~2024年5月13日の日記「日々のささやき」~

子どもの急変までを

見ていた親も、見ていない親も、どちらもつらい

と昨日書いたが、

ちょっと訂正。

 

見ていたのに気づかなかった

と自分を責めるお母さんのように

そこに居もしなかったから気づかなかった私は

さらに自分を責めて当然じゃないか?

と昨日は、思い始めたのだけど

やっぱり、ちがった。

 

前にも日記に書いたが

悪いのは「病気」だ、と私は思っている。

あゆみを襲い、私からあゆみを奪い、

あゆみは死んで

私も、生きながら死んだみたいになって

だから、あゆみ同様、私は被害者だ

と、本当に思っている。

 

で、この考え方

最初からあったのだろうか・・?

改めて思い返したのだけれど

たぶん途中から持ち上がってきている。

 

いつ頃、どのようにして、こうなったのか?

はっきりわからないのだけれど

最初は、私も自分を責め、追い込んでいた。

で、それに限界がきて

方向転換したような気がする。

 

だからといって

これは、責任転嫁ではないと思っている。

1番悪いのは、あの病気だ。

決して私は1番ではない。

2番?であるのをいいことに

「私は被害者だ!」と言い出して

今に至る。

 

逃げている

と言われたら、そうかもしれないが

でも、断じて責任転嫁ではない。

 

とはいえ、

逃げることなく耐えて暮らす親の気持ち

真摯に受けとめなければ。

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

謝る相手が目の前にいないのに、

謝り続けている、

この状態を

どれだけ続けられるのだろう。

 

「病気が1番悪い」

は責任転嫁とは思いません。

きっと、それが事実だから。

 

「病気が一番悪い」

と思えること、

言葉は悪いかもしれないけれど、

「逃げる」ことができるようになったこと、

それは

疲れ切ってしまったから、かもしれないけれど、

愛情なのかな、とも思いました。

 

人から謝られる(謝罪を受ける)状況って、

その人が何か間違いをしてしまって、

その間違いのとばっちりが自分にきたから、

ですよね。

 

ということは…

私が謝れば謝るほど、

親の私が「加害者」で、

わが子は「被害者」と位置付けていることになってしまう…

 

自責の念をぬぐい切れないから、

ずっと「ごめんね」と謝っているけれど、

私とわが子の関係は、

そんな側面だけではない。

 

いや、

そんな側面よりも、

「相思相愛」(と私は勝手に思っている?)で、

誰よりも、何よりも、大切で、

愛し、愛されている、

そんな側面の方が大きいはず。

 

今はまだ

「ごめんね」ばかりだけれど、

いつの日か、きっと、

変わる時がくる…

かもしれない。

くるといいな。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。