わたしは下肢不自由で手帳2級、障害年金3級を受給していました。

現在は、手帳も年金も非該当の状態になったので返納していて。
時短勤務ではありますが、2ヶ所で一般就労(非常勤職員/パート勤務)をしています。

週1日(4時間/日)は、主治医のところで
ピアサポートのできる看護師として、外来に入ったり。
秘書業務をしたり、研究の実働部隊として勤務。
(4月からは、週2日勤務になります)
週3日(4.75時間/日)は、就労支援A型の生活支援員として勤務をしています。

わたしは看護師をしていたのですが
通常の看護業務を行えるような
身体機能・身体能力はありません。
手帳や年金を返納していますが
発症前のような働き方や収入を得ることは
できない状態でもあります。

ベースに過活動(動きすぎ)があって
活動と休息のバランスがあれれ?なことになって
食べること、飲むこと、休むこと、眠ることよりも
仕事や課題など「やらなければならないこと」が一番になってしまって。
疲労が蓄積した結果
体調を崩して10日程高めの微熱が続いたりしていて。
(与えられた仕事や課題は、短期間で一定水準のことができているらしく
様々な経験をさせてもらっています)
仕事や課題を最優先させてしまうので
「時間外での仕事禁止令」が2ヶ所とも発令されております。

心身共に負荷がかかりすぎると
痛みにも影響してくるのですが。
今のところ、痛みが強くなって生活に困難を感じる状況にはなっていません。

就労に関しては、主治医と何度も話し合いを持ちましたし
本人も半ば諦めていました。
(看護しか知らない、長期療養明けの40代が田舎で仕事を探すことになったので)

ですが
こういうことはご縁とタイミングと言われているように
「自分の受けた看護について卒論を書きたい」と暑苦しく語っていたら
主治医のところで仕事をすることになり。

放送大学の先輩方との交流の中で
現在勤務している事業所のサービス管理責任者さんとつながって。
「寝たきりでブランクがあっても仕事ができる姿を見せる」という役割を与えてもらうことになりました。

わたしの場合は
受診以外で
「決められた時間に決められた場所へ行ける体調管理ができること」を目標にして。
電車とバスで通院することができるようになっていたので
主治医から通院先である大学病院隣にある放送大学の学習センターへの通所許可をもらって
放送大学に入学したのが、2022年。

2022年の夏からボランティア(高齢者の居場所提供のスタッフ)を週1日(9時45分~14時)
12月頃からペースがつかめたので、週2日に増やして。
他に、プロテスタントのキリスト教徒なので
日曜日の礼拝や、平日の祈り会など
休んでも支障がないところに参加することから始めていて。
(ボランティアと教会へは、徒歩移動)

1年かけて
週4日~5日、決められた時間に決められた場所へ行くことができるようになりました。

そして、2023年に入ってから
2月に事業所での仕事が決まり、3月に主治医のところで仕事をすることが決まって。
事業所は週2日、主治医のところは週1日
学習センター通所が月2回、日曜日の礼拝出席が週間予定になって。
8月から、事業所が月10日程の勤務に増えたり
利用者さんに看護師としても関わりを持つようになって。
今年に入って、事業所の超繁忙期を迎えて
事業所が週4日、主治医が週1日という5連勤を経験することになって。
週5日勤務でもやれる自信がついたので
2024年4月から週5日勤務となりました。



わたしの仕事再開までの経過を某所でお伝えしましてね…


改めてこうして見ると

怒涛の4年半だったな…と。


このままではいのちに関わります、と言われたのが

2018年8月で。


内科主治医と4東の看護師さん達が本気出して

いのちをこちら側に引き戻してくれて。


閉ざして凍りついたこころを溶かそうと

ニコ先生が頑張ってくれて。


ニコニコ先生が引っ張りあげようとしてくれるのを

クローバーさん、ロップイヤー先生、ニコ先生が支えてくれて。


いつもの病院の外来看護師さん達と訪看さん達が

寄り添ってくれて。


やぎ座さん、メロンパンさんが温かく見守ってくれて。


がっつり在宅医療が必要な状態から

在宅医療卒業を迎えて。


看護の知識のあるおばちゃんとして

地域に溶け込んだ活動をさせてもらったり。


ピアサポートのできる看護師として

また当事者として、伝えていくことだったり。


寝たきりでブランクがあっても仕事ができる姿を見せる

という役割を与えてもらったり。


ほんっっっと、ありがてぇです。。。


自分には適性がない、と思っていた事務作業だったけど

こき使われて いろんな経験をさせてもらうことで

意外と(適性が)あるかも?と感じたり。


ますます看護が好きになったり。

ひとと関わりを持つことの楽しさ、みたいなものも

再認識したり。


まさかの結婚?話とか。


あの時死んじゃうかと思ったんだからね!と

内科主治医に言われ、PTのやぎ座さんにも言われたけれど。


まさか、5年後

こんなことになっているとはね…。



犬先生、嬉しそうだったな…。

新病院が無事に開院したこともあるけれど。


忙しくしていても、大きく崩れることがなくなってきて

週2で大学の仕事をすることになったり。

痛みはあるけど、仕事ができていたり。

忙しさのピークを超えると、熱出すけども

自力で回復できるようになってきて。


「良い状態を維持することができる」

っていう目標を連続で達成していくことが

今のわたしの目標でもあるけれど。


達成できなくても、自分で修正したり

リカバリーできるようにもなってきていて。


「経過観察は必要だけど、何も心配してない」

「あなた、自分で分析して良くなれるひとだから」

と、にこにこしながらほめてくれて。


従姉妹のまりこさんは

犬ちゃん、しーちゃんのことが大好きだと思うよ」

「しーちゃんもわかるでしょ?」と言ってくれて。


5年前、悲しませたり心配かけてきたひとたちが

今は笑顔で話をしてくれていましてね…。


このひとたちを悲しませたくない、って想いもまた

強くなってきておりましてね…。


そこにさらに

傘さんを悲しませたくない、っていう想いも加わりましてね…。


「良い状態を維持することができる」という目標の

連続達成を積み重ねていけたらな、と。。。


なんだかとてもとても、長くなりそうなので

今回はここまで。