2023年1月31日から2024年1月30日までの1年もまた
怒涛の1年だったな…と思う。
2月の入ってすぐ、教会の牧師から
将来の伴侶について考える余裕はあるか?と聞かれ。
さんはどうだろうか?と言われて、大笑いして。
(あり得ない!の笑いではないです)
ちゃんと付き合うというか、結婚を考える間柄になって。
とある会合で同じテーブルになったひとに
うちの事業所で働かない?とスカウトされて。
3月から働くことになって。
さんの研究が科研を通って。
先生も絡む研究だったり、看護についてのものなので
「こういうのやりたいって言ってたよね?」と
慢性疼痛外来にピアサポートのできる看護師兼なんでも屋として入ることになって。
5時間弱の勤務で月8日~10日、事業所で仕事をして。
週4時間、大学で仕事をして。
学会出張があったり。
CVポートを抜去して、訪問看護を一旦お休みすることを考えるようになったり。
さんとの結婚に向けて、準備が始まりつつあったり。
がんの方で、まだ消化器内科受診はあるけれど。
いつもの病院で定期の内科受診は終了になったり。
デカドロンがoffになったり。
左腕の勝手に治る神経炎(神経痛性萎縮症)とか
両手の母指CM関節症とか
痛みのある病気も併存しているけれど。
今のところは
痛みに気持ちが引っ張られることなく過ごせていたり。
「言える」相手が、医療職者から
さんだったり、教会のひとたちだったり
職場関係者だったり(って、医療職者も含むけど)と
増えてきていたりしていて。
2019年8月に
このままではいのちに関わります、と
先生に言われて。
大学で治療方針の見直しをして
必要な治療につなげたい、という意図で
少しでもよくなる可能性があるなら、そこに賭けてみたいと思ってます。
と言ってくれたのだけども。
いろいろとこじれていた状態だったのでね…
先生も言葉が足りなさすぎていたのでね…
深傷を負った野生動物は過剰防衛しましてね…
それから1年数ヶ月後まで、いろいろありましたな。
そんなこんなを経て
わたしは今、生きているのだけども。
どうしてあの時(2019年8月)死なせてくれなかった
このまま生きよ、というのは残酷過ぎます
と思っていたけれど。
死なずにここまで生かされてきて
その意味がなんとなくぼんやりと見えて来たような?
18年かかって、やっとこれか?
と思われるやも知れませぬが。
これがわたしの現在地でございます。