しまじろう、「本」になります。

とはいえ、「書籍化」とか「出版」ではなくて。

ヒューマンライブラリー 新潟 青陵学生司書プロジェクト さんの「本」として、参加させていただきます。




雇用主に「当事者活動、してみれば?」と投げかけられて。

雇用主案件での「当事者活動」だったり

個人的にひっそりと、だったり。

当事者活動をしておるのですが。


今回、「個人的に」だけども

雇用主案件のように「ちょっと表に出る」形で

当事者活動を行ってみることにいたしました。




「本」としてどの場面を切り取ってみても

少し珍しい経験をしてきているのでね…


「不登校だけど、なんとかなるよ」

「介護系看護師が看護を受ける側になって、支援系看護師になったお話」

「痛みの感覚がバグっているひとの日常」

「自分の感情と体調を見失うひとのお話」

「日本の総人口の0.8%というキリスト教徒って?」

みたいな。笑


一般的ではない看護師資格取得をしていて

(高校看護科→ハンセン病療養所附属の看護学校→筋ジス病棟)

17年の長期療養を経て、支援系看護師になって

看護の知識のあるおばちゃんとして、地域に溶け込んだり

自分の受けてきた看護を学問的に説明したい、と

放送大学に入ったり。

雇用主にお声掛けいただいて

ピアサポートのできる看護師(兼なんでも屋)として

慢性疼痛外来に入ったり。

自分の受けてきた看護を学問的に説明したい、という思いを知っているから

ピンク薔薇さんの研究につないでもらったり。。。


いにしえの不登校なので

「不登校がついに出た!」という扱いだったけど。

不登校でもなんとかなるよ、と言えたり。

逆にわたしの場合は

不登校だったから今がある、とも言えたり。


各都道府県に1~数校といわれる高校の看護科卒で

全国に13あるハンセン病療養所に併設された

2年課程の看護学校は3校で。

その1校の出身であるという

看護師としての育ち方がかなりのレアケースで。

日本の総人口の0.8%といわれるキリスト教徒という

レアキャラで

10万人に2人から5人と言われる病気になって

良くなるひとの割合が半分弱といわれる治療を受けたら

ここまで良くなったか!といわれる状態になって…という

いろんな意味での「レアケース」であり「レアキャラ」なのでね…。





こんなわたしを面白がれる余裕が出てきたり。

学生さん達にどう料理してもらえるのか?が

楽しみだったり。

「読者」になって下さった方から

「そうか…そうきたか…」という反応をもらえることもまた、楽しみだったり。


「慢性疼痛患者として、若手を育てる」ということを

患者としてできたらそれで良いのかな…。

「俺の屍を越えてゆけ」って

半分死にかけて入院を繰り返していた頃、感じていたけれど。

実際、「若手のお悩み相談室」と化してましたからね…。

「わたし、麻薬の取り扱い方をしまさんから教えてもらったんですよ。

『絶対、捨てちゃダメ!』って。」と言ってくれた子もいましたし。

このシール、うっかり捨てたりどこかに落としたりしたら

出てくるまで徹底的に探さなくちゃいけないから

(麻薬)金庫に入れるまで常に所在を確認してね、と。

まだ夜勤に入ったばかりで、急変があって。

でも、なにもできなかった…と落ち込む1年生に

今のあなたが急変時に動けるなんて、誰も思っていないこと。

今のあなたができることは、先輩達のじゃまをしないこと。

物品の位置を覚えて、「持ってきて!」と言われたら

1人で探して届けることだったり。

他の患者さんもいるのだから、コール対応をして

先輩が急変対応に集中できるようにすること、と伝えるとか。

筋肉注射、初めてなんですけど先輩には言えなくて…という子には

説明しながら実施してもらったりですとかね…


若手の看護師を育てる、というだけではなくて

うさぎ先生のところの学生さんに

「看護師の役割」みたいなものを見てもらったり。

今回、学生司書さん達の学びのお手伝いをさせてもらったり…という

他分野の若手を育てる、みたいな。

そういうこともまた、面白そう(興味深いこと)だなぁ…と。




まだがっつり治療中だった頃

「自分が元気じゃなかったら、誰かのお世話はできないよ。

わかってると思うけど。」と雇用主に言われていて。


それでも自分には何かできるんじゃないか?と思い続けていたけれど。

確かに、その時は時期尚早だったと今はわかる。


「うん、そうか…」

「そうきたか…」みたいな、受け止める時の「余裕」というか。

「張り詰めたりしていなくて、遊びがある状態」というか。

そういうものがないと、なかなか厳しいということも。


実際、だんだんと「しっかりさ」が危うくなってきている両親に対しても

「うん、そうか…」「そうきたか…」と受け止めつつ

「こう言えば、プライドを傷つけずに伝わるかな」と

考えられるようになったからね…。

治療中には無理だったもんなぁ…。




と、いうわけで。

自分から「ちょっと表に出る」当事者活動、はじめてみました。


青陵短大所属の先生がされていることではあるけれど。

大学院の方には、高校時代お世話になった先生が

母性看護の教授になっていたり。

ヒューマンライブラリー立ち上げの時から「本」として

活動されている方が

教職課程での実習で付いた先生が、高校の担任だったから

学生時代のその方を知っていたり。

その方が支援学校の高等部時代にお世話になったという先生に

高校時代のわたしも救われていたり。

学生司書プロジェクトの関先生のご趣味での活動で

ご縁のある方達と、旦那氏もまたご縁があったり。

その中のおひとりは、わが家の数件先にお住まいだったり…と

なんですか!このご縁は!というつながりがありました

ということもまた、ここにご報告いたします。