~2024年6月19日の日記「日々のささやき」~

距離を置くことがあったとしても

また普通に来てくれるような人のことを

昨日書いたが、

「普通に」の話はよく聴く。

 

子どもが亡くなると、

何もかもしんどくて

人と距離を置いてしまうことがある。

そしたら、相手側は、さらに距離をとり

疎遠になることも、無縁になることもあるが

一人のお母さんが教えてくれた

「普通に」接してくれたママ友の話が

とても心地よくて、よく覚えている。

 

下の子が亡くなった。

上の子も、下の子も知っているママ友さんは

道ですれ違ったときなどは

買い物帰りだったら、

買ってきたお菓子の袋を破いて、

一握りを、「コレあんちゃんに」

もう一握りを、「コレももちゃんに」

と手渡してくれたりする。

 

普通に、家にいる子のように

普通に、普通のものをくれる。

いたときと、同じようにくれる。

 

その人は、「お供え」とは思っていないようで、

持ち返ったら、お仏壇に置くのだけれど、

お供えであって、お供えではない感じの駄菓子。

 

こういう日常を過ごせる人って

素敵だなあ、と思った。

亡くなっても、いなくなってしまった子ではない

という意識を、

親だけが持ち続けるのではないことが

うらやましく、素敵。

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

うらやましいなあ…

ただただ、羨ましいです。

 

亡くなっても、

「居る」子として接してくれる人がいるなんて、

ただ羨ましい。

 

わが子の「不在」の大きさに飲み込まれているのに、

その「不在」を拒否することでしか日々を過ごせないのが親。

 

どうにか「居る」と感じたいのに、感じられない。

それがとても難しく、苦しく、

日々が苦痛でしかないのが親。

 

そんな時に「普通に」、

「居る」子として接してくれる人が身近にいたら、

どんなに良いだろう。

 

「普通に」「居る子」として接してくれる人との交流の中で、

親も徐々に「不在」の大きさよりも、

「居る」と感じられるようになるのかな、

と思いました。

 

羨ましいなあ。

親の私にとっても、

わが子にとっても、

そんな風に接してくれる人がいたら、

とても嬉しいだろうなあ…

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。