久ーしぶりに

検査データからフィジカルアセスメントをして。

非医療職(がっつり支援職)の方々にも

その状態がどういう状態なのか?がわかるように

記録を書いて。


利用者さんご本人にも

なかなか厳しい結果になりましたね… と

お話をうかがって。


支援職の方々にその内容もお伝えして。


あとは

事業所超ご近所さんの訪看さんと

うまくつながってもらえたら…と祈るのみ。



「看護の知識のある『おせっかいおばちゃん』」というのが

事業所でのわたしの立ち位置で。


わたしが願っていた

「『看護の知識のあるおばちゃん』として、地域に溶け込む」

というものと合致するっていう…。


そして、今、大学でしている仕事も

「患者経験を活かしたい」

「医療職者と当事者やご家族をつなぐような

『翻訳者』になりたい」

というものと合致するっていう…。




18年前の今頃は

「明らかに傷の治りが違う」と気がついて。

不安でいっぱいだった。


術後6日が経過して

手術の傷の痛みが和らいでくるはずなのに

どんどん痛みが強くなっていって。

電気が走る痛み(電撃痛)がバンバン出てきて。


松葉杖で非荷重は

手首が弱くてできなかったけれど。

車椅子移動は普通にしていて。


移動するのに足を下げると

輪ゴムで指先を縛ってそのままにしたみたいなことになって。

(色も、感覚も)

足を挙げると蒼白になって。


傷があるから、足を下げるとそうなるのは

理解できるけど。

足を挙げると蒼白になるのは、理解できなくて。

明らかに違う…と。




あれから18年…。

紆余曲折を経て、こうして仕事復帰させてもらっていて。

願っていたことができるようにもなった。


自分の病状や回復過程を

自分の言葉で話すことができるので

雇用主から重宝されているのは、ありがたい限り。。。

ちょっと負担がかかるけどね。




そんなこんな、で

ただいま出勤の電車の中でございまして。


久しぶりにお弁当も作って。

パンパーカーを着て

お弁当を食パントートに入れて。

電車の中におりますゆえ…

見るひとが見れば、推しが誰かわかるっていう。🤭


職場への到着は、1時間後。

(電車とバスの接続待ちが20分ほど)


やすらぎ堤と白山公園の桜を眺めながら

行ってきます。