『たった一つの小さなコツがあなたを変える』
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小さなコツのタクです。

地震が起きた晩、皆さんにメールを送るか送らないか、
悩みましたが、できるだけ早く知ってほしい。
お役に立てる方がいらっしゃるかもしれない。
と思い、送る選択をしました。

深夜にお送りした号外その2は、先の号外を見てくださった
読者の“なせさん”という方からのメールを転載したものでした。

 → http://archive.mag2.com/0000234944/20110318123853000.html

僕の分からないこと、知らないことがまとめられていて大変感謝しました。
まだ起きてるかもしれない!と思って送ってくださったそうです。

そのなせさんから、
募金が長く続くコツを教えていただきましたので紹介したいと思います。

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『募金が長く続くコツ』

今回の地震は甚大で復興・復旧に何年かかるか見当もつかない。
地震を免れた人たちは毎日ご飯を食べ笑うこともある。
楽しいことがあるたびに(被災地の方は・・・・)と必要以上に
罪悪感を感じなくて済むように、長く募金活動が続くように、
良い事があったときは『お福わけ募金』として募金をしませんか?

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お福わけ募金、いいですよね。

募金を習慣化することで、長期的に支え、被災地で生活されて
いる方や救済・復興して下さっている方々を心に置くことが
できるのではないかと思います。

なせさんの場合、

『地震の直後に募金をした後は、好きな作家さんがブログを
 更新されたときに小額ですが募金箱にいれてます。』

とのことでした。



3月18日の小さなコツ≪僕たちにできること≫NO.1400
 → http://archive.mag2.com/0000234944/20110318123853000.html

で紹介した、阪神大震災の時にボランティアスタッフをつとめよう
とした高校生(当時)のお話を、長くなるのでURLを載せます。

としたのですが、見られなくなっていたので、
文章をそのまま下記に転載しておきます。

募金を長く続けるコツに、参考になるかと思いますので。


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被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ

     ~僕の浅はかな経験談~

阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、
しかもセンター試験の翌日だった。

遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が
夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。

父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVを
つけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、
テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。

その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験
のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、
結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。

学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒も
いたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、
粛々と面談が行われた。

僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、
さすがに登校はしていなかった。

昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに
行こうと話をしていた。

下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。

「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校でき
 ない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての
 役目を終えた人もいると思います。

 あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り
 込む人もいるでしょう。

 それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、
 あなた方が役に立つことはありません。

 それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事を
 よく聞いてください。

 まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。
 被災地の食料に手を出してはいけません。

 寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。
 あなたがたが寝てはいけません。

 作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否しては
 いけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはない
 からです。

 以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませ
 んが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことが
 あるかもしれない。

 ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、
 大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を
 防ぐ人材になって欲しいと思っています。」


言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは
今でもはっきり憶えている。

結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、
なんの役にも立たなかった。

配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、
避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持って
いった食料は5日で尽きた。

風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて
避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防
や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。

僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ
扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がる
ような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的
に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。

僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて
「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないという
ことだった。

人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。
社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。

僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の
大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。

結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、
反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続
させる事さえできなかった。

今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために
何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。

でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、
何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。
今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。
胸を張って活動して欲しい。

そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。
もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、
活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや
被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な
問題がたくさん出てくる。

そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。
その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたい
と思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。

もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけに
なるかもしれない。

結局僕は紆余曲折を経て技術者になり、専門分野は違っても、
多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。
あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃない
かなと考えている。

2011/3/15 追記

沢山の反響ありがとうございました。
同じような経験をされた方もたくさんおられたようで、
あの時感じた孤独感が今頃癒されております。

僕は上記のエントリーで一年は待ってみようと書きましたが、
そんなに待たなくてもいいようです。すでにNGOなどの支援団体が、
ボランティア受け入れに向けて動き出しているみたいですね。
もちろん動き出すのはまだ先になるでしょうが。

時間と体と情熱のある人は、そういった「人を動かす人」と
しっかり協力して、自分の能力を最大限に発揮して欲しいです。
もちろん1年、2年、5年、10年スパンで細く長く復興を
援助する気持ちもとても大切だと思います。
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【今日のコツ】
お福わけ募金をする

≪募金を長く続くコツ≫NO.1406

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。