか、真顔

びっくりした。他の人に拝んでる気持ちになるこれ。



夜、あまりにも寒いから夜中だけども葬儀場の本部?みたいなところに電話してどうにかならないかと連絡をしました。

どうやら今いる葬儀場にだれもスタッフの人はいない模様

翌朝、「ご遺体があるので暖かくできなかったんですごめんなさい」と担当スタッフさん

1日目は普通に床暖もついてたし暖房もついてたんだけどな、って言いたい気持ちを抑えてまぁそれなら仕方ないかと無理やり自分を納得させる。

 

住職のお弟子さんが持ってきた、これからの予定の紙に書いてある父の死亡年齢を10以上間違えてることに気づき目が点。

 

3日目。

つけてないし水も抜いたはずの空気清浄機からまた水が漏れている。

それを伝えたら「すいません」とそれだけ。

まぁ1日目に言い忘れてたし仕方ないか、仕方ないのか?

 

 

それとはまた別で

お葬式中に住職のお弟子さんが住職に物を渡そうとした瞬間盛大に物を落とす・・・

 

無事?にお葬式が終わり、家に祭壇を運んできてくれた葬儀場のスタッフさん。「スマホお持ちですか?」って聞くから何かと思えば「この場でGoogleに葬儀場のレビューを書いていただけませんか」と。

悲しくて悲しくて、やっと家に着いたけどやっぱりまだ悲しくてというこの状態の家族に何を言ってんや。ドン引き。

☆1だわ。

スマホを見つけられず私は書かず。

 

 

そして後日。

請求書をもってきてくれました。

計算あわないなぁ、安くしてくれたのかしらと思っていたら

香典返しの追加分をもらいに行った際に

「請求書間違っていたので後日また請求書送らせていただきます」と。

いやいやいやいや、信用問題だろ胡散臭すぎるやろ

 

 

で後日持ってきた請求書は約20万円上乗せされており

前の請求書と引き換えられました。

 

 

すべてにおいて不安だらけの葬儀だったので

もう二度と使いたくありません。

いっぱいかけてたほうの葬儀屋も、いざと言う時に使えないのならと解約するつもり。


いつだっただろう。

父が亡くなってまだ数日のこと。

諸々の手続きで忙しい最中に

母の宗教関係の人2人が家にやって来た。



「てかざししてあげる」って

にこにこした顔で言われた。

ろくに眠れない日々が続いていて

疲れきってた私はNOとも言えずに

仏壇の前でそれをされた



1時間くらいかな?

それぞれの昔話をしながらそれをされた

「この忙しい中なにをされているんだろう」

悲しくなってきた。




終わってから

「この日とこの日とこの日に研修あるけど来たらいいじゃない」と1人に言われた。

仕事の日だと思って断った。

仕事じゃなくても絶対断ってたと思う。

「あれ?その日仕事じゃないんじゃない?」



勝手に行くことにされそうになってることも

私の気持ちを無視して日程をきめられていることにも腹正しくなった

その場から逃げたいのに

母の知り合いだからと逃げられない



その場をどうにかのりきり

そのふたりが帰った後に

私は「もう死にたいんだけど」と母に告げた



「なんでそんな事言うの」と母が声を震わせて言った



その後の記憶がないけど

泣きながら私は部屋にこもった



こんな忙しくて悲しんでいる時に私の大っ嫌いな宗教の人たちが押しかけてきたことも、

手続き系はほぼ全部と言ってもいいぐらい私

きょうだいが誰も残らず

私だけがやっている事にも全てに対して腹が立ってきていた




泣き疲れて寝て

起きてなにごともなかったように

普通にリビングに戻った




そして今日、

母はその道場へいくという

手続きはおわっていない。

というかやっているのはほぼ私だ。

これどこにやったの?

おかあさんわからない、

これお母さんに渡したよね?

明らか渡したのにもらってないという

そんなんだから

データをまとめたり、書類をまとめたり

細々としていることまで私がやっている




そんな私をおいていくんだ、、



「もうやらなきゃいけないのは書いて返送するだけのやつでしょ?」と簡単に言う

母は手が不自由になってきているため

それを書くのは私だ

しかも量は膨大


「死にたい」とまた言った。

「こないだからあなたは、、そんなことばっかり」

と言われたから

こないだの母の宗教の人がきた時の話をした。



涙が出てきた

あまりにイライラして、気持ちをどこにもやれずに泣きながら地べたを何回もなぐった。



それを見ながら何も言わず

「お母さんいってくるわね」

と母は道場へむかった



こんな状態の私よりも宗教。

愛されている実感なんてない。




わたしがこんな状態なのもお清めを貰っていないからときっと言うんだろう

かといってわたしがまじめにしていたら

お清めをもらっていたから娘が改心したとかいうんだろう、

わたしがどうなっていようが道場に行くことにはきっと変わりはない。

母が出ていってから

泣きながら仏壇の前で父にお話した。



私にはどうすることもできない。

この先こんな母を支えられる自信なんて全くない。


特に未練もない、大事にしたい人もいない、

何かやりたいことがあるわけでもない。

私が死ぬしかないという思考に陥っている。

こないだ家に宗教の人が来た時もそうなっていた。





多分今、ADHDの衝動性強め躁鬱状態。

無事、初七日まで終えました。

役所でやる手続きはほぼ終え、年金保険関係、名義変更、解約するもの等の手続きが残っているくらい。

あと半分ぐらいかな。

 

 

思い出したくないぐらい辛かったけど、父の最後の状態を書いて行こうかと思います。途中ぐろいです。

 

 

亡くなる前日に、主治医の一人に週を越えられるかどうか、みたいなことを告げられました。

 

 

それでもまだ大丈夫かななんて思って、翌日仕事に行くつもりでいたのですが、嫌いなパートのおばちゃんに連絡したらさすがについてあげなって言われて、

仕事で引き継げるものを二人の人にぶあーっと引き継ぎ。

翌朝には病院に行くつもりだったから、泊まり込む覚悟で荷物を準備して、前々回のブログを書いて就寝。

と、夜中3時に病院から呼び出し。

 

 

今すぐどうにかなるわけではないらしいんだけど

病院に来てほしいとのこと。

病室に入ると、

父は目をバチッとあけてて、というか変なくすりしてるのかな?っていうぐらい覚醒した感じで手足をバタつかせている。看護師さんいわく看護師4人でもどうにかしようにも出来なかったみたいで腰と手に拘束するものをつけられていました。

それでもバタバタする父。

どうしたん?どうしたん?大丈夫だからね、って優しく声をかけ、手を握る。

 

 

 

陽が登ったころにようやくモルヒネが効いてきて

暴れていたのも嘘のようにスヤスヤではないけどゴーゴーいう呼吸をしながら息苦しそうに寝ていました。

 

 

きょうだいは遠方過ぎて来れない。

電話でお父さんに声掛けしてもらうことに。

それが寝ていた父にもちゃんと聞こえてたのかな?

その後に主治医の1人が来て、

「遅いながらも脈は安定してきてます」と。

よかった。

 

 

 

少しして

朝の回診で3人ぐらい主治医の先生が来ました。

父の様子をみて

「目が上天(確かこんな言葉だった)していてもう午前中には危ないかも知れません」とわたしの耳元まで来て言われました。いよいよか・・・

手をずっと握ってひっそり泣いたり、母が席を外したタイミングで本当にありがとうって声かけたりしてました。

 

 

そして母・・・・

「おかあさん、○○おうちに忘れたわ(宗教のグッズ)いまから取りに言ってもいいかしら?」と。

ちなみに家と病院までの往復時間は約1時間半。

「おかあさんが家に帰ってる間に亡くなるかもしれないのにそれでもいいの?絶対後悔するよ?」

「でも、、、」

「いまはここにいようよ!」

さすがにブチギレてひきとめた。

 

 

 

それから1時間も経たない頃でした。

呼吸をするたびにたんのようなヨダレなようなねばりけのありそうなものが口の中で引っ付いてるように見えていたので

看護師さんを呼んで拭き取ってもらって

ってのを何度かしてもらっていました。

吸引はこの時点で体に負担がかかるからとウェットティッシュでふき取るのみ。

その間、ちょっとだけ外を向いていた瞬間

さっきまでごーごー言ってた呼吸が消えた。

何が起こったのかわからない。

父のほうを見るとピンク色の泡を大量に吹いて酸素マスク越しから流れおちてきている。

「声を掛けてあげてください、今先生呼んできます」

と大量の泡を拭き取って看護師さんが部屋から出ていった。

 

 

 

人は死ぬ時、みんな穏やかに息を引き取るものだと思っていました。だって亡くなったことを伝える文面で大概の人が「おだやかな最後でした」「眠るように」みたいなこと言うからそれが普通なのかと思っていたのに全然違った不安悲しい悲しい悲しい悲しいえ、穏やかじゃない人もいるの?無気力無気力無気力無気力

悲しみながらまるでホラー映画でも見ているようでビックリしていた。

それでその場面が何度も何度もフラッシュバックしてきて胸が苦しくなる。

 

 

 

まだ父と少し会話ができたなくなる前々日だったかな?

「俺重症だったんだってな」って父に言われた。

「先生に聞いたの?そりゃここまでひどかったらそうだね、肺炎治ればまた元気になるよ」たしかそんな声をかけたと思う。

 

 

最後は余命とかネガティブな告知は先生もしてなかったはずなんだけど、たぶん自分で死ぬことを悟っていたのではと思う。遠方の姉弟もきたりしてたしね。

いつまでもよくならなくてすごく不安だったと思うし、苦しかったと思う。父は入院中、一人で何を思いながら毎日ベッドで寝ていたのかと思うとまた涙が止まらない。

ほんとうによく頑張ったなと思う。

最後の最後苦しかったのか、なんの涙かわからないけど父の目からは涙を流した跡があった。

 

 

小学生ぶりぐらいに父の手を握り、

なくなった後もしばらく手を握っていたせいで、

最後硬直してしまって手を組めなくなってしまった。

 

お葬式は、人付き合いが苦手な父だったのにたくさんの人が弔問にきてくれて、手を合わせてもらって喜んでいたかな?恥ずかしがってたかな?

いやぁ、もう涙なんて流しすぎて枯れ果ててたはずが

PC打ちながらも涙が止まらない。

泣きながら書いてます。



昨日の面会で

しっかりは喋れないものの、

ここにテレビ置いて、スマホこっち、など

父に指示出されて動いていた私。



苦しそうは苦しそうだけど

入院して1番体調が良さそうな日は弟夫婦が来た日。その次が昨日でした。



なので少しはマシになってるかしらと期待して

仕事帰りにお見舞いへ行くと

瞳孔を開いた父がうめき声をあげて

手足をバタバタさせて

まるで別人のようになっていました。



なんだこれは、



たまに問いかけに頷いたり、首を横に振ったりはしてくれるけど

ほとんど意識朦朧としている状態。



せん妄?ってやつ?なのかな。

よくわかんないけど。



あまりにも手を上に動かすから

父の腕をやさしく握っていた。

父の体に触れたことなんて

ほとんどなかったから触れるまではなんかドキドキした。いつの間にかすごく細くなっていた。



途中から少し暴れたりする姿を見ていられなくなってひっそり泣いた。



そのあと若い主治医がきて

聞きたいことがあったけど

病室内で聞くのも父に聞こえてもあれだしと思って先生と外に出ました。



「今日レントゲンを撮ったら肺が焼け野原のようでした。」

そんなのは素人の私でも今のこの状況をみればなんとなくわかる。


「父はあとどのくらい生きれますか?正直肺炎が治るとかじゃなくてあとどのくらい生きられるとかそういう感じですよね?」

と聞いた。


先生「今週こえられるかどうかですね」


そうですか、、、


「麻薬使ってるって仰ってましたたけどモルヒネ?とかですか?」

先生「そうです」

「あんまり使いすぎると意識なくなっちゃったりしますか?」

先生「今5ミリと少量なのでそこまではならないですよ。大丈夫です」


そこに母も呼んで

先生に同じことを説明してもらった。



母はショックを受けていたが

私みたいに泣いたりはしていない様子。

動揺しながらも気丈にふるまっていた。



先生が、せっかくの個室ですし

面会時間外でも付き添い許可出しますね。と。

その配慮はありがたい。



一般の面会時間終了後に

なにをするわけでもなく病室にいた。

母は少し遠いところで涙を拭ってた。

私は泣いたり、父がうめき出したらはいはいどうしたの?って声をかけたり。

大丈夫?苦しい?

もう少しで薬効いてくるからね、


そんなときに点滴のエラー音がなりひびく。

父がどうこうじゃなくて

管がどうにかなってエラーなったみたい。

エラー音に普通にびっくりしていた父。

ナースコール押せって指さされた。

突然意識しっかりしてる泣き笑い


でもやっぱりその一瞬だけで

意識はもうろう。

なかなか管が治らなくて

エラー音が鳴り響きまくるから


管がなんかおかしいだけみたいだからね、

びっくりするね、大丈夫だからね、って声掛け。



私にやれることは

手を握ってあげたり

安心させてあげる言葉をかけるしかない。



あとどのくらい生きられるかわかんないけど、

意識がまだあるうちに感謝の気持ちをちゃんと伝えとかなきゃと思いながらまた泣いてる大泣き

「長く生きたいけど、

元気で長くいきたい」と弟嫁にこないだにこにこしながら言ってたのを聞いてました。

長く生きて欲しいけど、もう十分すぎるぐらい治療を頑張ったからとにかく苦しくなく穏やかな最後であってほしい。



明日から泊まり込みで

病院へ行くことに決めました。


昨日は弟夫婦と姉がきてくれました。


駅で姉と合流して、母の運転で病院へ。
病室に入るも父はぐったりしてて
全然喋られなそうで
病室内で姉と二人で雑談してました。
そこに弟夫婦が病室に着いたけど、面会の人数が3人までだから俺ら入れないからエレベーターホールで待ってるとLINE。
弟夫婦とバトンタッチして
私と姉がエレベーターホールへ。

1時間ぐらいして戻ってきた弟夫婦。
「え、めっちゃ喋れてたよ」と。

え?????

病室にいくと
弟の嫁だけがいて、
さっきまで俺喋れません、みたいにぐったりしてたはずの父がめっちゃ喋ってるし笑ってる。
畑の話しとかWBCの話とか、
声を振り絞るように頑張って喋ってる。
興奮して酸素濃度がおかしくなったり、
咳込みだしたら
「ちょっと休憩して!」って弟嫁。
弟嫁が突き抜けて明るいから
薄暗い病室がすごい明るくなった。


話し上手だし聞き上手。
もうありがとうって感じ。


昨日は3時間以上病院にいた。
弟夫婦は帰宅。



今日もお見舞いへ。

昨日元気になってたし
よくなってるかなってちょっとだけ期待したけど、
全然だめ。
「苦しい」と父が。
その言葉に何も返してあげられなかった。

がんばれ、なんて言えない
大丈夫だよ、とも言えない

抱きしめてあげたらよかったかな。
さすってあげたら良かったかな。


喋られなそうだったから
椅子に座って姉と2人で雑談していたら
父が
「◎◎(姉の名前)、新幹線できたのか?」って姉に問いかけた。
父の元に姉が駆け寄ってうんうん話し出したのを見て、なんか涙が止まらなくなってしまった。
昨日も姉は来てたけど、そういえば父は姉と全然喋ってなかったんだよな。
姉は静かな人だから昨日から特に声をかけるわけでもなくじっと父の様子だけ見てた。だからふたりが会話してるのみて安心して泣いてしまったのもある。

泣いてるのが父に悟られないように
静かに泣いた。
少ししたら父がすやすやと寝だしたので
帰ることに。
今日は1時間ぐらいで帰宅。
帰りにちょっとだけ目を開けてくれてて
泣いてたのバレたかも。悲しい



肺炎でステロイド、
肺にカビがあるらしく薬注入、
血糖値上昇でインスリン、

どこかを治療すればどこかも悪くなり
もう色んなところが悪くて
私も把握しきれていません。


いつまでこんなに苦しいのが続くのか
それもわからず
今いちばん辛いのは父だろう。
帰宅してからも涙が止まらないです。


昨日も今日も喉がなんかゴロゴロしている時がありました。考えたくないけどもうそろそろ危ないのかもしれません。

お見舞いにいった。



病室に着いたら

酸素マスクをつけている父がすごく苦しんでいて、

看護師さんたちの出入りが激しい。

おっきい管で痰の吸引をし、

血糖値が高いからとインスリンを打ち、

輸血もしている。

栄養剤が無くなった合図のぴーぴー音。

先生もいらっしゃった。

喉あたりにカビっぽい反応が出てたから

お薬飲んでもらいますーと。

飲みこめなければ鼻から。と。


貧血もあって肺炎の治りが悪いかなんかかもしれないからと輸血をしているらしい。

もう色んなことしてるからわけがわからない。

全く起き上がれないからおむつデビューもしたみたい。



1時間ぐらいしたら少し落ち着いた。

病室に入ったばかりの時はいよいよやばいのかとドキドキして半泣きになってしまった。



薬を飲まなきゃなのに

とろみ剤と一緒に飲んでも飲めずに一苦労。

これが飲めなければ鼻から管通していれなければいけない。

苦しそうにしながらも頑張って4粒のんでました。



落ち着いてから看護師さん交えて会話してたんだけど、父は大谷が大好きで今までの大谷の試合はだいたい欠かさずみていた。でもWBCは地上波ではやらない。Netflixのみ。それも知らなかったみたいで、Netflix加入したら見れるけど見る?

って聞いたら

みる、と。

課金するなら別にいいわ、って言われると思ったのに!笑


看護師さんが家族でも共有して使えますよ、って教えてくれて

私のスマホでとりあえず登録して、

父のスマホにダウンロード。

できた!!!


面会が19時までなので試合開始のぎりぎりまで

使い方教えてあげ、

あと顔を拭くタオルを持ってきてくれたので

それで顔を満遍なく拭いてあげて

帰宅。



昨日より元気になってるかなぁって

すこしだけ期待してたんだけど

逆に悪くなってた。

その姿を見るのが非常に辛かった。


頑張って喋ってるんだけど

もはや声がしっかりだせなくて

会話になりにくい。

うまいこと声を出せずに

しかもうちらに話が通じないことにイライラする父。




すごく凄くつらいけど

もう長くは無いんだろうと思う。




明日、姉と弟が関東からやってくる。

滅多に来ない2人がきてびっくりしてしまわないだろうか。

はたまた喜んでくれるだろうか。

頑張って無理して喋ったりして悪くなったりしないだろうか。




色々な不安がある。




帰りの車の中。

母と人工呼吸器の話になり、

もうこれ以上は苦しんで欲しくないね、って

やんなくていいよねって

珍しく母と意見が一致した。



苦しんでいる姿を見ているのが辛い。

ここ2ヶ月は本当に本当に辛そうで。

でも生きていては欲しい。



多分そろそろ緩和ケアにうつる予感はしている。

苦しまず、穏やかな日常を勝手に希望しています。



とりあえず

今、大きな山場をむかえている。

ここを何とか、なんとか乗り越えて欲しい。

がんばれ!

今朝、職場についた頃、

父が入院している病院の先生から今の父の病状を説明をしたいと。お時間ありますか?と。

夕方前に母と行くのでお願いしますと伝えて切りました。

先生から電話がくるということは

よくない電話ということぐらいなんとなくわかる。


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姉に電話しながら号泣し、

弟にもLINEを。

仕事中とはいえ母と連絡がつかない。



とりあえず母にLINEをし、仕事へ。



ロッカーで遭遇した同僚に、

今日早退するのでこの業務お願いしていいですか、って頼みながら泣き出す私不安

父の調子が良くなくて、、と号泣不安

ぽんぽんとさすられて、

その優しさにホッとした。

すごく仲がいいわけじゃなくて、たまーにしごとのことしゃべるぐらい。

そんな人に向かって号泣してしまうぐらい

つらかった。


目目目目目目目目


さて

母。

お昼になってもLINEが既読にならない。

家に電話を忘れたのか、ただスマホを見ていないのか。

昨日「予断を許さない状態です」と既に言われていたのになぜスマホをチェックしないのだ。

職場に電話をかけようと、、、


って母の職場の電話番号しらんわ、、、凝視

とりあえず職場名一致、場所はなんとなくわかるからかたっぱしからかけてみよう

と廊下に出たら


目目目目目目目目


くそパワハラボスに遭遇。




声を振り絞りながらした挨拶は無視された。

最近じゃ顔すらみないようにされてるし、わかりやすく避けられてる。

先週からの件でブチギレてるんやろうけど



どんだけ仕事できようが

こんな人間にはなりたくない

仕事だろ?????

いくらなんでも私情挟みすぎではないのか。


ただでさえ心が壊れそうなときに

完全に崩壊しそうになった。

まぁ、そんな私の事情なんて知らないだろうし

知っててもおなじ態度なんだと思うけど。


目目目目目目目

その出来事を引きずりながら

かたっぱしの最初の電話で無事母と連絡がついて

合流。

 

病院の説明では

薬剤性の肺炎で

結構やばいところにいますという感じ。

酸素マスクをつけて、

めいっぱい酸素をいれてるはずなのに

酸素濃度がなかなかあがらない。

最近いっぱいしてた咳で

肺が焼け野原みたいになっている模様。

だからもし肺炎が治ったとしても

酸素を入れながらの生活かもしれない。


いまはただ肺炎を治すこと。それだけ。

どれぐらいかかりますか?

早くて1ヶ月ぐらいとのこと。


これ以上ひどくなっても

面会とか付き添いができなくなるから

人工呼吸器はつけないほうがいい。

肺炎が治ったとして、

抗がん剤もまだやれるものが二種類あるけども

それも肺炎になりやすいから

治療をしない、緩和ケアも選択肢も視野に入れておいてください、といわれました。


目目目目目目目


当の本人、

自力でトイレに行くことも、一人で起き上がることすらできないぐらいひどいのに

市県民税の申告書類は出したいらしく、

病室でわたしが代理で書いてました。

私とは違ってまじめな父です赤ちゃん泣き

それが自慢です。泣くうさぎ


やることがあったお陰で

父の目の前で泣くことはなかったです。



ただ、帰り際、横になってる父の目からうっすら涙が見えてそれを見て泣きそうになりました。

涙とかじゃなくただの液体かもしれんけど。


喋るだけで苦しそう、

それなのに一生懸命喋ってくれるから

無理しなくていいよ、って本気で思った泣くうさぎ


目目目目目目目目

家に帰って、

弟と姉に報告。


あとは申請書で記入出来なかった箇所をチェック、

添付書類を項目ごとにクリップどめして

綺麗に整理。

いつもならぜったいいやになって投げだしちゃうこんなこともぐぐりながら頑張りました。


目目目目目目目目目目



そして全てやり終えた今

ブログ書きながら大号泣しています。



先週、母と一緒にじゃがいもの種買いに行ってたんやで?大泣き車一人で運転して電気屋までいったんやで???


目目目目目目


しんどいとかつらいとか、

全然言わないの。

最初の頃はもう死ぬんだがな?って

5年前かな?言ったりしてたみたいやけど

今はもう何も言わない。

ご飯が食べられないことにもなにもいわなかった。

唯一年末の放射線治療は

この治療をもっと早くしたらよかったんじゃないか、って怒っていたことはあった。

それ以外は特になにもなく、



あかん、いつもの100倍話がまとまりません。

涙も止まりません。

それぐらい動揺してるということで

今日はこの中途半端な内容で失礼致します大泣き





昨日、仕事中母からLINE


放射線外来に行ったはずなのに

「お父さん入院になると思う」



咳もひどいし、解熱剤飲んでも飲んだその時しか熱はさがらないし、入院の予感はしていたから

そこまで驚きもしなかった。



母が病院と家をいったりきたり

入院の準備、父の世話をしてくれ

私が仕事を終わって帰宅しても

母はまだ帰ってきていなかった。



夜ご飯を作っていたら母帰宅



興奮状態で何を言ってるのかわからない。

本題を先に話してくれ。



「肺炎がよろしくなくて、いつでも家族と連絡をとれるようにしてくれ、と。予断を許さない状態」なんだそう。



そうか、、

父がベッドで寝ている場所で

その話を先生がしたらしく

父の耳にもはいっちゃったかもな。

どんな気持ちだろう。

私ならこわい、これから何が待ち受けているのか、




それを聞いて

姉弟に、こんな状態だから連絡はとれるようにしといてねとLINEをした。

弟になんて5年振りに連絡した。

母は心配させたくないからときっと連絡はしない。

父もそうだ。

だから私が有無を言わさず連絡した。