~2024年4月11日の日記「日々のささやき」~

私が住む兵庫県で起きていたこと。

10才と3才の子どもを道連れに

母親が無理心中を図り、

子どもたちだけが・・・

 

こういう惨事が起きるとき

私は考えてしまう。

1つには、

母親の、子どもへの、どうしようもない考え方。

 

私が普段耳にするのは、この逆。

子どもが亡くなったあと母親は、

「私も行ってあげないと!」と考え始め、

どうにか、こうにか、留まるも

行きたい行きたい、と思い続けるのも珍しくない。

 

切っても切れない太い絆があり続ける。

 

母親が、そういう生き物であるからに

自分が死を選ぶときにも

子どもを置いていくことなどできない

という考え方に占め尽くされるのだろう。

 

で、私がよく思うのは

このとき、つまり心中に臨もうとするとき

子どもが急に高熱を出すとか

こけて大怪我をするとか

突発的なことが起きたら!

 

きっと母親は、子どもを助けると思う。

まずは体を冷やしたり

とっさに病院に連れて行ったり。

そうして、

あれれ?となって、心中は棚上げに、

なんてことが、私には現実的に思える。

 

そう思いながら、今回の記事を見ても

やはり、そうなのだ。

母親は、車のなかで目を覚ました。

そしたら、子どもたちが動かなくなっている!

急いで、自ら、通報しているのだ。

 

子どもを手放すことができず

子どもから離れられないのだから

この世で、生きて、

ずっと一緒にいてくれたらなあ。

 

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ずっと昔、若い頃(相当、昔です)

新聞か何かで、

「日本では親の無理心中の場合、

量刑が軽くなることが多いが、

欧米では、親の身勝手は許されない.

子どもの権利を守る、

という考えが確立しているから量刑は重い。」

というような記事を目にしました。

 

そのころは、心中のニュースを見聞きすると

胸が苦しくなるけれど、

心中を図った人を

「身勝手」と理解できていたんだ思います。

 

ですが、親となり、子を亡くした今、

もしかしたら、このお母さんも

どこかに助けを求めたことがあったのかもしれない。

やっとの思いで勇気を出して電話したら、

「ただいま電話が大変込み合っております。

あとでお掛け直しください」のアナウンスが流れて、

心がくじけてしまったのかもしれない。

 

口にするのも恐ろしくて

「もう限界」と言葉にできなかったのに、

やっとの想いで口にしたら

「あなた一人じゃないよ」と優しい言葉をかけられた。

でも、我に返ってみると、

やっぱり家の中で自分一人。

子ども二人の前で呆然とするしかなかった。

 

勇気を振り絞って助けを求めたけれど、

結局助けにたどりつけなかったんじゃないか…

と思うようになりました。

 

子どものこと、必死で考えていたこのお母さん、

気が付いた時、自分で通報している。

 

助けを求めているお母さん、

たくさんいるのに。

生きようと必死に頑張っている人たち

たくさんいるのに。

そういう人たちに救いの手、

なんでこんなに少ないんだろう…

子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。

会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。

以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。

 

対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。

対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。

 

ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、

男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。

 

今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。

会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。