仁徳天皇陵は想像するより大きかった
下から見上げる円墳部分
自転車で
古墳の前から
海の方向に向かって行ってみたが
帰りは自転車に乗って
帰れないほどの坂道になっており
途中で引き返してくる
昭和7年の古墳の様子
(東側より撮影)
私が追加した
大きな字で記載した波打ち際に
長山古墳があり
海岸近くに築かれている
その港から眺める古墳は坂の上にあり
壮大なものに感じたと思う
古墳の周りを
埴輪が並び石が敷かれている報道に
もしかしたら
夜
海外からの来客に対し威厳を示すため
松明を持った兵隊を
埴輪の横に並ばせるのに都合よく
石を敷いたのだろうか
と
妄想しただけで楽しくなる
巨大な組織力を持った強力な軍勢が
この国には存在する。。
海外からの使節の方は
きっとそう思ったに違いない
248年卑弥呼が死去し
430年頃巨大古墳が造られ
538年仏教が伝来し
592年飛鳥時代が始まる
中国や韓国の人々が船で日本に到着し
巨大な百舌鳥古墳群を眺めてから
大阪南部にある同等の古市古墳群を通って
都に向かう海外の使節団は
権力の
象徴を目に焼き付けて帰国しその様子を
王様に告げたことでしょう
戦いは止めたほうがよい と
独立を維持する心構えは大和朝廷から
一貫して引き継がれている
世界の居住地の
8割が植民地化した時代があり
小さな日本は他国の臣下にならず
よく持ちこたえたと思う。
一度目は巨大古墳の雄姿に救われ
二度目は足利義満の寝たふり臣下で
中国の大軍の進行方向を他に向けて救われ
三度目は明治維新で国を一つにして
海外勢に立ち向かったと考えたい
独立国日本 先輩方の懸命な措置で
今日があると・・
正面入り口
台地の上に築造され
三重に掘った
堀の土を積み上げている様にみえる
説明文
説明文
今回発掘している正面位置付近に
青いシートがかけられていた
今日も訪問下さり
ありがとうございました
つづく