~2024年6月12日の日記「日々のささやき」~

「脳死」を経ると、

死は3回あるような気がすると書いた。

私は、その1回目で「死」というものを理解し

何とも早すぎたわけだが、

その時は、まだ目の前にいたあゆみに

あろうことか

「誰だろう」とも思ったのだった。

 

心臓は動き、温かくて、

眠っているのと変わりないような姿なのに

本当のあゆみじゃない。

 

こんな妙な感覚を抱くのは

私だけだったかも、と思っていたら

おんなじことを感じていたお母さんと出会え

今になって、胸をなでおろした。

決して冷たいわけじゃなく、

独特な捉え方をするタイプに過ぎないとわかり。

 

ここから先の会話は、まだしていないけれど、

そんな私は、

お骨にも、ほとんど執着しなかった。

これはなに?

みたいな感じ。

 

お骨を、自分が死ぬまで手放さない

と言うお母さんの言葉は

重く受け止めるし、

愛情深いなあ、と感じる。

 

お骨をペンダントにしたり

何か象徴するような物を

常に携えている人には

ある意味、羨ましささえ感じる。

 

私は、何も思っていないわけではなく

すごく思っていて、

あゆみが、いない。

あゆみは、どこへ行ってしまったのか・・?

 

あれからずっと、わからないまま

問い続けている。

 

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

病院で亡くなったわが子を、

抱っこして家に帰ってきた。

 

いつもと同じに布団に寝かせた。

「あれ?」と思った。

なんか、違う。

寝ているように見える、わが子に似ている子ども。

でも…わが子…なのかな?

 

受け入れていなかった。

受け入れられなかった。

 

だから、私はわが子のお骨を見ていない。

見てしまったら、受け入れなければならなくなってしまうから。

 

手元供養なので、わが子のお骨は今でも家にあります。

写真やわが子が描いた絵や、お花も飾っています。

 

でも、お骨は見ていないから、

そこにわが子のお骨がある、

とは、まだ受け入れていません。

 

わが子の髪の毛を少しだけハート型の入れ物に入れて、

そして、わが子の写真をロケットペンダントに入れて、

いつも身に付けています。

 

でもそれは、わが子を身近に感じていたいからではなくて、

私が突然、出先で亡くなるようなことがあっても、

私の子どもはこの子で、

わが子のDNAが分かる髪の毛を常に持っていたら、

わが子が見つかった時、

「ああ、この人がお母さんなんだ」と

分かるようにするため。

 

そう自分に言い聞かせています。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。