誕生日
もうすぐ誕生日がやってくる。中身は幼稚園の時から変わらないけどそんな私も、気づけばもう24歳。私の誕生日は3月の終わりごろ。春休みに入ってから誕生日がやってくる。もう少し早ければ、学校のみんなに祝って貰えたのに…。と何度思ったことか笑そして春休みは、夏休みや冬休みとも違う。長期休みが終われば学校で祝ってもらいやすい夏休みや冬休みとは違い、春休みの先には、「クラス替え」が待っている。だから、共に1年過ごした仲のいいクラスメイトにお祝いしてもらう事はほとんどなかった笑笑だけどその分、たった1人・家族だけでも当日に「おめでとう」という言葉をかけてもらえる嬉しさをきっと私は他の人よりも、春休み前に誕生日が来る人よりも、知っている。笑人より少しお祝いしてもらえる機会は少ないものの、私は誕生日というものが好き。特に誕生日だからといって休日になる訳でもないし、好き放題できる日でもないけれど、ケーキが食べれる、ちょっと贅沢してみる、何より「生まれてきてくれてありがとう」と言ってもらえるのが嬉しい日。「生きている」事を実感出来る日。だけど、2年前。私の大好きなおじいちゃんが私の誕生日当日の早朝、まだ朝日が昇っていない時間帯の頃静かに天国へ旅立った。おじいちゃんが無くなる前々日には私は大学の卒業式があり、前日には引越しの準備があって色々とバタバタしていた。誕生日にも色々と計画していたものもあった。だけど、病院からおじいちゃんが危ないと連絡を受け、急いで地元の方へ向かった。誕生日の前日に亡くなる可能性が高いと初めは言われていたが、おじいちゃんは日を跨いで耐えてくれていた。24時を越え、自分の誕生日を迎えたとき、父は前日から病院に行っていて家におらず、母は家にはいたが、バタバタしていた。そんな中、私は全く寝られず、彼に電話を繋いでもらって気を紛らわしていた。当時の自分の心情としては、すごく複雑で苦しい時間だった。人が亡くなる予感、なんとも言えない空気、嫌な重たい時間が流れるあの感覚。なのに、今日は1年で1番嬉しい日。だけど、喜んではいけない、というキツさ。今日が誕生日じゃなければ…今日が何でもないただの1日だったら、、何度も何度も思った。「お願いだから今日以外にして」とおじいちゃんに対して思ってはいけない事まで思ってしまった自分に対する腹立たしさまで感じた。そんなものを抱えながら迎えた誕生日。もう、分かっていた。今日が命日になるのだろう、と。覚悟していた。大切な人が離れていく日だと。だから怖くて、寂しくて、朝起きるのが怖かった誕生日は初めてだった。朝起きて、下に降りるといつもならば「お誕生日おめでとう」と笑顔で迎えてくれる母や父がいるけれどその日は誰も家におらず、おめでとうと書かれた置き手紙などもない代わりに、ニコちゃんマークの付いたグレープフルーツだけが置いてあった。大切な人が亡くなった悲しみとそれでも今日が誕生日であるという事実が変わらない悔しさと切なさ誕生日を迎える度にこの景色と感情は思い出すんだろうなという辛さ色んな悲しさに包まれた朝だった。それでもこの日に私が生まれたことと、その日におじいちゃんが亡くなったこと。それは変わらないものである。2年前のあの日から、生と死の大切さを実感する特別な日になった。「生」を感じるだけの日だったものが、「生と死」を感じるようになった。繋いでもらった命。残されている命。それをどう扱っていけるか、どう恩返ししていけるのか、寂しい誕生日と共に考え続けていきたいと思う。あの日おじいちゃんから貰った最後の最高のプレゼント。おじいちゃんが亡くならなければ集まることのなかった家族5人が集まれた日。おじいちゃんのお陰で誕生日の日に家族で過ごすことができたよ。お兄ちゃん達が帰ってきたよ。ありがとう。そしてこれからもみんなを暖かく優しく見守っていてね。私へ誕生日おめでとう。おじいちゃんへ今までお疲れ様。ありがとう。これからは寂しさと一緒に、ありがとうと嬉しい気持ちをのせて誕生日を迎え続けます。