~2024年6月5日の日記「日々のささやき」~

グリーフの解説の、準備をしている知人から、

仕上げの手伝いを頼まれ

いろいろと話すなか、

ふと2つの文言に目が留まった。

 

感情面のところで、

罪悪感・自責感、とあった。

 

私が資料を作る時は「自責」だけ入れている。

同じような言葉を2つ並べるなら

その違いの説明が必要となり

ここで細かく言うよりも

1つ挙げるほうが分かりやすいかと思い。

 

でも、2つとも挙がっていたので

どう違うのか? 違いはあるのか??

調べてみた。

 

そしたら!

罪悪感と自責感は、似ているものの

やはり別物だった~

 

罪悪感は、悪いことをしたと思う気持ちのこと。

例えば、「仕事を休むことに罪悪感がある」

という使い方もできる。

 

一方、自責感は、ざっくり言うと、

過去の出来事に対し

自分で自分を責める気持ちのこと。

もっと深刻に言うと、

過去の過ちや失敗、自分の無力さ

によって起きた出来事に、

自分が許せないと感じたり

自分に責任があると考えたり、

自分を追い込んでいる気持ち。

 

わ、まさに予想どおりの意味。

子どもをなくした親が抱く感情そのものだ。

だから私は、こっちを挙げていたんだ。

 

過ちや、失敗から生じたわけでなくても

自分の「せい」と思いがちであり

無力さに関しては、まさに。

 

考えたら、

自責感のことを、自責の念と言う。

罪悪感を、罪悪の念とは言わない。

 

「念」て、いかにも強力にあって重々しい。

明らか、感<念だろう。

 

子どもを亡くした親が抱くのは

罪悪感以上に、自責感で、

自責の念だと思う。

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

「罪悪感」という言葉、

知ってはいるけれど

我が子のことを考えるときに

この言葉が浮かぶことはありません。

意味が軽すぎるから。

 

自分が罪を犯してしまった、と感じるけれど

実は、責任は自分には無い

と思う時に「罪悪感」を使いますよね。

よく耳にするのは「甘いものを食べるときの罪悪感…」みたいな。

 

我が子を助けられなかった私の気持ちは

「自責の念」。

 

そう、私に、私だけに責任がある。

だから自分を責める。

我が子は何も悪くない。

悪いどころか、とてもいい子で

私の子どもか、と疑うくらい

優しくて、思いやりがあって、賢くて、

おまけに面白くて。

 

こんなに素晴らしい子を

助けられなかった私には

自責の念しかありません。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。