~2024年7月4日の日記「日々のささやき」~

高温になった幼稚園のバスの中に取り残されて

亡くなった女の子の裁判が行われた。

被告人である園長には執行猶予がつくのではないか、

と私は予想していた。

降車時に人数確認しなかった罪は重いが

この日、欠勤した運転手に代わって、

慣れない仕事をしていたから・・・という

同情心のようなものも私にはあって。

 

でも、実刑を言い渡した裁判官の言葉に

その通りだなあ、と思った。

子どもの命を預かる責任者とは

これほど責任の重い職務なのだと。

 

そして裁判官の言葉は

涙が込み上げるほど心に沁みた。

「ちなちゃんは、お父さんとお母さんを

幸せにするために生まれてきた。

教訓になるために生まれてきたのではありません」

と、涙を浮かべて説諭したという。

 

本当にその通りだ。

子どもが命を落とすようなことが起きると

法律が変わったり、製品が改良されたり

大きなことが、大きく動く。

このことは、これからも生きていく人の

幸福に繋がっていくのだけれど、でも、

亡くなった子は、そのために生まれてきたのではない

という認識を、しっかりと持たなければ。

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

本当に、本当に、そうです。

この子は、この子のためだけに生まれてきた。

この子は、この子の人生を生きるために生まれてきた。

 

子どもが命を落とすと、

大きなことが大きく動く。

そのことを、親御さんご自身が

「わが子に起こったことが二度と誰かのお子さんに起きないように願います」

と言うのは、いい。

 

でも、それを他人が言うべきではない、と思う。

 

私のように子どもを病気で亡くした親御さんの中には、

「わが子と同じように、

病気で苦しんでいる子どものために」

と活動される方も多い。

とても尊い活動だと思います。

 

でも、一方で、

私のように

わが子の命を奪った病気に対して、

今更何かをしたい、と思えない親もいると思います。

了見が狭い、と言われたら、そうかもしれない。

 

けれど、私は私。

病気なんてなくなって欲しい。

子どもが亡くなるなんて、起こらないでほしい、

と強く想うのだけれど、

 

でも、今の私には、

病気の子どもたちの支えになろう、とか、

将来、この病気が治る病気になるように、

のような活動はできません。

 

私にできるのは、

私と同じように、子どもを見送り、

哀しみと苦しみのどん底にいる人たちと、

共に「居る」ことだけです。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が25年前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。