あるひとから

わたしにとっては、聞き捨てならない言葉が返ってきた。


だけど

先に聞き捨てならない言葉を出したのは

わたしなのだと思う。


それを受けた相手からの言葉が

わたしにとっては、聞き捨てならない言葉だった。


「わたし」は傷ついた。

それ、わたしに言うか…?と思った。


だけども。

相手にとっては、それ以上に傷ついたのだと思うし

あんたに触られたくない、と思ったのだと思う。



それ以降

そのひとの言葉に触れると

わたしを責めているのだと感じる。


そのひとにそのような意図があるか、ないか、は

わたしにはわからない。


わからないのに

責められていると感じる。


それは

自分の中にある思いを

相手に投影しているから。



「わたし」が受けた傷は

相手にわたしが負わせた傷と比べられるものではないし

比べたところで何の意味もない。


わたしの言葉であなたが傷ついて

あなたが護ろうとした言葉でわたしが傷ついた


それはその時のやり取りで起きたこと。


それ以降のことは、わたしにはわからないことだし

相手の意図するものなんて、わかりっこない。




「わたし」が受けた傷が反応するのは

「わたし」が傷をご自愛していないから。

でも、ご自愛できない…。

その傷は多層になっていて。

たまたまその言葉がクリティカルヒットした、というだけで。

わたしの中で、まだまだ癒えずにいるというか。

もしかしたら癒えぬままなんだろうな…と感じているもの、なのでね…


そういう「わたし」の問題を

相手に投影している、というだけで。


1人、勝手に病んでおるとです。。。