~2024年5月12日の日記「日々のささやき」~

あゆみのように、突然の病気で

いきなり救急車に乗って行って

助からない子のお母さんと話すことがある。

 

こういう場合には

「長い闘病があって亡くなるのは

子どもも、親も、もっとつらいと思う」

と言ってなぐさめられること、

世間的にはあるけれど

短ければいい、という考え方

親にはない。

 

じゃあ、急病の子どもの親が

みんな同じことを考えているか?

ということ

そうではないこと、きょうも気づいた。

 

私は、そのお子さんのお母さんを

ずっとそばで、よくやられた、と思っていた。

早めに病院も連れて行って

一晩中そばで様子を見て

朝早く、また病院に連れて行って、

そこからの急変。

 

ところが

辛そうにしていたのに

泣いていたのに

気づいてあげられなかった

と強く自分を責めておられる。

 

病気に気付いていなかったのは

私も同じ。

だから、私は、

一人で寝かせていた。

そして離れたところで用事をしていた。

 

様子を見に行ったら、

すでに意識がなかった・・・

だから、苦しんでいるところも

泣いているところも

知らない。

見ていない。

 

見ていたら、

そうか!

見ていたのに、となるわけだ。

 

親って、つらい。

 

私は、そのとき離れたところにいて

確かに、用事もしていたが

炊事しながら、テレビを見ていたし

洗濯機を回している間に、ものを食べたりもした。

 

なんてことだ。

もっと自分を責めて

もっと自分を追い込んだほうがいいのか

と、今更ながら考えてしまう。

 

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

見ていても、見ていなくても、

闘病があっても、なくても、

親はどんな状況でも自分を責めるものです。

 

「見ていたのに…気づかなかった」

「見ていなかったから、こうなった」

「一緒にいたのに、何もできなかった」

「あっという間で、何もできなかった」

 

子どもが助かれば、

「ごめんね。お母さんが〇〇した/しなかったからだね。」

と謝ることができる。

もしも、万が一にでも、

同じようなことが起きたら、

違う対応をしよう、と思える。

 

でも、わが子を見送った親は、

謝っても謝り切れない、

謝って済むものではない、

と、ずっと自分を責め続けてしまいます。

 

いつの日か、責められるべきは自分ではなくて、

病気なんだ、と思える日が来るかもしれません。

そんな日、来ないかもしれません。

今は、どうなるか分からないけれど、

自分を責めてしまう気持ちを素直に

そのまま受け入れようと思います。

 

自分を責めたとて、わが子が戻ってくるわけではないけれど、

「どうにもならないことだった」

「やりようがなかった」

「誰が悪いわけではない」

と言われても、受け入れるのは難しいです。

 

なぜなんだろう、と考えると、

きっと、理由は、

もしわが子が目の前にいて、

「これは仕方のない事なんだよ。誰が悪いわけではないんだよ。」

とは言えない、と思うからです。

 

「責めるなら私を責めて。

私が悪い。あなたは何も悪くない。

そして、助けてあげられない親の私は、

本当に無力でごめんなさい。

謝って済むことじゃないよね。

本当にごめんなさい」と、

謝り続けるだろうと思うからです。

 

今はまだ、「ありがとう」よりも

「ごめんなさい」を強く思う時期なんだな、

と思います。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。