2022年と2023年の1月30日について
2023年1月31日に書いているけれども。

FBでは、このようなことを書いたとです。

3年前の今頃
「仕事に戻ることについて」診察で話が出て。

足を手術した日に
発症時の勤務先での対応がフラッシュバックして。
そこからニコ先生に診てもらうことになって。

2021年は
「こころの痛み」の現状を把握して。

2022年は
「こころの痛み」への対処を考えて、実践して。

2023年は
「こころの痛み」と「共に生活していくこと」が始まった。

さてさて
2024年は、どんな1年になるのでしょうか。




「こころが痛い」と「ことばにして」
言えるようになれたんだな…と
この3年を振り返ってみて思う。

1月30日に
慢性疼痛外来に看護師として入ることになって。
「今日、事故に遭った日だから大変っす…」と
うさぎ先生、専攻医1年めの先生に言えたり。
患者さんにも
「今日がわたしにとって、この病気の『はじまりの日』で。
これから2時間後くらいに事故に遭うんですけどね」
って言えたり。

18年前と同じ、よく晴れた日だったから
この時間はまだ家にいた、とか
買い物しないつもりだったけど
海鮮丼が食べたくなって。
炊飯器をセットして
帰ってきたらすぐに食べられるようにして
ナルスまで買い物に行ったら
17時半頃には帰宅していたはずだったのに
20時頃の帰宅になったんだよな…とか
昨日のことみたいに記憶が戻ってきたり、とか。

いろんなことが押し寄せてきて
押し潰されそうになったり
こころが痛くなったりしたことを
「ことばにして伝えること」ができて。

わたしには
辛さを乗り越えたり、克服することはできなくて。
辛さを「薄めていく」ことしか、できないけれど。

薄めていく過程の中で
来年の今頃は、何を思い何をしているのでしょうね。



2023年1月31日から2024年1月30日までの1年もまた

怒涛の1年だったな…と思う。


2月の入ってすぐ、教会の牧師から

将来の伴侶について考える余裕はあるか?と聞かれ。

傘さんはどうだろうか?と言われて、大笑いして。

(あり得ない!の笑いではないです)

ちゃんと付き合うというか、結婚を考える間柄になって。


とある会合で同じテーブルになったひとに

うちの事業所で働かない?とスカウトされて。

3月から働くことになって。


ピンク薔薇さんの研究が科研を通って。

ニコニコ先生も絡む研究だったり、看護についてのものなので

「こういうのやりたいって言ってたよね?」と

慢性疼痛外来にピアサポートのできる看護師兼なんでも屋として入ることになって。


5時間弱の勤務で月8日~10日、事業所で仕事をして。

週4時間、大学で仕事をして。

学会出張があったり。

CVポートを抜去して、訪問看護を一旦お休みすることを考えるようになったり。

傘さんとの結婚に向けて、準備が始まりつつあったり。


がんの方で、まだ消化器内科受診はあるけれど。

いつもの病院で定期の内科受診は終了になったり。

デカドロンがoffになったり。


左腕の勝手に治る神経炎(神経痛性萎縮症)とか

両手の母指CM関節症とか

痛みのある病気も併存しているけれど。

今のところは

痛みに気持ちが引っ張られることなく過ごせていたり。


「言える」相手が、医療職者から

傘さんだったり、教会のひとたちだったり

職場関係者だったり(って、医療職者も含むけど)と

増えてきていたりしていて。


2019年8月に

このままではいのちに関わります、と

ニコ先生に言われて。


大学で治療方針の見直しをして

必要な治療につなげたい、という意図で

少しでもよくなる可能性があるなら、そこに賭けてみたいと思ってます。

と言ってくれたのだけども。


いろいろとこじれていた状態だったのでね…

先生も言葉が足りなさすぎていたのでね…

深傷を負った野生動物は過剰防衛しましてね…

それから1年数ヶ月後まで、いろいろありましたな。


そんなこんなを経て

わたしは今、生きているのだけども。


どうしてあの時(2019年8月)死なせてくれなかった

このまま生きよ、というのは残酷過ぎます

と思っていたけれど。


死なずにここまで生かされてきて

その意味がなんとなくぼんやりと見えて来たような?


18年かかって、やっとこれか?

と思われるやも知れませぬが。

これがわたしの現在地でございます。