最近、大学での仕事の日には寝落ちしておるとです。。。
それだけの業務量になってきた、っちうことなんだろうな…
や、それはそれで幸せなことなのだと思う。
寝落ちするくらい外での活動(社会的な活動)が
できるようになってきた、ってことでもあるし。
発症前に感じていた「ごくごく、ライトな仕事の愚痴」みたいなものが、また言えるようになったんか…とか。
本気で「休んだろか」「辞める!」って思うのではなくて。
半分冗談で言える、みたいな。(わかりにくい)
「なんか…気がついたらまたデスマ?」と感じるくらい
いろんな経験をさせてもらっていたり。
「しまさんに振られた仕事で、事務仕事があればもらいます」と助けてくださる方と一緒に仕事ができたり。
お言葉に甘えさせてもらって
ミーティングの日程調整をお願いしたり。
場所の確保をお願いしたり。
学内での手続きをお願いしたり。
もう、隣にいてくださるだけで心強いとです…。
それこそ…
5年前にはあのまま死んでたかも知れぬ、だったので。
「そこからの『今』」があることが、すでにありがたし
でもある。
そして、「そこからの『今』」を見守り続けてもらえている環境下にあることも。
つか、治療チームと一緒に仕事するってどうなんだ?
雇用主と20年以上、一緒に仕事していた元上司が地元主治医っていうご縁とか。
そもそもの始まりというか、大学につなげてくれた先生って
やっぱすごいな、とか。
あの時、ぐらんぐらんに揺れながら診てくれた内科主治医と
看護の底力を見せてくれた4東の看護師さんたちと
この子どうなっちゃうんだろう?このまま死んじゃうかも知れない…と思いながら
これ以上落ちないように、そして1ミクロンでもいいから生きる方向に向かえるように、と
毎日ベッドサイドで声掛けをしてくれた療法士さんたちが居てくれたからの「今」なんだ、っていうことも。
昨日はデータ入力→外来、ノートの導入支援で。
診察室を出たのが、16時58分っていう。
ノートを使う患者さんで
先生たちの研究には入っていない方や
看護師のフォローアップ対象(もしくは、対象候補)になる方
ノートの導入支援(冊子版、スマホ版)が必要な方の診察に入らせてもらっているのだけども。
:しまじろうはノートのスペシャリストだから。
実際に書いてきたひとなんさ。(ひとなんだよね)
や、ただ先生方の狙った通りの書き方ができた、ってだけですがな
書くのはだいたい、1年くらいかな…
でも長く書くひともいるよ?
何年書いた?3年くらいだっけ?
:もうちょっと書いてますね…
今も時々書くことありますよ。
:これはね、毎日書かなくても大丈夫。
書くことがストレスになったらダメなんさ。
(ダメなんだよね)
でも書くひとは、毎日でも書くけどね。
:…ですね。
わたしは毎日書いてましたね。
「何か気づいたことがあった時に書く」っていうのは
大事かなって思っていて。
「こうしてみたら、調子が良かった」とか
反対に「こうしてみたらちょっとキツかったな」とか。
「なんか最近、イライラしてないな…
からだの辛さが少なくなってきたからかなぁ?」
って何げなく思ったことを書く、とか。
:そうやって振り返ってみる「記録」としても
このノートって大事なんさ。(大事なんだよね)
みたいに自分の経験を伝えたり。
ノートにある記載から、様々な「気づき」を見つけて
フィードバックして。
「気づき」を深めてもらったり。
いろんなムチャ振り 経験をさせてもらうことで
当事者経験のある看護師として
仕事を任されているんだな…とか。
いろんな圧を感じたりだとか。
「都度ごとの今」と向き合うことで
「少し先の未来」を見ることができるんだな…
と「はからずもの恵み」を感じたり。
限定にもまだ書けないような
いろんなことを考えたり。
そりゃあ、寝落ちもするわな…
そんなこんな、大学でのお仕事でした