~2024年4月13日の日記「日々のささやき」~

少し前の記事だが

ペットのウサギが、手術後に死んだことで

獣医師と病院が訴えられて

慰謝料の支払いを命じられたこと

なんか引っかかっていて、また思い返した。

 

訴えたのは、

ウサギを喪った、子どものいない夫婦で、

「我が子も同然」と主張していることは

理解できた。

 

なんか引っかかっていたのは

何だろう・・?

裁判官の判決理由をもう一度見てみた。

 

裁判官は、

子どものいない夫婦にとってウサギは、

かけがえのない家族の一員。

並々ならぬ愛情を注ぎ大切に育ててきた。

絶望感は察するに余りある

と述べている。

 

子どものいない夫婦にとってのウサギは

単なるウサギではなくなり、

命の価値を増している?

子どものいる夫婦のウサギだと

そこまでの価値は認められなかった??

 

だったら!

子どもを亡くした夫婦のウサギ

が登場してきたら

相当な価値を置かれる気がする。

 

子どもを亡くした親が

「このウサギは、亡くなったわが子も同然なんです」

と訴えるか、どうかは、わからないが。

 

この判決を導き出したのは

手術の危険性などの「説明義務違反があった」こと

が、本当の理由なのだと思う。

裁判官が、人情味のあることを言うのは

いいな、といつも思うのだけど。

うさぎ うさぎ うさぎ うさぎ うさぎ うさぎ うさぎ うさぎ

 

民事裁判では特に、

「一般的には当然のこと」

と思われるようなことが

当然ではなくて、

被害者がとても辛い思いをすることが

多いように思います。

 

起こったことを法的に解釈すると

〇〇、△△、で、

それに対する法的判断は

□□である、

という(だけの)こと。

 

人間味というか、感情が介入する余地は

法的には、ない。

 

だからこそ、こういう裁判官の言葉が

大切なのでしょうね。

 

それって、お医者さんとか看護師さんとか

医療者の人たちにも通じるなあ…

と思います。

 

医学的には

「もう、打つ手はありません。」

だとしても、

そこに、人としての心があれば、

「命」に対しては打つ手はないかもしれないけれど

「いのち」に対してはある、と思えるのでは

ないかなあ。

 

あ、

我が子の忘れ形見のインコ。

このインコに万が一のことあったら、

どうなるんだろう…

 

お金に代えられるものではないけれど、

相当な額じゃないと納得できないだろうな。

 

いや、相当な額でも、

きっと納得なんて、できない気がします。

 

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。