【猛毒注意、混ぜるな危険】だったものを

マイルドな感じにしてみました。。。



この病気は、再発も悪化もある。

だから

「できるようになったけど、再発する」ことは、普通にある。


今のわたしの状態を言うならば

【機能障害が残っている状態で「寛解」を維持している】

になるのかな…と。




治療前だったり、がっつり治療中だった時のわたしは

常に苛立っていて。

そんなことで?というような小さなことに反応して

激しい感情を自分や他者に向けていた。


「この病気になるひとって、他のひとが感じ取らないようなことまで感じ取ってしまうの」

「そして、その『感じ取ったこと』をうまく自分の中で処理ができなかったり

そこで生まれた『感情』に対処することができなくて

自分や他者を攻撃してしまうの」


と、がっつり治療中に雇用主から

ことあるごとに言われたり。


「言外にある感情、みたいなものを

行間や空気感から受け取ってしまうから

相当苦しかったと思う。

今はそういうのと上手に付き合えるようになったから

ひとの中(職場など大勢のひとがいる場所)で過ごしても大丈夫になったよね」


と、現在は言われるようになったけれど。


「泣く」「激しく怒る」ことでしか

伝えることができなかったのが

今はアサーティブに言語化して伝えることができるようになってきつつあって。


「限界っす…」

「きちぃ(キツい)っす…」と言えない(気づけない)ことで

痛みが強くなったり、発熱したりはあるけれど。


常に張り詰めているような

余裕のなさとか、ギリギリ感だったり。

一触即発、みたいな怖さだったり。

言外に「怒り」や「苛立ち」を感じさせるようなこと

みたいなものは、少しずつ薄らいできているのかな…と。

だから、雰囲気が柔らかくなったと言われるようになったのかも?




動画作成の打ち合わせの時に

どうして心療内科的なアプローチが必要になるのか?

という話になって。


「気持ちが弱いから」とか、そういうことじゃない。

「わかってもらえない辛さ」を常に抱えている状態で

こころもからだも疲れきってしまっている。

からだのことは、身体科の先生達が診るし

運動のことは、理学療法士さん達が診る。

こころのことは、心療内科や精神科の先生達が診る。

そういうことなんです。


と、前半部分はしまじろうがお伝えして

後半部分を雇用主がお伝えしたけれど。


「特徴的な性格がある訳ではなくて。

『わかってもらえない辛さを抱え続けた結果』なんですよ」

という執筆当時広島大学にいた、某先生の論文を

症例報告の時に引用してくれたと知った時

「ほんっっっとそうなの!先生、この論文引用してくれてありがとうございます!」って伝えたひと。←


わたし自身は

治ってくるはずの時期なのに、痛みが強くなってきていたのでね…。

「気持ちの問題」「精神的に弱いから」「気にしすぎ」

などと言われ続けまして。

「わたしには精神的なフォローが必要だけど

治療を必要とするような疾患はない」と感じてはいたのだけど。


「精神的に弱いから」「気持ちの問題」と言われ続けていたこともあって

「痛みへのケア」的な文献の中に出てくる

「社会・心理的な要因」という文言に対して

激しい感情を抱くようになりましてね…。


どいつもこいつも、この痛みを「気持ちの問題」だとか

「わたしのメンタルが弱いから」って…。(怒)

わたしにはちゃんと、他覚症状がある。

他覚症状を診てから言え!

みたいな感情を13年間持ち続けましてね…。

心身共に危機的状況にあった時、ニコ先生を傷つけたっていう。


3年前の4月6日、散歩をしていた時に

2006年4月6日に手術したんだよな…

その日にこんな風に15年ぶりに坂を歩けるなんて…と思っていたら

社会復帰に向けての不安に圧倒されてしまって。

ニコニコ先生に助けを求めたら、精神科受診が決まって。

猛反発したけれど、覆ることはなくて。


わたしの感じている不安だったり、感情の不安定さは

「慢性疼痛」とか「CRPS」っていう大きな枠組みの中に含まれる問題なんだけど。

そこだけを見て「疾患」ってして、がっつり治療しようとするから

精神科は嫌なんだ。


と、当時主張していたら

いつもの病院では「うん…しーちゃんわかってる」と言われたけれど。

いわゆる「ソーシャルペイン(社会的苦悩)」のフォローを求めているのに

「パーソナリティー障害」や「身体症状症(疼痛性障害)」として

がっつり治療されることへの抵抗が強かったひと。

ニコ先生は、「疾患はないよ。身体症状症(疼痛性障害)って病名は

器質的な異常があっても使うことがあるから、気にしなくていいからね。」と。

その言葉を聞いて「あら?この先生、ちょっと違うな…。」と感じて、今に至っておりまする。。。


否定に次ぐ否定に遭ってきたからね…

その時受けた傷がまだ生々しい状態だからね…

激しい感情を他者に向けることで

わたしは「自分」を守っていた。



しまさん、こうして「話すこと」ができるし。

抵抗なく話すことができるから

当事者として活動をしてみたら?

と、主治医(雇用主)に投げかけられて。


数ヶ月しないうちに

事業所での仕事が決まり

研究での実働部隊入りが決まり

旦那氏とちゃんと付き合うことになり


1年が経過した今は

事業所で研修担当になったり

看護師として利用者さんと関わったり

大学で鍛えられた事務スキルを遺憾無く発揮したり

大学で事務スキルを鍛えられ

ピアサポートのできる看護師として仕事をしたり

治療関連のことで表に出てみたり

旦那氏との結婚に向けた詳細が動き出したり


ってしていて。


当事者として活動する場所を

積極的に準備してくださっている、雇用主。。。

学会での講習会のファシリとか聞いてないし。


わたしは「わたしにできること」を

「わたしのやり方」と「わたしのペース」で

していけばいいのかな、と思う。


「声高に叫ぶのって、ダサっ」という価値観に基づいて

誰にも気づかれない地下活動者として、活動しようと思っていたらば。

声高に叫ばずとも、地上で活動することになって。

いやはや、いやはや…。


でも、ま。

わたしはわたし。

わたしにできることを、わたしのやり方とペースで

していけばいいのかな、と思っておるとです。

とはいえ、雇用主によって押し出されたり押し上げられておりますが…